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私は猫になりたい


 私は生まれ変わったら猫になりたい。
 以前、猫を飼っていたことがある。猫は自由だ。やりたくないことはしない。私が仕事でくたくたになって帰ってきても、知らん顔で寝そべって顔など舐めている。私は今日あんなにも大変な仕事をこなしてきたというのに、猫は日がな一日、好きなことだけしていたんだろう。いいなあ。
「いいなあ~お前」
私はそう言いながら頭をなでる。心底羨ましい。その恨みがましさにも似た思いが、猫をなでる手に出たらしい。猫はうっとおしそうに、途中で私の手を払いのけた。ちょっと爪が立っていて痛かった。なんだよ、ちょっとくらい我慢してくれてもいいじゃないか、こっちは一日頑張ってきたんだよう。
 ちぇ、つまんないの、という気持ちの後に、手が痛かったことが急に気に障り、思わずその小さな頭をはたいてしまった。瞬間的に目を閉じ、首をすくめる猫。しかしすぐ
 「え?いや?そこまでされる?」
セリフを付けるならまさにこんな感じで、猫の表情は怯えから疑惑に変わり、次の瞬間には
「はああ~?どういうことよ今の?!」と言わんばかりの、はっきりとした怒りの表情となった。そして、目を見開いて首を右に傾げながら、私を上目遣いに睨み付ける。いわゆるメンチをきる、というやつだ。
「…どうもすみませんでした」
私は猫に、心の底から謝って頭を下げた。猫は、ふん、と鼻を鳴らしてまたその場に寝転がり、顔をなめはじめた。
 ああ、いいなあ、と思う。私、マゾか。猫に爪を立てられて、手からは血が出ているのだが、今やそれすら「いいなあ」の対象でしかない。私、やっぱりマゾなのか?
いやそうじゃない。猫の自由さに憧れるのだ。猫は多分、ここで暮らしていることさえ「暮らしてやっている」くらいにしか思っていない。
 猫は、自立している。養われてさえいても、自立している。同調圧力なんてないし空気も読まない。怒りたいときには怒り、甘えたいときにだけ甘えて、毎日興味のあること、やりたいことだけをやって一生懸命生きている。
 それでいいんだよなと思うけれど、人はなかなかそうは出来ない。だから、生まれ変わったら私は猫になって、好きなことだけして生きるのだ。もし人に飼われたら、飼い主に病院に連れて行かれてエリザベスカラーを付けられることもあるだろうけれど、それでも「上等でしょ?」と破れかぶれの気高さで、塀の上から優雅に通りを歩く人間を睥睨してみせるのだ。
 そんな転生が、いつか私に訪れますように。

※この記事を書くことになったいきさつはこちら

#猫 #ねこ #往復書簡 #エフェクチュエーション  
 


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