エフェクチュエーション往復書簡 しづのからヤンさんへ①
前回からの続き
ヤンさんによる往復書簡前書き
「エフェクチュエーション リレーエッセイ」
ヤンさん
こんにちは。私の住む京都は先日、祇園祭の山鉾巡行が終わったところです。
京都では、これが終わると夏が来ると言われているのですが、先人の知恵というのは凄いもので、本当に今年も巡行が終わった途端、最高気温が軒並み35度を超える日が続いています。
京都は素敵な街ですが、ここから9月の後半まではお勧めしません。この暑さの中では、雅だの風情だのはただの精神論でしかなく、ひたすらエアコンの効いた部屋で暑さをやりすごすのが一番、という感じです。京都は冬も「底冷え」と言われる寒さの厳しい所ですが、寒さの中の方が、よほど風情を感じる余裕があると、私は思います。
と、そんな激暑な、それも二十四節季でわざわざ「大暑」という名前のついた日が、私の誕生日でした。そうしてその誕生日の翌日に、ヤンさんからこの素敵な往復書簡の提案を受けたことを、とてもうれしく思っています。
ヤンさんの文章は、平易で温かみのある言葉遣いで、思考がすっきり整理されていて読みやすく、私は一読するなりすっかり魅了されてしまいました。ヤンさんのお人柄が良く分かるような気がして、今回この話をいただいたときは、迷うことなくお受けします、とお返事した次第です。本当にこれは最高の誕生日のプレゼントです。ありがとうございます。
さあ、どんなことを書こうかと、わくわくしながらいろんなことを考えたのですが、やはり一回目ということで、始まりのことを書こうかなと思います。たにせんさんとエフェとの出会いのこと。
たにせんさんのことは、以前所属していたオンラインサロンに同じ時期にいて、その投稿を通して何となく知っていました。はっきりその存在を認識したのは確か、
「今度、夫の転勤で関西に引っ越すことになったのですが、住むならどこがおすすめですか」
みたいなことを投稿された時だと覚えています。へえ、こっちに来るんだ、いつか会えるかなあ、くらいに思っていました。一瞬、京都もいいよと言いそうになったのですが、やはり夏があまりにも過酷でお勧めできないので、答えるのは控えたんですよね。
それからどれくらい経った頃だったでしょうか。出会いは突然でした。あるとき、私は大阪で、とあるセミナーに参加していました。講師は東京から来た、元CAの麗しい女性。
セミナー後の懇親会会場に行くと、さっきまでいなかった女性がいました。それがたにせんさんだったんです。
自己紹介で、たにせんさんは飲み物が注がれたグラスを片手に、あの口調で「今日は講師の先生に会いたくて来ました」と言っていて、私はそれを「おお、この人がたにせんさんかあ」なんて思って見てました。
会場はそんなに広くなくて、部屋の真ん中に大きなテーブルがあって、私たちはその周りに立って食事や会話を楽しんでいました。
私は実のところ、女神のように麗しい講師の先生に話しかけてみたかったのですが、セミナー中に、講師と受講者という立場でなら話ができたものを、こうしてフリーになると、気後れしてしまって全くダメでした。テーブルの反対側に立って、他の人とおしゃべりをしながら、遠目に先生を眺めているのが関の山だったのです。
そこへいくとたにせんさんは、さすがそれが目的だというだけあって、ほとんど独占的に、どんどん先生に絡んでいってるんですよね。
何を話しているのかまでは分からないんですけど、でも、切れ切れに何度も聞こえてくるフレーズが「私なんか」。
すごいなあ、って思いました。私も「私なんか」って思ってるクチだけど、心底思ってることは口に出せないんですよ。出してしまうと洒落にならないというか、そういうものなんです。そして、私なんか、って本気で思ってる人は、まぶしい存在には近づけないんです。それがたにせんさんは何度も「私なんか」と言いながらグラス片手に女神さまと談笑しているわけです。
「たにせんさん、私なんか、って言う割にはぐいぐい行ってるよなあ」
それが、実際にたにせんさんを見た最初の感想でした。そんな彼女を遠巻きに眺めながら、私の隣にいた会の主催者に
「たにせんさんって、どんな方ですか?」
と聞いてみると
「時代を先取りした働きかたをしている、すごい方ですよ」
という答えが返ってきました。
やっぱり、すごい人なんだな、と思いました。女神さまとぐいぐい話をするたにせんさんは、本人は違うと言うかもしれないけど、はた目にはやっぱり、今と同じようにキラキラしていました。すごい仕事ができそうな人だなあ、と思うと同時に
「多分、もう会うこともないだろうな」
とも思いました。私とは、あまりにも接点がないように思えたからです。私は割と勘がいい方なんですが、この時の勘は結果的に大外れで、これは嬉しい誤算でした。
その時の懇親会では、私はたにせんさんを眺めただけで、会話はしなかったように思います。なので、その時にたにせんさんが私を認識していたとは思えないのですが、しばらくして、なんとイベントのお誘いをいただいたんです。「もう会うことはないだろう」なんて思っていた私からしたら、それは突然でした。たにせんさんにとってそれは全然「突然」ではなかったかもしれないけど、私にとってこれは予想外の嬉しい出来事でしかなく、もう一も二もなく「行きます」と言っていました。
そのイベントは、たにせんさんの娘さんの担任の先生が「けテぶれ」(注1)という、子供が自分で考える勉強の方法を提唱されていて、それを世に広めようとしているから、話を聞きに来ませんか、というものでした。
今や本も出版され、独立して「葛原学習研究所」を立ち上げた葛原先生ですが、当時は公立小学校の先生でした。とはいえ、当時もあちこちで大人数の講演会をしておられたそうです。それがたった6人で、梅田のカフェで、ガッツリ講座を受けました。公務員だからお金は取れないとのことで、お礼はカフェのコーヒー。ほんと、いいのかと思えるほどの贅沢な時間でした。
それにしても、どうして私に声がかかったのかなあ、と思って、たにせんさんになんとなく聞いてみたら、答えは「興味ありそうかなと思って」でした。そのころは子育てとか子供の教育についていろいろ発信していたから、そうか、SNSでの私の投稿は見てくれてるんだな、と思って嬉しかったですね。やっぱり、キラキラした人に見てもらえてるっていうのは嬉しいものです。
この時もやっぱり「私なんか」と折々に言っていたたにせんさんでしたが、「私なんか」っていう人は、まず子供の担任とこんな風な関係を結ばないですよね。結ばないというか結べない。私は子供の担任の先生を囲んだイベントを開こうなんて、いくら少人数でも思わないから、やっぱりたにせんさんってすごいなあ、と思ったのを、今や懐かしく思い出します。
そんなこんなで月日が流れ、たまにイベントで見かけたりSNSで交流したりしているうちに、たにせんさんが大学院に行くと言い出して、言い出してっていうのもあれですけど、まあそんな感じでとにかくMBAを取るんだということで、これも関西に引っ越してくる時と同じような感じで「へえ」って思ってみてました。
そこからはヤンさんもご存じかもしれないですね。SNSに怒涛のエフェ投稿が始まりました。そうしてこれまでの自分とはこんな風に変わった、という投稿内容の後に「しみじみ」というフレーズが登場するようになったんです。「私なんか」は「しみじみ」へ。それを見ながら、実は私も「しみじみ」していたのは、ここだけの秘密にしておきます。
ともあれ、エフェクチュエーションというのがどういうものなのかは良くわからないながら、たにせんさんのエフェ投稿は興味深かったです。なにしろ、いろんなことが起きて、起こして、事態が展開していくわけです。しかもスタート地点は私と同じ、普通の生活の中にあるんですよね。
私とたにせんさんはもちろん違うから、動き方は同じではないだろうけど、とにかくエフェというものは、こんなにも行動できるようになるらしい、というのは分かりました。そして、たにせんさんはエフェエフェいう自分を「うざい」と自分で言っていたけど、私はむしろ、その投稿を楽しみにしていました。たいてい、始まりの思考や出来事は私と同じなんだけど、途中でエフェが入ると、私の想像を超えた展開と結末を迎えるのが、もうなにか小説のようで、楽しみでしかなかったんです。
そして私だったら絶対にこうはならない、何が、どこが分岐点なんだろうと思ってその投稿を何度か読むと、やっぱり鍵はエフェなんですよね。そうか、エフェっていうのは私にはないものなんだ。学べば身につくものらしいけど、大学院に行かないと学べないんだったら、ちょっと大変だなあ。たにせんさん、毎日10個くらい投稿してくれないかなあ、なんて思っていたのがこのころでした。
その後ついに、たにせんさんからエフェ絡みのお誘いを受ける日が来たんです。願えば叶うというのは本当ですね。
それは、大学院の同期の方が京都で猫の写真展をやるから、猫に関するエッセイを書いてくれませんか?というお話でした。会場に置きたいから、と。正直にいうと、写真展の会場のどこに、どんな風に私のエッセイが使われるのかが全く分からなかったのですが、数秒考えて、書けるな、と思ったので「書きます」と、お返事しました。(注2)
そうなるとやはり、会場に行こうということになります。どこに、どんな風に使われているか見たいわけです。
するとたにせんさんが、その日に、会場に隣接するカウンターだけのハンバーガーの店を貸し切りにして、エフェの勉強会を開いてくれたんです。すごいでしょ。というか、今になってあの時のありがたみを実感しています。
カウンターの中に、着物を着たたにせんさんと垣内さん(注3)が立って、私と、思えば「けてぶれ」を一緒に習った友人たちがカウンターに座って、事前にもらったレジュメを使って、初めて「エフェクチュエーションとは何か」っていうところから教わったんです。
いやこれ、書きながら、やっぱりあれはすごかったなと思います。この時も確か6人くらいで講座を受けたんです。6人で、お店のもの何か頼んでくれたらそれでいいからっていうことで、受講料は無料。私はアイスコーヒーか何か飲みながら、たにせんさんと垣内さんから直に教わったんですよ。今のエフェライフ講座だって、事前に吉田先生の講義動画を見てから臨んだじゃないですか。でもこの時は数日前に送られてきたレジュメを見ただけで、当時はガッツリ予習したつもりだったけど、今にして思えばあれはほとんど手ぶらです。それで2人から直接話を聞けたんですよ。たにせんさん風にいうと「凄くない?」ってやつです。今思うに、もしあれが私の猫エッセイのギャラだったとしても、ちょっともらいすぎたなと思います。
この日初めて直にエフェとエフェクチュエーターの方たちに触れ、私はかなり衝撃を受けました。こんな人たちがいるんだ、と思ったし、エフェは考えてばかりでちっとも動けない私には福音だと思いました。特に印象的だったのは、エフェは、やっているうちに取れるリスクがだんだん大きくなっていく、というたにせんさんの言葉で、今にして思えばこれは「許容可能な損失の範囲」の話なんですけど、これはもう、私が変わるための最後の手だとも思いました。だからその後、たにせんさんが講座を開くとなったとき、一期生として手を挙げたんです。大学院に行くしか学べないと思っていたのに、たにせんさんが教えてくれるってすごいラッキーだなと思って。
こうして今、一期が終わろうとしています。たにせんさんのように大学の先生になったり、海外に学会発表に行ったり、そういうことは私の身の上には起きていませんが、まあ、地殻変動というか、そういう私のマインドの深いところがぐぐぐっと変わってきているのを実感しています。これから先も、たゆまずエフェな環境に身を置いてエフェマインドを実践していけば、きっと何かが起きるだろうと思っていますし、実際、何かが起きた事例が、この往復書簡なわけで、まだまだこれから何が起きるか楽しみです。講座生同士がこうしてあちこちで自発的に活動し始めてから、講座はぐっと面白くなってきたなと思います。
そんなわけで、ヤンさん、今回はこの辺で筆を置こうと思います。今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
追伸 ヤンさんは、どういったきっかけでエフェを知ったのか、気になります。あと「タニモク」も。ヤンさんは私の前に「タニモク隊長」として登場したので。
(注1)けテぶれ…子供を自立した学習者に育てる勉強法。「計画」「テスト」「分析」「練習」の頭文字を並べて「けテぶれ」。葛原祥太氏が提唱。
葛原学習研究所
(注2)「私は猫になりたい」
(注3)垣内さん…垣内健祐氏。大阪道頓堀の「たこ八」副社長。たにせんさんと大学院の同期。エフェ黒帯で、エフェライフ講座にも来ていただきました。
たこ八サイト
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