静岡大学の学生歌ミュージックビデオを作ったら人生が変わった話
自己紹介
こんにちは。静岡大学人文社会科学部言語文化学科の佐々木と申します。学生生活の中での学びや気づき、そのときに思ったことなどを将来の自分のために記録しておこうと思い、noteにチャレンジさせていただきました。よろしくお願い致します。
現在、静岡大学人文社会科学部同窓会「岳陵会」で学生リポーターとして活動させていただいてます。
http://www.e-gaku.org/
なぜnoteも始めようかと思ったかというと、自分の学生生活に正直に、そしてときにネガティブな思いも含めて今後の自分の振り返りをしたかったため、より自由に文章を書ける場を持ちたいと思ったからです。就職活動真っ只中の今ですが、自己分析も兼ねて活動レポを書いていきたいと思います。改めてよろしくお願いします。
学生歌「われら若人」の話
さて、今回最初にnoteに残そうと思った活動は「静岡大学の学生歌ミュージックビデオを作ろう」という企画についてです。静岡大学には実は学生のための歌が存在します。「われら若人」というタイトルの歌、在学生や卒業生の方なら入学式で一度だけ聞いたことがあるかと思います。「沖に流れる〜」と始まる歌ですが、「われら、われら、われら…」と何回「われら」と言うんだと思わずツッコみたくなる歌詞ですが、この裏話はまた後ほどに…。
正直、僕も一年前の大学2年時の夏休みまでこの歌の存在を知りませんでした。入学式で歌ったのにすっかり忘れていた、と言ったほうが正しいのかもしれません。なぜ、どこで知ったかと言うと、人文社会科学部の先輩であり、一年生のときからキャリア支援などをしていただいている木下さんという方から、夏休み焼き肉をご馳走して頂いたときに、「この歌知ってる?」と教えていただき、それ以来耳に「われら〜」が残って離れなくなってしまいました。(木下さんとの記事はまた後日書かせていただきます。)
この歌は、遡ること約50年前、1962年の静岡大学学祭のテーマソングとして誕生しました。当時の歴史は静岡大学OBグリークラブの方がHPに詳細に書いていらっしゃるので、リンクを貼って割愛させて頂きます。
http://suobgc2004.velvet.jp/katudo1/201506-warera/201506-shizuoka.html
この歌、僕の解釈としては、当時いくつかの学校が合併した背景から、学祭という一大イベントに向けて、当時の学生達の志を「繋げる」ために書かれたのではないかと思います。「激動の社会情勢の中、一致団結して前を向いていこう。」と。当時の学生であった高嶋善二さんが書かれた歌詞の「われら」というワードや、静岡のシンボルである富士山や三保の松原、浜名湖、みかんに至るまで、僕には高嶋さんが「皆、静岡に対してのプライドを胸に頑張ろうよ」と宣言しているように聞こえてならないのです。
ちなみに、高嶋さんには後述する企画を通じて光栄なことに実際にお会いすることができました。「われら」のリフレインが印象的ですねとお伝えしたところ、「あれは作曲家の石井さんが勝手に何回も付け加えたんだよ(笑)」とおっしゃっていて、なんだか人の記憶に残るって面白いこともあるものだなあと二人して笑いながらも感慨深い気持ちになったのを覚えています。
静岡大学分離
今回、なぜ学生歌のミュージックビデオを作ろうかと思ったかというと、今の時代の中で「繋がることの本質」を探求してみようと思ったからです。僕は今も昔も自己中心的な面がある人間だと思っています。noteをつらつらと書いてるのもそんなところが影響しているのかと…。しかし、今の僕がここまで人生を送ってくることができたのは、紛れもない両親、友人、支えてくれた大人や先輩方のサポートがあったからです。木下さんとの出会いもあり、そんな大切な人との繋がりを見直す機会がありました。
「静岡大学分離問題」というものをご存知でしょうか。現在静岡大学は静岡キャンパスと浜松キャンパスという2つのキャンパスを持っています。静岡キャンパスは静岡市の大谷にある山の斜面にできた高低差が印象的なキャンパス。人文社会科学部の僕はその高低差から朝何度苦しんだことか…。
(人文社会科学部の講義棟はキャンパス最上位置にあり、「天空の城」というあだ名がついています。)もう一つの浜松キャンパスは浜松市にある情報学部や工学部など主に理系の学部が講義棟を構えるキャンパスになっています。現在、両キャンパスを再編しようという動きが出ています。「静岡大学分離」と検索していただければいくつもHPやニュースがヒットするかと思います。(今回のnoteの趣旨は企画の振り返りのため、僕自身の分離問題への立場は残さないこととします。)
友人とご縁
実は僕の高校のときからの相馬くんという友人が浜松キャンパスに在学しています。同じ静岡大学という名前を背負ってから、二人で連絡を取り合い、僕は彼の行動指針や思いに幾度となく影響を受けてきました。彼については岳陵会ブログに書いていますので、よければぜひご覧になってください。
http://e-gaku.org/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=742
今回の分離問題がそのまま進むと、僕たち二人は同じ「静岡大学生」ではなくなってしまいます。
本当の仲間の繋がりってなんだろう?同じキャンパスにいる人?同じ大学にいる人?同じ場所にいる人?
そんな疑問が徐々に僕の中で大きくなって行きました。そんな中、前述した木下さんに、「大学の仲間みんなを集めて、ワクワクして、1つの課題に向かえる企画の経験をしたほうがいい。学生歌のミュージックビデオとか。」とアイデア提案をいただき、以降ビデオ企画は半年間の僕の挑戦となりました。
50年以上前に、キャンパスや学校を超えた繋がりを目指した歌。今の時代だからこそ、もう一度アンセムとして鳴り響く意義があるのではないか。今の自分の周りの学生仲間との思い出と重ねて、繋がりを形に残そう。そう胸に刻んで企画書を書き始めました。2019年5月初めに2週間ほどで大まかなスケジュールと予算立てをして、チームメンバーを集める作業に取り掛かりました。
芸能人でもなんでもない僕一人がビデオに出演しても面白くもないし魅力もありません。学部の仲間や尊敬する先輩、とにかく自分の思いを伝えながら一人でも多く出演者を、という気持ちで仲間に声をかけさせてもらいました。素直にOKを出してくれた企画メンバーの方には今でも頭が上がりません。本当にありがとうございました。
問題はその実行費用、予算でした。歌詞ボードを作って音楽に合わせてみんなが歌う…そんなイメージを頭で描きましたが、しっかりとしたボードを発注するには数万円の予算がかかる…そんな中、木下さんに「岳陵会の総会で予算込みのプレゼンをしてみなさい」と背中を押してもらいました。数週間後には、僕は30枚ほどコンビニの印刷機で印刷した企画書を緊張の手汗で濡らしながら、50人弱の同窓生の方が集まる岳陵会総会に向かっていました。なんとか思いを伝えた結果、「今の学生が動いてくれるのは本当に嬉しい。全力でサポートする。」と認めていただき、ありがたいことに5万円ほどの予算の出資を認めてくれました。そのおかげもあり、企画を再開することができました。
第2回目のプレゼンの様子。
ここまでで関わって頂いた人は大人学生合わせて50人弱。自己中心的な僕からしたらなんでできたんだろう?という程の規模の人を相手に企画を進められていました。木下さんのサポート、力もお借りしながら、一つ一つ手探りで行いました。周りの人の優しさ、仲間意識、後輩への思いなど、周りとの関係やつながりが生み出す力に常に圧倒され、責任感を感じる日々でした。当時自動車学校にも通っていたので、教習の合間に教習場をゆらゆらと走る練習中の車をテラスから眺めながらJASRACや学務、岳陵会の方と常に電話していたことを思い出します。
歌詞ボードの発注もパワーポイントでフォントをPDFにおこし、ネットで数万円の緊張感漂う発注を無事に完了し、学務係とJASRACに権利関係の最終確認をして…と諸々の作業を終え、7月25日と8月1日にそれぞれ静岡キャンパスでの撮影を実行しました。猛暑の中汗だくで撮影に参加してくれたメンバーには、形容できない感謝を感じる一方、絶対に企画を成功させなければいけないという思いが強まりました。
ついに完成へ。
8月11日に無事に浜松キャンパスでの撮影も完了し、すべての撮影が終わりました。
終わってみた感想は、こんな楽しい企画、なんで今まで3年間やってきたんだろうという後悔にも似た満足感でした。仲間たちと現状や社会に対して課題意識を持ちながらも、ワクワクする。そしてゼロから着実に前進していく。そんな経験をもっと早くしたかったという思いでした。というのも、高校までは水泳という個人種目と英語の勉強で一人で水と机に向かう生活をしていた僕にとって、仲間たちと何かをゼロから企画するというのはある意味初めての経験でした。もちろん企画スタート時から連絡のミスやコンセプトである「繋がり」という点の詰めの甘さもありました。木下さん含めアドバイスをくれる方達から「責任感と感謝と行動」という単純ながらも僕には決定的に足りていなかった言葉を、何度も胸に刻みこまれました。当時携帯のメモには、
○自己本意な態度
→周りとの関係の中で自分はいるという観点
○意思の伝え方
→感謝を伝えるにはまずは自分の行動
出会い、ターニングポイントのストーリー
○企画のゴール
→静岡大学が迎える転換期に対して、周りの仲間たちと企画をする中でアイデアを模索する
などと反省点を毎日のように記録していました。そんな反省を繰り返しながらも、9月に浜松の相馬くん宅で夜通し二人で編集をし、ビデオがついに完成しました。諸々の打ち合わせをして、10月末にようやく公開に踏み切りました。
各カットや撮影場所、入るメンバーなどすべてその場で皆で話し合い、一つ一つ丁寧に心を込めて撮影した大切な作品です。ぜひ多くの方に見ていただき、広がりが大きくなっていくといいなと公開から願っています。
前述したOBグリークラブの方には、ビデオ完成を記念して「われら若人のつどい」という上映会イベントを開催していただきました。自分たちの企画が予想もしない出会いと大きさを持って広がっていったことを実感し、企画メンバー一同感謝と驚きの気持ちでいっぱいになりました。
上映会当日に知って驚愕したことが、作詞者の高嶋さんが来校されたということ。後にグリークラブの方が用意してくれた資料贈呈式を副学長と行い、写真を撮っていただきました。
一番右側にいらっしゃるのが当時の作詞者である高嶋さん。威厳のある佇まいとは対象的に、「企画をやってくれてありがとう。」と柔らかい笑顔で話してくれた姿は決して忘れません。本当にありがとうございました。
企画から学べたこと
ここまで企画を進めて行く中で、思いや気付きは数え切れないほどメモに残されていきました。今後の自分の企画や人生のヒントになるかもしれないので、書き起こしておきます。
①喜びを"みんなで"シェアするには
これは最も気を使った部分です。立案時点では一人だったので、皆で企画に向かえる環境にするには、とアイデアを模索しました。会議を定期的に直接集まり行い、ひとりひとりのアイデアが均等になるように計らいながら、撮影終了まで進めていきました。僕一人の作品ではないので、もちろん僕一人がこうしたいと思っても、周りにはそれが良いものであったり、思い入れができるはずがありません。全員の視点からみて思い出が残る作品作りを心がける大変さとやりがいを感じました。
②過去を学ぶ→戻れないから学ぶ
これは木下さんから教えてお借りしたアイデアです。学生歌は50年以上前の作品。今の時代に経緯や思いを学び、歌い直す必要は当時の思いを追体験したいため。しかし直接戻ることはできないからです。僕は言語文化学科の学生です。言葉はただの記号ではなく想いを入れて相手に伝えられる、目には見えない入れ物だと思っています。当時の歌詞から何がわかるのか。何を伝えられるのか。みんなで出した答えはビデオの歌詞だけではなく映像やメンバーの表情や動き、全てに込められていると思います。
③GOODとBADの理由(なぜ駄目なのか、自覚)
NEXT→次どう克服して繋げるのか
これも木下さんからです。これは企画だけではなくすべてのことに当てはまることだと思います。撮影後は家に帰り携帯のメモと睨み合いながら、その人自分の立ち回りから時間配分、会議の様子まで事細かにメモに残し、次回の撮影時にどう改善できるのか、と考える習慣を身に着けようと思いました。以降は勉強だけでなく就職活動にも活かせるようになってきたと思います。
最後に。
僕は最初は自己中心的で、人と何かに取り組むことへネガティブな態度を取っていましたが、全員のアイデアや思いのおかげで、一人ではできないことができてしまうんだな、とゆっくりと、しかし着実に実感することができたこの企画。残りの人生における人との出会いへの感覚に大きなプラスの影響を与えることになると思います。関わってくれたすべてのメンバーには、この企画を通じたからこそ、そして未来なんて見えていなかった高校三年生の冬に静岡大学を選んだからこそ、出会う事ができたんだよな、と感慨深い気持ちにビデオを見るたびになってしまいます。
企画に関わらず、すべての人生は一期一会の連続です。自分に何かを常に与えてくれる周りの仲間たちに感謝の気持ちを持ちながら、そしてそんな人たちのために自分はどう振る舞えばいいのか。ゆっくりと噛み締めながら残りの学生生活、そして待ち受けている社会人生活を送っていきたいと思います。木下さん、そして参加してくれた皆さん、岳陵会やグリークラブの皆さん、本当にありがとうございました。
2020/02/25