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ガチャピンとムック

金曜の夜、家族で居酒屋へ。わりと大きなお店だったけれどほぼ満席状態だった。日中も道が混みがちだし、飲食店の駐車場も軒並みいっぱいで、いろんなことがコロナ前に戻っているような雰囲気。

コロナ以前からこの町は相当静かで、もともと「うっすら終わってる感」が漂っていたから、コロナ禍に入ってからも大きく様変わりしたように感じていたわけではなかったのだけど、この数日は、ここしばらくなかった人出・賑わいを感じる。

翌日は朝からエステへ。思いがけず道が混んでいて10分ほど遅れたらおねえさんがちょっとむっとしてた…ごめんなさい…

30分で腹筋2万回分の脂肪を燃焼するというマシンをあててもらう。運動さえも機械にさせてもらっている人間よ…
夕方、なんとなく罪悪感から歩きに歩いた。1時間30分。今まで歩いたことのなかった道をひたすら歩いた。めちゃくちゃ大きな家に感心したり、軒先の老犬を見つめたり、母校の校庭で野球やってるの眺めたりしながら。
川沿いに桜の木のトンネルを見つけた。来年の満開の時期に歩くのが楽しみ。

BTSのアルバムを何度も聴いている。「Yet To Come」の“あの世感”にすっかりやられている。「Run BTS」もかっこいい。
それにしてもすさまじい情報量と更新スピード、全然ついていけてない…
明日はまた大変なことに!(ワクワク)

それにしても、エンターテイナーとして常に期待を超えてくるってすばらしい。楽しませようとする気持ちと工夫に感動するし、誰がいつ、どんなふうに彼らの情報や作品にアプローチしても、嫌悪感を持ちようがない(と個人的には思う)。そんなふうに存在することって可能なんだ!とびっくりする。もちろんいいところばかりではなくて弱さや失敗も見えるのだけど、それも好意的に受け入れられる。それがないと、むしろ、いやかもしれない。

ガチャピンとムックのことを思い出す。
ガチャピンは何でもできて、賢くて、愛嬌もあって、みんなにも好かれてる。
ムックはのんびり屋さんで、なんとなく失敗しがちで、ガチャピンに助けてもらうことも多かったりする。

ずっと前、とても仕事ができる後輩と話していたときに、その子はガチャピンとムックだったらムックが好きだと言って、すごく驚いた。
自分が小さい頃、ムックはいつもぐずぐずしていて臆病だし、そんなムックに自分を見たからこそ、わたしはガチャピンに憧れていたし、みんなも同じようにガチャピンの方が好きなんだろうなと思い込んでいたのと、ガチャピンのように「できる子」だった彼女が、本当はムックに共感していたのが意外だったのだ。

でも、世の中の人がみんなガチャピンみたいだったら…たしかにちょっといやかもしれない。自分をムックに重ねるからこそ、ムックにもちゃんと笑顔でいてほしい。彼女ももしかしたらそうだったのかな。

誰がガチャピンで誰がムックだという話ではなくて、人間誰しも一人の中にガチャピンとムックがいて、だからこそチャーミングで愛しいのだと思う。

そういえば今朝、ガチャピンとムックは、ポールとジョンからイメージされて生まれたという説がある、というツイートを見て、本当だったらそれもなんだかすごいな、と思った。

なにはともあれ、いろんなことに嫌気がさすことももちろんあるけれど、彼らと同じ時代に生きることができるのは、すごくありがたいこと。

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