他人だけど優しい大人

今日、スーパーのガチャガチャの前で
小さな姉妹が
小銭を床にばら撒いてしまったのを見た。

おとなたちは少し遠くから
あらあ、という顔をして見ていた。

干渉することに躊躇しているような空気に
何だかすごくかなしくなってしまった私は

散らばったお金を拾い上げ
女の子にそっと手渡した。

ありがとうございます、と言われた。
だから、はいよ、と答えて
その場を離れた。

もやもやしながら帰路につき
なんだろうこのもやもやは、と考えた。

踏切の前で
はっ、とした。

もし自分がおじさんだったら
すごく、犯罪感が出ないだろうか?

女の子にあまり警戒されなかったのは
私が弱そうな20代女性だったからでは?

もしかしたら周りのおとなたちは
下手に助けようとすることで
こわい大人だと誤解されるのを
避けたかったんじゃないか?

見ず知らずの他人がこわい、という風潮が
昨今の情勢的に
強まっている気がして
生きづらくなっちゃったなと思った。

他人なのにやさしいおとなはこわい。
他人はこわい。
ひとはみんな信じられない。

今の子供たちが
そんな認識で大きくなっていったら
少しさみしいなと思った。

そして私も
そういう感覚で
他人のこと見ることあるな、と思った。

やわらかい道徳心のような
おだやかな性善説のような
そんなものを

静かに信じていられたらいいのにな。

そのためにはまず
自分がやさしい大人で在りたいな。

ごおん、と音を立てて電車が通り過ぎていく。

大人は明日からも仕事だ。

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夕空しづく/詩人・小説家
眠れない夜のための詩を、そっとつくります。