日記6/17
鼓動と合わせて痛む心臓を、抱きしめるように寝込んでいる。クーラーの調子が悪い。冷や汗が止まらない。お給料が入ったら病院に行ける。左手がぴりぴり痛む。
久しぶりにパニック発作を起こした。どうして、傷を負ったほうだけが、いつまでもいつまでも苦しまなければならないんだろう、くるしくてくるしくてどうしようもなくて、泣きながら床で気絶するように眠る。書きかけの小説の数行を削除し、鮮度が高い一文をいれる。
いのちをかけて小説を書いても、AIに取って代わられてしまうとしたら、この世界に救いなんてなくなる。少なくとも私にとっては。遊び半分で書けるものじゃない。傷を抉りながら、血を吐きながら、それでも書き上げる痛々しい覚悟。書いたものが評価されないかもしれない、無下にされるかもしれない、あるいは資本主義にのみこまれて搾取されて終わるだけかもしれない、恐怖。文章はひとを殺す。それを理解した人しか、文章を書いてはいけない。文章は、ひとを、救うものでなければならない。傷つけようと思って書いてはいけない。絶対に。
心臓が痛い。この痛みが生きていることの証明ならば、生きている間に私は、もっと、書かなければならない。この傷も全部救えるくらいの文章を。雨に濡れたままのあの日の私を、救いにいける文章を。
この痛々しい感情が、AIにコピーされてたまるか。このくるしみは私だけのものだ。私だけが知る絶望は、私にしか象れない。救えない。
全部小説にしてやるなんて言えない。そんなこと絶対に言えない。書けない感情なんて数え切れないほどある。書きたくないことだって。書かないと決めたことだって。なにもかも全部書くことが、正義じゃない。強さじゃない。絶対に。
私は、救いのための文章を書く。いのちをかけて書いていく。それがどんなかたちになっても。誰の記憶に残らなくても。
私が私をゆるすために、痛む心臓と一緒に、今日も筆をとっている。