誰かと誰かをつなぐ私という存在
思えば、誰かと誰かをつなぐ役割、というのをよくしてきたように思う。
ある友達に別の界隈の友達を紹介をするということ、例えば、中学の友達に、高校の友達を会わせる、ということをよくしてきたのだ。
もちろん無理やり会わせることはしないし、会う時は私を含めて3人以上で会うのが基本だ。
なんとなく、この人はこの人が合いそうだな、と思うこともあったりして、そういう時はこの2人にはぜひ会ってほしい!と強く思ったりもする。
この出会いがきっかけとなって、親しい友人になった人、恋人になった人、結婚した人、逆に一度だけ会ってその後はご縁がなかった人。
色々いるけれど、どの人もみんな私の友人なり知人なりで、全ての出会いの真ん中に私がいるということに気づいた。
そして、この「誰かと誰かをつなぐ」「その真ん中にいる私」を今日実感したのは、「つないだ後に私がいない」という事実を自分の中で受け入れ消化できたからなのだと思う。
今までは誰かと誰かをつないだあと、私も少なからずそこに留まっていることが多かったのだ。つないだ同士の2人が、2人だけで会うということはまず無くて、私がいるということが多かった。
そして、そこに私がいないときは、その事実を寂しく思うこともよくあった。
でも、今日、そこにいない私を受け入れられたのだ。
人と人をつないだ後も、私は私でいて。
「つなぐ」という役割を終えても、私は私の時間を過ごして。
私という人間が、地球のような丸い大きな水から雫となって、ピチョンと離れていくのを感じた。
私はそこにいなくても、「つないだ」ということには何も変わりない。
そして、そのつないだ人同士に何があっても、私は私である。
人と人をつなぐ真ん中にいる私を俯瞰できたことで、自分を今までよりも認識できた気がした。
私は、私なのだ。