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「どうしようもない私」になってしまう前の私へ #聞いてよ20歳

 あの頃の私にかけたい言葉を、探してみた。


 20歳のころ、私は、本当にろくでもなかったと思う。せっかく入った大学にもたいして行かず、バイトに打ち込むわけでもなく、親のすねをかじり怠惰に日々を過ごす、ダメな方向でステレオタイプな大学生だった。人には言えないようなこともあったし、斜に構えて、カッコばかりつけていたように思う。3年くらいからは研究にも楽しみを見出していたけれど、しょせんは学生のお遊び程度でしかなかった。

 世の20歳がどんな風なのか、あまりよく知らない。職場のバイトの子たちとも、あまり世間話をすることもないし、たいして真面目に話を聞いているわけでもない。時々思う。生意気なことを言うと。だけど、私よりはずっと立派だなと。

 そんな私が、伝えたいことを言ったとしても、どこにも響かないような気はするけれど。けれど、あの時の自分にかけておきたい言葉は、3つ。


 まずひとつ。何事にも真剣に取り組んでください。斜に構えても、本当に、何にもならない。精いっぱいやることは素晴らしいことだし、できないことをやろうとするのも、決して無駄なことではない。「やればできるけど、やらない」「やっても意味ないから」そんな言葉で、自分の知らない何かを見放さないでほしい。

 それは勉強でもいい。くだらない遊びでもいい。バイトだっていいし、サークルでも友達付き合いでも、ナンパでもかけ事でも、なんだっていい。ただ、やらず嫌いにならないでほしい。そしてやる以上、真剣に、より良い結果を目指してほしい。最終的な結果はよかろうが悪かろうが、どちらでもいいから。

 言われたところで実感なんてわかないだろうけれど、その経験は、本当に大切で、貴重で、得難いもので。すぐには変わらない、だけれど、その真剣の積み重ねは、必ずどこかで力を発揮するはずだ。それも、思いがけないところで。


 そしてもうひとつ。下手でもいい。できなくても、失敗してもいい。ただ、責任だけはきちんと背負ってください。やると決めたのなら、その結果には、必ず責任を持つこと。そうでなければ、その行動は、どこにも、誰にも、自分自身にさえも、響かない。誰かの尻拭いを期待しないで、自分で後片付けまで、きちんとやってください。たぶん、とても辛いし、苦しいこと。けれど、その想いを知っているかそうでないかで、これからの人生は、きっと違ってくると思うから。


 最後にひとつ。振り返ってください。楽しかった。それはいい。嬉しかった。それもいい。辛いし、いやだった。そういうこともあるかもしれない。だけど、楽しいだけで終わらせないで。嫌だからと忘れないで。自分が決めて、やったこと、過ごした時間、そのことを思い返して。良いも悪いも、反芻して。どうすれば、もっと楽しかったのか。なにが、まずかったのか。余韻に浸ってもいい、しばらく頭から消したっていい。だけど、必ずどこかで立ち止まって、考えてほしい。


 20歳の私に言ったところで、素直に受け止められはしないだろうけれど。でもきっと、実践していれば、もうすこし、生きることに、疑問を持たずに済んだんじゃないかなと、思う。今からでも遅くはないよと、声が聞こえてきそうだけれど。頭が凝り固まってからだと、よりいらない苦労を抱え込んでしまいそうだから。それこそ、今の私のように。

 


 たぶん私一人で書いていたら、このnoteは存在しませんでした。書く機会を、考える機会を与えてくれたきゆかさんに心からの感謝を。


 そして、このコンテストを教えてくれたあきらとさんにも、深く感謝を。




 文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。

 本城 雫


いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。