限界は遠く、足取りは重く。
それはまだ遠く、はるか遠く。
もう限界だなと思った。
一向に楽にならない仕事、できることが増えない自分、叱責されすぎたせいか、何をするにも臆病になる、何もしなくても心が怯えている、いつも委縮している。心が休まる時間は唯一この時間だけ、それでも、明日を思えば苦しくなる。何も考えないでいたい、だけれど考えなければ前に進めない、といって考えたところで見当違いで、間違ってばかりいる。また、何度でも何度でも。
休みらしい休みがなかった中、昨日は13時から18時までと短い時間の勤務で済んだ。けれどほかの時間でしていたことは、誇張なく、ただ寝ていただけだった。起きたのは11時で、寝たのは20時。うかつに身を横たえれば、そのまま眠りについてしまうくらいには、活動する気力を失ってしまっていた。
死ぬ気で働いてみなさいと言う、そういうあなたはそうやって生きてきたんだろうなと思う。そうして休みもなく働き続けることが、生きることであるなら、それは私にとってただの苦しみでしかない。
限界だと思う。けれど、残念なことに、「限界だ」という人の限界は、まだ先のほうにあるんだろうなと、ぼんやりと、思っている。
本当に危ないのは、限界だとももう無理だとも、吐き出すことすらできない状態であることなんだろう。だとすれば、私はまだまだ限界ではなくて、もっともっとやれるはずなんだろう。それこそ、仕事と向き合うことさえできたなら。
こんなことを言うのもなんだけれど。そもそも、そんなに働きたいほうではないのだ。昔から、お金よりも時間が欲しかった。ただ、一人であることは身軽で、仕事に使う時間を増やすこともそう難しいことではなかっただけで。仕事で成長したいと思ったことも、のし上がりたいとも思ったこともなかった。
生きるために、働いている。だけれど、もう、それすらも、嫌になる。
すべては言い訳に過ぎないんだろう、人はみんなそうして生きているし、それが普通の在り方で。時々辛かったり、それでも英気を養えたり、支えになるものがあったり、ちょっとしたことなら、笑い飛ばしたり。簡単な仕事なんてないことはわかっている。誰もが一生懸命働いているんだと。
それでも私は、生きていくことが辛いんだ。私のために、生きていくことが、もう、苦しいんだ。
だけどきっと、まだ、体は動いているから。たぶん、限界は、思っているより、まだ向こうなんだろう。たどり着いてしまうまでは、きっと、生きている。
遠いなぁ。
文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。
本城 雫
いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。