「聞いてよ20歳」が教えてくれたこと。
先日、「聞いてよ20歳!」という企画に参加させていただいた。
こちらがその記事。実に、私らしいような、私らしくないような、結局のところどっちなのか、よくわからないままに、ただ、自分には必要だったんだろうなと、思ったことを、書き連ねたもの。
いつもよりもとてもスキをいただいたり、反響をいただいたりして、驚きつつもニヤリとしてしまう。素直に嬉しい。
もちろんその反響は、きゆかさんの企画の広がりからなるもので、私の記事が特別良かったわけでもなければ、唐突に腕が上がったわけでもない。私は私で、いつも通り、私のことしか書けないでいて。そのいつも通りを、昔の私に投げかけただけだった。
けれど、私にとって必要だったものは、ほかの人にも必要なものだった。そしてまた、ほかの参加者の方が自身に投げかけた言葉も、私に必要なものでもあった。
それぞれがそれぞれの人生を歩んできて、そのうえで必要だったもの、足りなかったもの、あればよかったもの、しなくてよかったこと。人にもよるし、全てがそうであるわけではないとわかってはいるけれど、だけど人が生きる上で、誰もが共通して持つ、「こうしたほうがよかった」という思いは、ある程度、共通しているんじゃないかなと、思う。
その数はたぶん膨大で、すべてを言い表すことなんて不可能だけれど、そのたくさんの指針の中で、それぞれが、自分がより良く生きていくうえで、大切だと思うものを、選び取って投げかけていく。私の場合なら、「取り組むこと」「全力でやること」「責任を取ること」「振り返って考えること」。
それは多くの人にとっても大事なことだろうし、そうありたいと思えるようなことだろう。だからこそ、たくさんの人からスキをもらえたし、いろんな人に共感してもらえたんだろうなと、思う。
面白いのは、たくさんの人に響きはするけれど、それはその人たちにとって、一番ではないことだった。だって、その人にとって一番大切なことは、書かれた記事に込められているのだから。
共通する思いや、大切にしたいものは、無数にあって。その中から、その人が歩んできた人生や、良くも悪くもあった経験をもとに、自分にとって最も大切なものを書くこと。だから、たくさんの同じ思いがあっても、結果はまるで違っていて。十人十色、千差万別、なのに、そこには共感が生まれる。そんなことにやっと気づいて、書くことって、やっぱり面白いんだなと、あらためて思ったんだ。
ぼんやりと、「なんであの記事あんなにスキもらえたのかなー、きゆかさんすごいなー」などと考えていただけなのだけれど、みんな同じで、みんな違う、そのことが、なんだかとても面白くなったのでした。
きゆかさん、ありがとうございました。そして進行形でお疲れ様です。
文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。
本城 雫
いつも見ていてくださって、ありがとうございます。 役に立つようなものは何もありませんが、自分の言葉が、響いてくれたらいいなと、これからも書いていきます。 生きていけるかな。