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叫びすらしない気持ちに、前を向かせるように。#表現とこころ賞
この気持ちの乱高下が、生きている証なのだろうか。
ここ20日間ほど、会社の事情もあって、休みが取れていない。食べて寝てはいるため、健康ではあると思う。ただ少し眠い日が、幾日かあるだけで、それも、少し長めに眠れば解消できる。どこか緊張感が続いているせいか、以前ほど落ち込むことも少なくなっていた。いっそ、私は、休まない方が健康的に日々を過ごせるのかもしれない。
それでもやっぱり、どこか、高く、遠いところを、探してしまう癖は、抜けないでいる。
このところ、週に一回、別の支店に出勤している。自宅からは車で1時間ほどで、通勤距離としては無理ではないけれど、普段が10分ほどなので、とてつもなく遠く感じた。普段とは違う景色を1時間、山道を登りぬけていく。どんどんと標高が上がり、時折ダムが見えたり、眼下に道路や街が見えるところもあった。
そして思うのだ。ここに車を止めて、下を、覗き込んでみようかと。
まだ実行はしていない。思うだけ。だけれど、普通に生きていて、どうして、そんなことを考えてしまうのだろう。なにも嫌なことがあったわけじゃない。死にたくなるほど辛かった時間は、もう過ぎ去っていて。今の自分は、穏やかとは言わないまでも、終始落ち込んでいるわけでもないのに。ただ、どうしても、ここでなら、失敗しなさそうだなと、当たりをつけてしまっている。
癖になってしまっているのだろうか。それとも、気づいていないだけで、私は絶望してしまっているのだろうか。
実際のところ、自分が、生きることについてどう思っているのか、未だによくわかっていない。高校生くらいの頃は、死にたいと言いながら、誰かにかまってもらいたかった。だけれど、今は、どうなのだろう。誰かに心配されたいのか。「私はこんなにつらいから、どうか慰めて」と、そう言っているのか。
たぶん、そうではないと、思う。心配してくれる人がいるのはありがたいことだし、またかと呆れられることも仕方がないことだろうけれど。どうしてだか、生きることに、執着できないで、いるようで。
責任感があれば、そう思うことはないのだろうか。たとえば愛する人がいて。たとえば幸せにしたい人がいて。たとえば、守りたい人がいて。結婚して、子どもを産んで、家庭を持って。だとしたら、自分にとってかけがえのない人たちを、守ろうと、守りたいと、思えるのだろうか。
私にとってそれは未知の世界で、どれだけ想像しようとも、たどり着けるとは思えなかった。だけれどそれは、自らの生をかけて、挑むべき戦いなのかもしれない。大切なものを、守りたいと思う、その気持ちは、湧き出るものであって、意識して作り出すようなものではないのだと。そしてその想いこそが、生きるための活力になっているのだろうか。
誰かと一緒でなくてもいい。自分一人でも。守りたいと思える、人や、ものが、あるからか。成したいことがあるからか。愛すべきものが、大切にしたいものが、楽しみたいものが、あるからなのか。
羨ましいと思ってしまう。なにも、未練がないと、感じてしまう、私。
ニュートラルな気持ちでさえ、影を差すのだから、落ち込んでいるときなど推して知るべし。上がる気持ちは押さえつけられて、それでも、仕方がないねと、どこか納得している。成したいことが、ない。やりたいことも、ない。ただ漫然と、生きているのだと、自覚している。
惰性で生きている。そういう表現が似合う生だと、今の自分を振り返る。どうしてもやりたいということがない。熱意もない。だから根気もないし、長続きもしない。あれは無理だ、これは駄目だ、自分で自分を縛りつけているようにさえ思えてくる。いや、実際、そうしているのだろう。楽しいことも、楽しみ過ぎないように、嬉しいことに、浮かれすぎないように。いつもブレーキランプをともして、徐行している。落ちる時は、アクセルべた踏みのくせに。
そう、わかっているのだ。楽しくないのも、生きたいと思えないのも、自分の所為なのだと。
「どうせ生きるなら、楽しく生きなさい」とは上司の言葉だ。当たり前のようで、簡単ではない。誰にとってもそうだろう。そして私には、とてつもなく難しく感じてしまう。なにせ考え方が、180度近く違っているのだから。
変わることには多大な労力が必要で、時には痛みも伴うだろうし、なによりも努力が欠かせない。どれもこれも私が嫌いなものばかりで、顔をしかめてしまうのだけれど。
それでも、自分を縛り付けてしまっている鎖を解きほぐすために、今日よりも明日が欲しくなるように。そして高いところから景色を見渡した時に、「綺麗だな」と素直に思える心になるために。嫌になってしまわないように、ゆっくりとではあるけれど、変えていければいいと、今は、そう思えるから。
絶望と失望を振り切って。なりたい自分と、持ちたい心を、思い描いて。また、明日をひとつ、重ねていく。
文筆乱れてお目汚し。失礼致しました。
本城 雫
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