わたしの空は、 何度でも晴れる。
正月が開けて、仕事始め。(そんな習慣もワードもあんまり自分には根付いていませんが)
4日は彦根のいろあわせで、今日は長野に移動して、ジョブライブの年始合宿に向かっています。多分夜書く時間が取れないので、朝のうちに。
こうやって書き残そう、と思った理由の1つに、ジョブライブで同じくパートナーとして働く、大ちゃんから
「この2年、本当に人生変わったよね。何があったのか知りたいし、書いたら参考になる人、たくさんいるんじゃないかな?」
と言われたこと。
それを言われたのが3か月前くらいで、それから書こう、と思いつつも後回しにしていました。カレンダーのTODOリストにはずっと入ってたんですけどね。。折角のこのやろう!と思った瞬間に、これも随時書いていきたいと思います。
転機は、2016年夏。
当時私は結婚していましたが、家庭内で色々あってストレスフル。そんなある日、Facebook投稿に出てきた大ちゃんの記事が目に止まりました。
それが、ジョブライブとプロハとの出会い。
「やりたいを、シゴトに」を理念に、仲間と起業しました。「起業家/複業家の集まる秘密基地」というコンセプトのTOKYO PRODUCERS HOUSEを東京でやっています、という記事。(うろ覚え)
しかも、京都学生祭典時代の仲間との起業。代表のことも、私知ってる。そうだ、会いに行こう!
家から逃げる理由を探していた私は、大ちゃんにアポを取り、プロハへ足を踏み入れました。再会は実に7年ぶり。
そのときの会話は他愛もないもので、近況を話して、じゃあまたね、と言った去り際に代表の海斗に再会。向こうは私のことをほぼ覚えてなかったんで、微妙な顔してましたが、お互いの携帯には番号もメールアドレスも入っていたまま。
次はいつ東京に行こうかな、と思っていましたが、再会は、結構あっという間に、まさかの場所でむかえます。
その1か月後。大ちゃんからメッセージが入ります。
「無人島、いかない?」
「・・・む、無人島????」
アウトドアもしたこともない、もはや、インドア。
そんな私が、無人島?大丈夫かな?と、少し不安はありつつも、家から逃げる理由が欲しかったので、即答でした。
「行く!」
これが、無人島プロジェクトとの出会いでした。
2泊3日の無人島。当時は小豆島にいたので、集合場所の姫路まで航路で一本。本来は姫路駅集合なのですが、どうせ姫路港にくるということなので、私は港で合流。約20人の最高に楽しい2泊3日でした。
連絡を取りたくないから、携帯は、鞄の奥底にしまい、最初から見ないことに決めていた。
海に入るのだって、本当に何年ぶりだろう、っていうくらい。
キャンプにも行ったことがないので、テントを立てることも、火起こしも、何もかも初めて。聞きながら、見様見真似。
それでも、無人島では、何もいらなかった。
波の音と一緒に眠って、朝日で起きて。
がんばらなくてよかったんです。
もともと料理は好きでしたが、当時はストレス解消であり、COOKPADに掲載するため、現実逃避のためにやっていた。
無人島で、限られた材料と器具で、できる限りのことをする。
みんなが美味しいと喜んでくれる顔はただ嬉しかった。
夜は、火を囲みながら、お酒を飲みながら、とにかく語りました。
仲間と一緒に、心から笑っている自分がいました。
「笑っている自分」がいる。
当時の家の中で、どれだけ私は笑えていなかったのかに気付きました。
どんなコミュニティの中でも、職場でも、サービス業の現場でも、「明るいね」「笑顔がいいね」と褒めていただくことが多かった自分が、笑えなくなっていた当時。
「生きるって何だろう」
私が無人島で出した答えは、「楽しく笑っていられるかどうか」でした。
私は、笑ってなきゃ、生きてる!って言えない。
そのことに気づいた日の夜のキャンプファイヤー。皆が感想や気付きをシェアしていく中で、私は20人の仲間に向かって、「離婚します」と宣言しました。
もう一度、全力で笑いまくって、自分を生きたい。そう思ったから。
自然の中で過ごして、ただ生きるために目の前のことをして、仲間と過ごして。誰かに人生相談をしたわけでもなく、ただその場を楽しむ。ただそれだけなのに、心にかかったもやもやは晴れた。そして捨てる決断までしてしまった。
人生的にも大きな決意だけど、その選択で大丈夫!と背中を押してくれたのは、まぎれもなく、自分の心と向き合った無人島と、そこでできた仲間。
結婚生活は1年程度にしか満たないし、地方で出戻りという烙印。(笑)
親にも申し訳ない気持ちは多少ありましたが、最後に帰っておいで、と背中を推してくれたのは母でした。(実際問題、笑えない問題ばかりだったので)
そして、半年のニート期間を経て、離婚が成立。
香川でいつかカフェを開きたいという夢を持ち、知り合いを通してアルバイトを始めました。そして、人生を変えた無人島体験を広げたい!と思い、翌年のムジプロにはスタッフとして参加。
毎週1回、海斗とオンラインミーティングを重ねていたのですが、ある日唐突に言われた一言がこちら。
「東京、来ない?」
「・・・へ?」