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植物が育つようにつくる社会

「植物が育つようにお店をつくる」

東京・西国分寺でクルミドコーヒーを営む影山さん。
カフェを全くやりたくなかった彼が、気が付けば10年。僕はカフェをやるために生まれてきた、という。ちょうどカフェを立ち上げようとしているので、学びの多い20分間の内容だった。

カフェの魅力は目的もなく集まれること。
世の中は、自分が何に興味があるのか、何を取り組みたいのか、自分のエネルギーを何に注ぎたいのか見えない人が多い。
目的もなく立ち寄り、自分と対話する場所になるのが、カフェである。

目的もなく集まった方が、実はいいアイディアがでてくることがある。
「食べる」ことを真ん中に置きたい理由は、いろんな気持ちの人をまるっと受け入れて、食事を共にするだけで、日々の色々や、やりたかったことに気付いたり、やり始めるきっかけを貰えたりする、と気付いたから。

カフェの面白さは日々いろんな人が集まって、面白いことが起こる。1杯のコーヒーや1人のお客さんに真摯に向き合えば、アイディアが生まれたりすることがある。
また、一緒に働いてくれるスタッフに「あなたは、人生の道すがらのひとつにここにいてくれている。この場を使ってあなたは何を表現したいですか?」と必ず問いかける。
みんな最初は言語化できなくても、考えるきっかけを持ったことで「実は・・・」と小さな種が出てくる。そんな種が芽吹き、花ひらき、生命力が満ちることで、お店は大きくなってきた。

小さな種は、自分では気づかないこともある。
毎日の忙しさに考えることを辞めてしまい、気付けば1日が、1か月が、1年が、あっという間に終わる。
自分と向き合ったり、思考を整理するためには、そのための専用の時間を設けないと、またすぐに延び延びになっていく。また、自分で実は自覚していても、自信が持てないときもある。誰かに後を推して貰えるなら、少しだけやってみようかな、という気持ちになる。そんな時に、否定されずに、ざっくばらんにやりたいことを話せる場があること、そしてやりたいことがあると言った人をいいね!とサポートできる人や場所が、世の中には必要なのだと感じることが多い。

「あなたは替えがきく存在」、ではなく、
「あなたがいるからこの仕事は成り立つ」

私は、3回の転職をしてきました。そこで学んだことは「社会は私一人いなくても、何もなかったように回っていく」という現実でした。
今までのピラミッド型の組織は、仕事の効率化を生んだ。だけど同時に、人間も手段化された。底辺で働く自分は、個人であるけれど、駒であることは間違いない。辞めるときには、いてくれないと困るよ~なんて言われてきたが、私が辞めたからといって、会社がつぶれることなんか、全くない。
影山さんの「逆三角形」の社会構築は、とても魅力的に感じた。
「あなたがいるから」の仕事のやり方を当たり前の社会にしていきたい。
少なくとも私の構想しているカフェでの働き方は、これに近いし、さらに言えばシフトを誰かが決めるという概念も取っ払いたい。

地域通貨「ぶんじ」は、使う時に一言メッセージを書くことがルール。
受け取った仕事に対しての感謝の気持ちが、通貨を使うことでメッセージが上乗せされて帰ってくる。
「受け手」が「送り手」を育てている。

自分のしていることを、誰かに認めてもらいたい。”承認欲求”は誰にでも、ある。受け手からの気持ちが受け取れると、送り手はもっと喜んでもらいたい、という利他の心が育つ。誰かが喜んでくれる顔は、サービス業をしている一番のやりがい。

影山さんのやっていることは、めちゃくちゃキレイゴトに見えます。
ご本人も、キレイゴトに聞こえる内容です、という前置きからお話をはじめていたが、キレイゴトでも、「徹底的」にやれば、必ず結果や数字に反映される。中途半端にすると、すべてが半端になってしまう。

「まちは交換の集合体」
毎日誰かと接して、何かを介して人は「交換」をして生活をしている。
貨幣というものがなかったときは、作物同士や、労働力で。
大量消費の時代は終わった。
今は貨幣があるからこそ、想いが伝わりづらくなっているのかもしれない。
1つ1つの交換が、ちょっとだけ変わる。
気持ちの入った交換がもたらすのは、あたたかい社会なのだと思う。

私のつくる場所は、「小さく動き始める人があふれる場」にしたい。
それこそ、訪れる人の種を見つけ、場所という土壌に撒いて育てて、花を開かせる。
「自分にもできた」という体験を、一人でも多くの人に。
そして、私もそれをサポートし続けたいと思っています。

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