この家どうするの?(49)葬儀屋さん今昔・25「お寺さん」
ここは実家なんだけど、父の家。カレンダーに「お寺さん」の文字が残る。あした、お坊さんが来る日だ。
ぐうぜんなのか?
連絡する手間が、はぶけた。
つらくなるかたは、お読みにならないでください。
(1625文字)
これまでのあらすじ
「葬儀屋さん今昔」編も長くなりました。ほんの3日ぐらいのできごと。まとめておきます。
(葬儀および火葬は、自治体の斎場・葬儀社ににより違いがあります)
金曜日から月曜日までの4日間。
当時は疫病もあり、葬儀もなし。ほぼ、わたしひとりの直葬でラクでした。
終了、オットと娘に連絡する。
きょうも帰れない。
実家でまだ用事があるのです。
お寺さん10:00
父の私物や探しものをしたので、家のなかは荒ぶっている。そんななかで壁に下げてる大型カレンダーに父の文字。
あすの日づけで「お寺さん10:00」
父は年に一回、むかしから「お寺さん」、つまりお坊さんに来ててもらっていました。
お寺さんは明日に来るのか。
火葬まちの場合でも、お坊さんに来てもらったら、おがんでもらえるやろ……助かる。
なんて冷たい娘でしょうか。
それにしても、はかったような日程だ。父は、すでにわかっていたのかな?この日ならええやろと。
お寺さんが来る日。
一歩まちがうと大惨事
わたしは胸をなでおろす。
かりに父の孤独死が発覚してなくて、私より先に「お寺さん」がやって来てたら……。
ピンポン鳴らせども、出てこない父。不審に思って警察に。第一発見者が、お寺さん……!
事情聴取とか、いろいろ、いろいろ。家に帰られへんで、これは。
私が先に見つけといて良かったわ。
いやほんま、不幸中のさいわい。
タイミングがずれていたら、エライことになっていたのです。
寺じまい
「お寺さん」は祖母が生きてる時代は、となり町にお住まいでした。
むかしは自転車やらバイクで袈裟をなびかせ、お坊さんが何人も走りまわっていました。
あの戦争でたくさんのひとがなくなり……30年すぎても、みんなで手を合わせていました。
線香のけむり。日常的な昭和のまちの風物詩でした。
平成のはじめの祖母の葬儀もお寺さんが来ました。その後しばらくして、お寺さんの息子さんが来るようになりました。
代がわり。息子さんは、たしか民間にお勤めだった。他県で就職し住んでいると聞きました。
自営業というもの、子どもをいったん社会に出して、家のお手伝い・見習いをして継業。
そんなスタイルも増えましたね。
二代目お寺さんは、
なんと【寺じまい】? をしたのです。
「これ以上、寺をひろげることはしません。これまでの父のおつきあいだけにさせていただきます」
二代目お寺さんは、他県で暮らし定年まで企業にいました。大阪の寺じまいをしたので、しょっちゅう来れません。車で2時間ぐらいかかる距離に。
それでまとめて、家に年一回来てもらうようになりました。父もそれが楽だったのです。いろんな仕事のかたちがあるものですね。
父は一年前に、二代目お寺さんと会ったのが最後になってしまった。
明日、お寺さんはビックリ仰天するだろうな。四十九日とかお願いしようか。
お布施やったっけ、お金いくらかな。聞いとけば良かった。
とりあえずお供えとお花、朝イチに買いに行くね。
仏壇の白くてちいさな父。
なにも答えてくれなかった。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。