あんこめぐり(2) 夫婦善哉 (めおとぜんざい)
夫婦善哉。
ぜんざい店の屋号であり、お店の看板商品です。
観光で来られたカップル、夫婦善哉を見るや、
「ぜんざいは、ふた椀ついてる。ふたりで分けたらいいの?」
その都度、説明してくださる店員さんの、やさしい声が聞こえます。
まず、お店の夫婦善哉
あまりにも織田作之助の小説『夫婦善哉』が有名で、肝心の『ぜんざい屋さん』のことは、あまり話題に上りません。
わたし、恥ずかしながら夫婦善哉というのは、『夫婦善哉の小説の中で何度も出てくる、ぜんざい屋さん』か、『夫婦善哉の小説が話題になり便乗して、お店が出来た』か、どちらかと思っておりました。
『夫婦善哉』を読まずに『夫婦善哉』を食べていたのです。
『夫婦善哉』で最後のさいご。
ヒロイン蝶子と、夫ならぬ、かけおち相手の柳吉が、法善寺境内の、ぜんざい屋さんの看板商品「めおとぜんざい」を食べるところで終わる。
なんと、そこだけの登場。それがお店の『夫婦善哉』です。
まめメモ
この『夫婦善哉』のおはなし。
時代は、大正末期から昭和十年ごろの設定だそうです。
それより前に、大阪の法善寺境内に有名な『ぜんざい屋さん』が存在していたのです。
●夫婦善哉の歴史|夫婦善哉●
織田作之助の小説『夫婦善哉』
夫婦。 いまも、むかしも。
お椀ふたつで一人前。
いまの言葉で「にこいち」
完全な人間はいない。
結婚しても、お互い半人前。
足りないところを助けあったり、ケンカして離れたり、よりを戻したり。
いまも、むかしも恋愛や結婚の根っこの部分は、変わらない。
蝶子は大阪のバイタリティーあふれる女性。
この時代、女性はみんな彼氏や旦那さんをガッチリ掴んで、交際や家庭を切り盛り。男性は…。
けっこうドタバタストーリーかも。
まだ結婚していないふたり。
いや、できないふたり。
現在の事実婚というべきか。
(いまでも大阪のどこかに、こんなカップルいるかもね)
わたしは、やっと読んだ次第です。大阪に住んでいながら。
わたしの祖母も織田作之助とおなじ、大正2年の生まれ
「夫婦善哉」すんなりと読めました。
わたしの祖母も使っていたコトバが多かったのと、生活が想像できたからです。
調べてみれば織田作之助と、わたしの祖母は1913年・大正2年生まれ。なんと同級生。
祖母は「学校もロクに出んと(卒業せず)、奉公に出た」
これが庶民の普通のくらし。
小学校を卒業後は、すぐ働きます。
令和のいまなら、中学生の若さで。
祖母は、ヒロイン蝶子と同じく「商売=お店」を次々と…
いまで言う「自営業」ですが、そんな簡単に看板を出せるのか不思議です。
それだけ生きるのに必死、一杯いっぱいだったのでしょうね。
『夫婦善哉』の蝶子と柳吉が営んだ、
「赤物屋=果物屋」「関東煮屋=おでん屋」は祖母も、そう言っていました。
わたしは、いまでも言います「かんとだき」って!
あと、「青物屋=八百屋」とか。野菜の緑は青いですものね。
「荒物屋」とか、「金物屋」は、鉄やブリキの生活用品のお店。
「物」は「もん」と発音してたんやな。
今さらながらの祖母のむかしの言葉を懐かしく思い出しました。
わたしの祖母は毎日、洗濯・掃除と雑巾がけ・仕事・市場に買い物に行き、休む暇なく働き、晩ごはんのおかずを作る。
「私は『食物屋=『食堂』』」をやってたから、よぉ知ってるで」
「材料を小さく切りすぎるとあかん、煮たら縮んでもうて、余計に沢山、盛らんならん、損や。大きすぎてもあかん、沢山仕入れせなならんし」とも。
それで祖母は料理も無駄がなく手際がよかったのか、しみじみ…
そんな亡き祖母の生活と重なる『夫婦善哉』。
親近感の水脈にあたり、地下の深いところの記憶の水が噴き出した。
よし、読んだ!
『あんこめぐり』の夫婦善哉に再チャレンジ!
◆あんこめぐりは、2022年3/5~6/12まで
◆終了しています
お椀ふたつで一人前。
夫婦も、ふたりで一人前。
法善寺横丁の夫婦善哉。
お店に入ると、織田作之助と壁一面の映画・舞台の写真。サインも多数。
栗甘露 夫婦善哉
一人前のぜんざいを、ふたつのお椀に、わざわざ分けて。
甘露煮の栗が入ったぜんざい。
仲よく、お盆に座っています。
ちょこん。白玉と栗の甘露煮がおすまし。
ちょっと、よそ行き。
ほほえましい。
水分多めの、なめらかなぜんざい。
汁とあんこの絶妙のバランス。
『夫婦善哉』の最後。
いま、気がつきました。
「めおと」という字は『夫婦』でなくて『女夫』なのです。
夫が先やない。女が先。やっぱり強いんやなぁ、オンナ!
法善寺横丁や『夫婦善哉』に、お出かけの際は、マスク着用・感染対策にご協力を、お願いいたします。
いつも こころに うるおいを。
水分多めの おはなし。
最後まで、お読みくださり
ありがとうございます。