豊湯さん・豊か湯・ゆたかな湯【大阪銭湯】
銭湯。サウナやスーパー銭湯に押された「元祖おふろや」さん。設備は無くとも、お湯はたっぷり、豊かな湯。
大阪銭湯の暖簾は真ん中くるりんぱ
戦後の高度成長期時代。道路や建物が復興を遂げて大阪に万博がやってきた、そんなころからある銭湯、豊湯さん。
豊湯さんは15:30から営業。早い時間は女将さんがいます。常連さんが来るとタイミングよく扉を開けて、お迎えを。
銭湯の入り口には暖簾が掛かっています。関西の銭湯の暖簾は、なぜか丈が長い、目立ってナンボの大阪だからかな?
そして、暖簾の3つに分かれた部分の真ん中がくるんと巻き上がってたり、短かったりします。
これは、お客さまに暖簾が絡まり、通りにくいからです。
若者なら、片手でヒョイと暖簾を分けて通れますよね。
しかし、年配のお客さまの中には、杖をついてたり、手押し車を押して来られるかたも多いです。
暖簾に引っかかり、転倒でもしたら大変。
それで、暖簾の真ん中を開けて通りやすくしているのです。お客さまが来る度に段差につまづかないか、優しく見守る女将さんなのです。
銭湯の暖簾ひとつで、お客さまの年齢層が、いかに高いかわかりますね。大阪銭湯で「暖簾の真ん中くるりんぱ状態」になってても、どうか戻さないでください。
東洋のマンチェスター
大阪市の湾岸エリア此花区。
戦前は「東洋のマンチェスター」といわれた重工業地帯。
工場で働く人のために汗を流す銭湯や、映画館などもある煙と人の町でした。
現在テーマパークのあるエリアは戦時中、軍需工場だったのです。
豊湯さんのすぐ横を、国道43号線が南北に走ります。
この国道43号線を境に空襲の被害が分かれました。
現在テーマパークのある西側エリア付近は焦土となり、多くの町や工場、小学校が消えてしまったのです。
豊湯さんの女将さんによれば創業50年ぐらいだそう。
豊湯さんは国道43号線のすぐ西側、戦禍に会わなくて良かった。まだ開業前だったのですね。
1970年代の匂い
戦後の高度成長期時代、道路や建物が復興してゆき、大阪で万博が開催された頃。
豊湯さんの脱衣場・浴室の雰囲気が、まんま、あの頃の銭湯スタンダードです。
湯船は、深湯と、広めの浅湯。いたってシンプル。浅湯には、ジェットバスがあったのですが止まっています。御影石の湯船の縁取りと腰掛け、グレーは浴室のアクセント。落ち着きます。
ガラスのエンゼルフィッシュ
浴室との境、すりガラスは、熱帯魚・エンゼルフィッシュの絵が彫ってある。すごい。熱帯魚、流行ってました。
むかしの銭湯には、よくありました。いまなら贅沢品、ガラス彫り職人さんが、既にいないのでは…?貴重です。
ギリシャの女神像
1970年代。流行だったのか、外国の憧れか、白いギリシャの女神像・キューピッド像・動物像などが、あちこちの喫茶店や銭湯にありました。
豊湯さんには、三位一体の女神像。
三体とも背中を合わせて立っています。大きな貝殻を肩に抱き、一体だけ、その先からお湯が流れ落ちている優雅な姿。
前に行った時は少しくたびれていました。今回、きれいになっていました。他の銭湯で、たまに見ます。1970年代の匂いがします。
タイル絵アートと中庭
浴室から入り口を見ると、タイル絵があります。女湯「白鳥の湖」、男湯は、あまり見えませんが「風車」が見えます。
この絵柄、大阪市旭区の神徳温泉さんでも見たような。同じ職人さんの作でしょうか。うっとりします。
豊湯さんの浴室の奥には中庭もあり、灯籠や信楽焼の狸、白雪姫の小人さんが並んでいます。
まとめ 豊湯さん
むかしの銭湯の豊湯さん。針のついた体重計、木製ベビーベッドなど、まだまだ現役グッズがズラリ!
サウナも何もない。看板さえ文字がない。あるのは豊かな、お湯だけ。
あ、湯上がりドリンクはあります。そして女将さんの優しいおもてなしをどうぞ。
いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?