シンママの娘(13) 親が離婚すると
娘は女の子を出産し、新ママになりました。
産後1か月は、わが家で。
新ババのわたしは、すでに「娘の離婚」が頭にありました。
親の離婚 わたしの場合
実は、わたしの両親も離婚組。
夫婦仲は悪く…わたしは小さい時から「親はリコンする」んだと思っていました。
離婚が実行されたのは、わたしが中学一年生の夏休み。
だいぶ大きくなって思春期の多感な時期でした。うすうすは…わかっていたけれど、自分では、どうすることもできないこともあるんだ、親だけは……
いまなら「親ガチャ」の一言ですね。
わたしの両親の離婚は、昭和51年でした。
当時は父親が強い時代だったかも。
父親が、子ども(わたし)の親権を取り、母は家を追い出されました。
実際、父親が自分で養育…というよりは、自分の母(わたしにとって祖母)に面倒を見させていましたが。
そんな「父子家庭」も少なくなかった。
母親に収入が無いのが普通の時代。そして、母には二度と会えませんでした。
令和時代になっても、離婚の根っこは変わっていないと感じます。
親権の無い親は子どもに会えない。参観日にも行けない、通報される…
もしかしたら昭和時代より、親も子も生きづらくなっているのでは…と、わたしは思っています。
ものわかりのいい子ども
親の離婚を、なかったことにして、「何食わぬ顔で生きる」
わたしは、ひとりぼっちでした。
誰かに相談したり本を読んだり、勉強したりと、孤独にならない方法は沢山あったはずなのに。
ひとりで泣くことしか、できなかった。
人と会話することもできず、人と接するのが怖かった。
「父子家庭」「母親いない」「恥ずかしい」……
今なら何かの病名に該当したかもしれない。
ものわかりのいい子ども。
黙っているけど納得してるわけじゃない!
今ならハッキリ言える。自己主張しないと世の中を渡れない。生きていけない。
親の離婚後10年は、心身ともに不安定な人生でした。
娘の離婚
まさか自分の娘が。
じぶんは結婚に対して最大限の注意をし、離婚しないような相手を選んだ。
育児に自信のない、わたし。
オットの「子どもは、ひとり」宣言に実はホッとしました。
結果的に、ひとり娘で甘やかしてしまった。
わたしは、親の離婚のコンプレックスから脱していなかったのです。
娘に服やオシャレの不自由をさせてはいけない。誕生日のプレゼントをする。親子で買い物したり、美味しいものを食べたい。友達のように仲良く。娘に自分勝手な毒を、まき散らし、吐き散らし。
じぶんが経験したことのない、想像していた「母と娘」になりたかった。娘は早くから自立したかったのに。
またオットも、娘を可愛がりすぎました。
何でも買い与え「買って貰えるのが普通」だとばかりに。
それで、結婚したら「男の人は何でも、しぶんの言うことを聞く。聞いてくれるものだ」と思ったかもしれない。
できちゃった結婚
なんとかなる。大丈夫。子どもは可愛い。男の人は優しくしてくれる。育児に協力的。男の人はじぶんの味方。何でも聞いてくれる。何でも買ってくれる。わたしと赤ちゃんを守ってくれる。
希望は果てしなく高く。
いいことしか浮かばない。
悪いことなんてない。
だって結婚するのだから。
幻想。すべて。
カワイイ孫と引き換えに。
さずかり婚は、さすがに離婚?
披露する疲労宴
娘の、できちゃった結婚。披露宴は、した方が良かったのだろうか?やはり、まわりへの告知と家庭を持つことの決意、ケジメ。
家同士の付き合い。
もろもろの疲労を披露宴の二時間で帳尻を合わせるものなのですか?
世の中の「できちゃった婚」したカップルに聞いてみたいです。
結婚生活、うまくいってますか?
里帰り出産を経て、産後1ヶ月まで、いっしょに暮らす孫。
問題は、その後。
娘と孫が新居のマンションに帰ってからだ。
娘の心身を見守る。
孫が小さなうちに離婚。そのために就業、仕事をしなければ。
収入もなく養育できないとなれば、わたしの母の二の舞。
婚家を追い出され、子どもに会えない、会わせてもらえない!
それだけは、避けなければ……!
いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。