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寿温泉さん ・ 閉業お別れ会 (大阪市港区の銭湯)

2025年1月に突然閉業、大阪市港区の銭湯・寿温泉ことぶきおんせんさん。


古い銭湯だけに、いつかは。
いやや、そんな急に。
わけがわからない銭湯ファンたち。
なんと、1日かぎりのお別れ会があるという。
しかも内部撮影可のお知らせ。


銭湯の脱衣所・浴室はプライベート空間。
スマホ使用・撮影禁止です。
この記事は、大阪の典型的な昭和の銭湯を撮影した貴重なものです


かなり長い記事です。
画像だけでも、ごらんください。大阪銭湯のたたずまいを。
(4847文字)



寿温泉さん(閉業)


寿温泉さん(閉業)
大阪市港区弁天4丁目

大阪のベイサイド港区・弁天町。
寿温泉さんは、2023年・NHK 朝ドラ『ブギウギ』のロケ地になった銭湯でした。
2025年・突然、設備不良での閉業。
なんともやりきれない幕ぎれとなりました。

朝ドラ『ブギウギ』ポスター
閉店のお知らせ


銭湯の本を出版している『旅先銭湯』さんの X (旧twitter)に寿温泉さん閉業の投稿が……。
その後、1日かぎりのお別れ会があるのを知りました。
旅先銭湯さんのことは、記事のおわりに書きます。


♨️♨️♨️


  1日かぎりのお別れ会

日時:2025年2月15日土曜日
時間:14時~18時

この日、わたしはバレエのレッスン。発表会の練習が夕方まで。何時に終わるか不明。これをのがすと……寿温泉さんは。


さいわい17時まえにバレエ終了。
急げば間にあう。着替えもそこそこ、大阪メトロ・中央線に乗車。もより駅の弁天町に向かいます。
行き先は「夢洲(ゆめしま)」になっている。1月に開業したばかりの。
それより、寿温泉さんに急げ!


行先は
コスモスクエア駅から夢洲駅に
大阪メトロ・弁天町駅
ホームドア設置

夕暮れに追いかけられ、寿温泉さんに到着。
晩ごはんのまえに、おふろ。
子どものころの銭湯がよみがえる。
はやく、はやく、時間がない。



♨️♨️♨️


  木とガラスとタイルの銭湯

現在、大阪で営業中の銭湯は外観がガラス張りで、ネオン輝く外観とフロント式が主流……。
寿温泉さんの外観、壁の全面がタイルなのだ。この昭和のたたずまいにオドロキを隠せない。



暖簾を掛ける板。なんと木の板に穴があいている。ここに暖簾のさおを通すのだ。これぞ昭和の店先。
入り口の上部に、明かりとりの窓。
壁の曲線も職人さんの技だ。
アイテムのひとつひとつが。



気がいて、下駄箱や傘箱を撮影していませんでした。木枠にガラスの引き戸。令和のいままで、よく残っていましたね。
ふつうに、女湯から入りましょう。


御婦人・殿方

引き戸の手をかけるところ、塗料がはげて木肌の色が、むきだし。長年の営業を思わせる番台。
ふだん番台は入浴料を払って通過するところ。ゆっくり見ると、なんともいえない、まるみ。
木というだけで、あったかい。
いざ、禁断の銭湯の内部へ。
ここからが、寿温泉さんの貴重な画像です!


番台


司令塔のような木の番台。
銭湯のガラス冷蔵庫。銭湯ドリンクもディスプレイされています。
ビン牛乳は、ないけれど。
リアル昭和の銭湯。
男湯がつつぬけ。こちらも。
これが恥ずかしかった記憶。

湯上がりの楽しみ
どこの銭湯にも
衝立(ついたて)があった


♨️♨️♨️


  脱衣所の撮影

「こんにちは」あいさつする。
脱衣所は、すでにおかたづけモード。
5人くらいが作業をしている。


寿温泉さんか、スタッフさんなのか。失礼にも誰だかわからないひとから、1枚の紙を渡されました。
寿温泉さんの見取り図・解説が書いてある。
ありがとうございます。
クレジットはないが旅先銭湯さんが作ったのだろう。


これは興味ぶかい、勉強になる。
永久保存版。参考と引用をさせていただきます。
わたしは、恥ずかしくも大阪銭湯のつくりや歴史は知らないのだから。


「ありがとう寿温泉」説明文


ふだんは撮影不可の脱衣所。
天井がたかい。お寺のような「格天井ごうてんじょう」というのは知っている。
寿温泉さんのは「折り上げ格天井」と書いてあります。さらに格が高いのか。
大阪の銭湯では、この天井もほとんど残ってません。



男湯の脱衣所にプロペラ(扇風機)
どんな涼風だったのか、だれも知らない。


女湯のベビーベッド。
今日は、ここで銭湯の本やグッスを売っていたのだろう。
あかちゃんの泣き声、子どもの笑い声は聞こえない。


ベビーベッド

男湯・女湯の出入りは自由のようだ。確認のまえに、あっちこっち入っていますが。
タイルと茶色い木しかない。鏡は大きく脱衣所をつつみこむ。
脱衣箱(ロッカー)は、セルロイド調のうすいグリーン。派手な合板になったのは、いつからだろう。

柱時計の最後の仕事
社交サロンのようなソファー
針がビョョーン、体重計
御願ひ

近隣のお店の宣伝も兼ねていた注意書き。スポンサーつき掲示板・鏡広告は銭湯ならでは。アジのある手書き文字と字体。
港公設市場は、すでにない。

田代酒店
八雲米穀店

銭湯でしか買えない石鹸「皆様石鹸」。
特別販売してました、購入。




♨️♨️♨️


  石畳と御影石


服を着たまま浴室へ。
だれもいない湯ぶね。
ふわふわの湯気はない。
お湯から水になったまま、張ったままの湯ぶねもあり。
細長い灯だけが歓迎してくれました。

入り口の水鉢

床は、ちいさな畳のようにグレーの御影石みかげいしが敷きつめられています。
表面は、なめらか。
石は足にやさしい。熱伝導がよくて、あったかいのです。
ちいさいころに行ってた銭湯もコレでした。すべり止めの役目もありましたね。

トゥ・シューズ
履いて撮りたかったが時間なし


なつかしさも一瞬で凍てついた。
足をふみわけ入ってみれば、もう冷たい石の板だった。
すてきな全面石畳の銭湯は、寿温泉さんと仲よく……終わってしまった。



湯ぶねを囲むフチも黒御影石。
これは大阪銭湯ならでは。
湯ぶねに階段?
とても立体的でしょう。
ベンチのように段がありますね。
休憩・ととのう場所じゃありませんよ。



なんとなんと、ここに腰かけて、湯ぶねから直接、風呂桶でお湯をくんで頭やカラダを洗っていたのです。
説明文によると、この場所は「かまち」というそうです。


時短というか、大阪人は、せっかちというか。湯ぶねにへばりついてカラダを洗ってた習慣。
もちろんシャワーやカランは壁面にあります。


いまならワカル……トシとると、シャワーの操作で立ったり座ったりはツライ。緑のイスもコンパクトすぎる。(トイレも和式で昭和時代は、ひねもすスクワット)
「かまち」に腰かけるのは合理的な入浴法だったのかも。


カラン(蛇口)は、赤がお湯。青が水。好きにブレンドしていました。
いまは適温のお湯が自動で出ます。自動で止まるところもありますね。



昭和のころ、それはそれは入浴するひとたちでごった返してました。
家にお風呂(内風呂)はなく、おとなも子どもも、全員銭湯に行きました。パパっと入浴、それがふつうでした。スーパー銭湯・サウナブームより、はるかむかしのおはなしです。



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  めぐるお湯

ツルカメ

お湯のレバー、ツルカメと書いてある。
これもめずらしいものです。
大阪市内の銭湯で、あと一軒にあります。



銭湯のお湯の噴きだし口はライオンや石柱などいろいろ。寿温泉さんは円盤の金属板からお湯が噴水のように流れおちていました。


噴きだし口

めぐるお湯。つながる湯ぶね。
湯ぶねの壁に四角い穴あり。職人さんの細かな仕事。
御影石が黄色くなっています。水質もあるでしょう。長らくの営業でも経年劣化が少なく、御影石はいい素材ですね。
説明文には「江戸時代から続く大阪銭湯の伝統的スタイル」とあります。



そして寿温泉さんには、とにかく豆タイルがびっちりと。紅葉のかたちのタイルも混じっています。
純白タイルと豆タイルの共演。
装飾もない、シンプルな浴室が時代を感じます。

電気風呂と超音波
豆タイル補修のあと



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  薬湯・スチームサウナ

薬湯

後の時代の補修でしょうか。赤っぽい石のフチと長方形のタイル。湯ぶねの表情があたらしい。
岩風呂風なところがカワイイ。


秘密部屋の注意書き
スチームサウナ(アルミ製)
カラン使用後は
イスを横にしたり、そのままだったり
銭湯によりけり

よくある排水溝のフタはない。
なんでも足もとのタイルの排水路を流れてゆく。
潔癖なひとなら目をそらすかも。
ぶくぶく泡と、カラダのよごれ・ストレスが流れていくさまが、まる見え。
イヤなことも排水口が全部飲み込んでくれた。
いまは、汚いものにはフタをする時代だけれど。


紅葉タイルが左上に
目皿とかいうらしい、銅製かな?


石畳のスキマをぬう排水システム。
石畳より一段下の水色タイルが排水路なのだ。

マナーを守ってね
湯抜き(ちいさな排気口)
銭湯のスタンダード・2本の灯り


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  おかまドライヤー


女湯のみ
「おかまドライヤー」

湯上がりの濡れた髪を乾かすアイテム。
おかまとは、お釜。炊飯器がないころは、こんなお釜 (羽釜はがま)で、お米を炊いていました。
家族もおおくて、ご飯モリモリ。
頭がすっぽり入る大きさ。
だれがつけたか「おかまドライヤー」
(女装とかではありません)


寿温泉さんのは、かなり古いタイプ。比較的あたらしいのは下半分が透明です。カラン・おかまドライヤー・あんま機……故障しても製造する会社も部品もないそうです。
ずっとたいせつに、銭湯の備品。


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  トイレの市松模様 (閲覧注意)

トイレの画像があります。
ご不快、食事中ならこの項は、飛ばしてくださいね。


男湯の脱衣所・浴室を見てたら、もう終了時刻。外は真っ暗です。
昼間なら、おかまドライヤーの向こうに庭がみえます。廊下があってトイレが目立たないように外にある。むかしの家は、こんなでしたね。

ギギ……木のきしむ音
すみません失礼します
タイルの市松模様!


庭には四季おりおりの植物や、金魚がおよぐ池があったり。灯籠も立ってたり。
いまでも銭湯には、ちっちゃな庭があるところがあり風流だと思っていました……。


旅先銭湯さんの説明文を引用します。

1960年(昭和35)に建てられた寿温泉は、江戸時代から続く大阪銭湯の伝統的なスタイルも兼ね備えた、いわばもっとも「大阪らしい」銭湯でした。
凸型の玄関(玄関部分が前に飛び出すスタイル。昔は火事の脱出用に庭の設置が義務づけられ、玄関の両脇に前栽が配置されました)、タイルで設えられた屋号、半楕円形の番台(大阪以外で目にすることはあまりありません)。

銭湯の庭の意味、役割をはじめて知りました。火事の危険性もあったのですね。
火や水をあつかう仕事。たいへんさに思わず頭が下がりました。


♨️♨️♨️


  明かりが消え、すべてが

柱時計の針が止められた。シンデレラのように時間限定の舞踏会、いやお別れ会なのだ。
銭湯の閉業にお別れ会があるとは。それだけでもありがたい。
きっと早い時間には、たくさんの銭湯ファンが寿温泉さんに……。
お湯は、わいてないのに。


わたしは、さいごの訪問者。


下駄箱スペースの灯りが消えた。
撮るのをわすれたことに気がついた。
ラストはこんな画像です。
外よりも暗くなった。
たまらず外へ出る。
さようなら。頭をさげる。


マッチ棒のような煙突。タワーマンションにかき消されてゆく。あの明るいところらへんが公設市場だったんだ。


弁天町は不夜城へ。

これから、ひとが増える。

駅前の巨大な温浴施設に飲みこまれるのだ。


つくられた むかしに。





旅先銭湯さん


さいごに、
寿温泉さん・お別れ会の仕かけ人『旅先銭湯』さんのことを。
銭湯の応援やイベントなどいろいろな企画や活動をされています。


寿温泉さんのお別れ会、ほんとうにありがとうございます。


旅先銭湯・初版本
本棚からひっぱり出して再読



『大阪の風呂屋を歩く』『路面電車で風呂いこか』などの著書があります。わかりやすい銭湯の本。写真も、美しい。
こころもあったまる。


新刊『京都の風呂屋を歩く』
くわしくは、X (旧twitter)のポストをごらんください。


わたしは、全国の銭湯ファンの活動に寄っかかってばかり。


せめて銭湯にいこう。



いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに

さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。

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