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この家どうするの?(61)相続登記

父なき一軒家。3か月のあいだ、掃除・片づけで通っていました。四十九日をすぎてからは、すこし面倒に。父にも家にも愛着はなく、もう手ばなそうかと……。
(1384文字)




権利書はどこに

相続人は、わたしひとりのハズ。
しかし隠し子がいるやもしれぬ。
わたしが中学生になってから両親は離婚した。
以後「父子家庭」だけど。

自宅で孤独死した父。第一発見者は、わたし。警察がやってきて家宅捜索。
「家はキレイにされてますね」
刑事さんのいうとおり、よそのお家に比べて片づけはラクでしたが、出てこなかったものがある。
キレイ好きの父は家の権利書まで捨てたのだろうか?


それとも、借金のカタに誰かに渡したとか。親戚が持っていったとか。ホントは父の名義じゃないのかも。祖母のままとか。
あまり……ややこしいのはカンベンしてほしい。




ひさびさの通学路

自宅マンション(賃貸)から、父の一軒家まで小一時間。
もより駅から徒歩約15分の距離。
ここは昭和の下町だ。駅を降りると商店街。
半分のお店は、さびたシャッター。


さて、どうしようか……。
商店街を、ぼそぼそあるく。
ここは準工業地域で町工場などの自営業、飲食店も多かったのだ。
同級生はどうしてるのかな。



親が自営の同級生は、うどん屋さん・おかず屋さん・お米屋さん・文具店・銭湯……。
気がつけば、すでに廃業。
たてものだけが残ってたり、マンションになってたり。
みんな、どこに行ったのか……。



商店街のはずれは、そのまま小学校の通学路につづいていた。校区のかげんで、すこし遠い小学校まで。
そう通学路。
父の一軒家から少しそれるが、やることもないので、通ってみよう。



祖母がモーニングを食べてた喫茶店

商店街のさきは町工場エリアだった。
わたしの父の金属加工場もあった。あたり一面、油や蒸気がまきあがり、重たい機械の声だけが響いた。鉄工所・アルミ加工・ゴム加工。さながら町工場の見本市。


町工場もいまでは、ほとんどなくなっている。大きなガラス工場の同級生の家もない。お金持ちで、うらやましかったな。



おっと、工務店だけは健在だ。
同級生の男子が継いだんだ。
建築関係は、なくならない。
家があるかぎり。

駅・商店街・町工場・学校。
ひとつなぎ。生活に便利な下町だ。
ただ、マンションと外国人がふえた。一軒家は少なくなっている。

父の一軒家。この家どうしよう?
みんな売却したのだろうか。
わたしの同級生たちも?
頭にちらつく相続登記・義務化。
家の権利書もない。
ひとりだと気らくな反面、わからないと出口がない。


あっという間に小学校。


そうだ……小学校のすこし先に、祖母がよく行っていた喫茶店があったはず。
町工場は、定時もなく作業が終わるまでが仕事だった。息抜きにコーヒー飲んでいたし、出前とかの需要もあった。はんたいに、仕事がないときもコーヒーを飲んで時間をつぶしたり。


祖母は小学校のすこし先の喫茶店まで、よくモーニングを食べていた。ちいさいときから、わたしもついて行った。


赤いテントの喫茶店・カナリア。


まだ営業してたらコーヒーでも。
ほがらかなママさんと、ちいさい男の子がいたはず。
どうなってるのだろう現在は。
一軒家の売却など、なにかしら情報をもらえるかもしれない。

まだ営業しててほしい。
赤いテントの喫茶店……。



つづきます


いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに


さいごまで お読みくださり
ありがとうございます。

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