大阪・寿温泉さん「ブギウギ」ロケ銭湯
おどる看板文字。よく見りゃ、タイル文字。いろんなリズムで、あふれるお湯と、たちのぼる湯気。まちの銭湯を照らすのはネオンではなく、たぶん人情。
(2333文字)
寿温泉さん
銭湯とタイルは友だち。まさか看板になっているとは。飾り気のない、たたずまい。汐風が心地よいお風呂屋さん。それが寿温泉さんです。
もより駅は……
●JR大阪環状線・弁天町駅…徒歩約8分
●Osaka Metro大阪メトロ・中央線・弁天町駅…徒歩約10分
かつて、JR弁天町駅の高架下・東側に「交通科学博物館」がありました。当時の国鉄の特急列車がズラリ。大阪環状線が開通した1962年~2014年で閉館。
小学生の社会見学や写生会の定番のロケ地でした。
港町とお風呂屋さん
港区・大阪湾岸の港町。かつて弁天埠頭から、四国・九州への大型フェリーが就航。
家の近所から「弁天ふ頭」行きの市バスが走ってたのも懐かしい。陸路より海の船旅が多かった時代でした。
船員さんや工場の職人さんも多く飲み屋やスナックが建ち並ぶ。寿温泉さんの、おとなりもスナックです。
銭湯で、さっぱり仕事の疲れを流し、ちょっと一杯。バブル時代までの日常でした。
湾岸の過酷な作業、危険な海の仕事、無事を祈り安全に。
縁起のよい「寿」のお風呂屋さんは、地域のひとの「よりどころ」だったに違いありません。
かわりゆく弁天町
まちの風景が変わったのは、長距離フェリーが大阪南港に引っ越ししてから。そして駅前に大きな商業施設や高層住宅ができました。
久しぶりに弁天町へ。
駅と直結したホテルとスーパー銭湯。タワーマンション……。
弁天町は夕陽よりネオン輝くコンクリートの街に。公設市場もなくなってしまいました。
それでも、寿温泉さんは変わっていなかったのです。
「ブギウギ」のロケ銭湯
NHK 朝ドラ放送中の「ブギウギ」。香川県出身・笠置シズ子さんのおはなし。
彼女の養父母が大阪市内で銭湯を営んでいました。それで銭湯のシーンが出てきます。
昭和初期の銭湯、むかしのたたずまいの浴室。「ブギウギ」のロケは寿温泉さんです。
寿温泉さんの入り口には、たくさんの下駄箱と傘箱。端正にならぶ下駄箱の扉はセルロイドふう。
すぐに、ロケができそうな。
残念ながら、ここはテレビには映りません。番組内の銭湯・番台のシーンはスタジオのセットです。
女将さんは、気さくに、おはなししてくださいました。『ナニワ金融伝・ミナミの帝王』の先代が、わからなかったので家に帰り、検索しました。竹内 力さん。(2代目は、千原ジュニアさんです)
ドラマのある銭湯
早い時間から男湯は賑やかです。パタパタ下駄箱の音。
仕事帰りの解放感、フロだ風呂だと、ぞろぞろと。小銭を確かめ、カラカラと。
硝子の引き戸も軽やかに。
わたしも同じように、御婦人(女湯)の硝子の引き戸を開ける。なんと、すぐ戸が閉まりパタンと挟まれました。
「ゴムついてるのよ」
番台にすわる女将さんの声。
引き戸を開けたらゴムが戻るように閉まる。まるで自動ドア。
女将さんから、常連マダムへのやさしい、おもてなしだった。
ガタガタン。男湯の引き戸が、湿気できしむ。男性客の開けるチカラが余ったのか引き戸が外れた……。
「外れたから、そのまま置いといて」
いつものことだと、言わんばかりの女将さん。
「よっしゃ」
別のお客さんが引き戸を入れ込む。スーっと走る引き戸。
開いたままだと番台の女将さんが冷えてしまう。みんな、やさしい。
よかったね、シマシマ硝子の引き戸さん。壊れたら修理してくれるひとは、いるのかな。
毎日の開閉、お疲れさまです。
みんなで、なかよく、たいせつに。
やわらかい石畳
御影石が畳のように敷き詰められた浴室。こんな銭湯も少なくなりました。足裏にやわらかく、やさしい。
なぜでしょう。タイルの床より御影石の床のほうが、浴室もあったかく感じます。
石畳の縁にはタイル。傾斜がついて流したお湯は、くぼんだ溝に流れこむ。つねに一定方向へ。むかしの銭湯の排水路だ。
ステンレスで排水路に蓋をしたのは、いつからだろう……。
うたう浴室
湯気が、ほこほこ。豆タイルの湯船は、ぶくぶく。いつもアドリブの泡。
座って脚を伸ばせる浅湯。「超音波」の名札が、ほほえましい。
ジャグジーとかジェットより、はるかむかしの、ソウルフルな名前。
むせび泣くブルース電気風呂。
トリオの湿式サウナ。ゲルマニウムは片隅に。ソロの水風呂。カランのレビューは、おとなしめ。
高い天井に、湯気ぬきに、とどけ、この歌を。
そのうち「銭湯ブギー」が聞こえてくるかも。
あまりの気持ちよさに、シュワシュワ、ブギウギ。
わて、ほんまによう言わんわ。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。
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