モトグッツィルマンⅢ
#レビュー
回顧主義ではないが、古い家具や機械に憧れる若者も少なからずいるだろうし、真新しく進化し続けている安全で便利な機械を求める人も多いだろう。
それでも愛してやまない物としての魅力は、おそらくは青春時代に何を感じていたか?
なんて事が影響されたりもする。
僕の青春時代に新しかった物は、過去となり、さらにはモノクロームのような思い出に過ぎないものかもしれない。
よくあるだろ?
手に入ると思った途端に、値踏みしてその価値なんてものを測ってしまったりする事は。
それがかつては自分にとってもっとも大切な思い出の中にある物だったとしても。
1981年に発売されたこのルマンⅢは、1976年に初めてルマンと名付けられたモデルが登場してから3代目にあたる。
以前のモデルと違い、大きく進化したのはアルミシリンダーとエアクリーナーを装備した事だ。
近代のバイクとは何が異なるか?
極めて原始的な構造のキャブレターを2つ。
電子デバイスなど無い時代であり、ABSやら、トラクションコントロールなど望むべくもなく、タイヤは近代のスポーツバイクと比較すれば細く貧弱な物にも見える。
アルミホイールが前後に装備されているのに、チューブタイヤであり、アクセルもクラッチもワイヤー引きで、油圧などという便利な物はブレーキくらいな物だろう。
だが、このブレーキが近代にも通じる思想で作られていて前後が連動する機構を持っているが、僕の手に入れたコイツはセパレートされたカスタムを施されている。
つまりはそんな機構は必要ないという判断が当時から多かったという事だ。
アンチノーズダイブや、前後連動などの機構を現在でも続けているのは、BMWなど一部のメーカーくらいだろう。
特徴的に左右に張り出したヘッドは縦置きVTWIN、現在ではこのモトグッツィくらいのものだろうけど、特徴的で、ただしこいつのおかげでかなり高い位置に重量バランスが来てしまう。
縦置きならではの利点は、自動車の縦置きエンジンが素晴らしいようにドライブシャフトまで一直線にパワーを伝達可能な構造だろう。
エンジンを掛けてやると、右に大きく引っ張られ、デロルトのキャブレターから純正のラフランコーニのマフラーまでの一連のサウンドや、生き物のような振動は魅力的だと感じる。
イタリア最古のメーカーらしく、メーターはベリアで、7500を超えたあたりにレッドが切ってある。
加速フィールはこの回転計の針よりも先に速度が上がって行く。
近代のモトグッツィにも乗ったが、環境規制とその歴史的な、悪く言えば古いままの構造の為と、僕が乗ったのは過去、350などの中型排気量のエンジンを750までにアップしたスモールグッツイのV7の初期だったので、時代をずっと遡ったルマンでも比較すれば圧倒的なパワー感はあるし、実際に速い。
当時、750期制で国内メーカーが目標にしたのは、このルマンもそのひとつだったし、1982年当時にしては高性能なバイクだった。
近代ではそこそこの性能という事にはなるが、古典的な雰囲気を残した魅力もある。
ヘッドライトはそのままでは車検に通らない程に暗いし、スマホなどを設置するスペースも皆無で、そもそもそれなりの回転数で走らなければバッテリーに充電すらしないのは仕様だ。
かろうじてETCは装着してはいるが、それ以上の電子機器をつけようなんて気にもならない程、電気には気を使わなければならない。
それでも走り出せば物好きにはたまらない何か?を感じさせてくれるし、懐かしさもある。
鋳鉄ディスクは今となっては、パッドも入手困難だが、握り込んでコントロールするといった感覚的なもので、それを説明する言葉があるとしたら、ほら、丁度君の乗っているクルマのブレーキは、踏みこんでからその先に脚の感覚で速度をコントロールするだろ?それだよ。
と言うと、だいたい理解してもらえるだろう。
ギアは乾式で、今時の物とは違い、しっかり一段ずつ入れてやらなければならず、こちらを説明すると全ての段数の隙間にニュートラルが存在している感覚だ。
しっかり蹴り上げてクラッチを繋いでやらないと、ギア抜けを起こすので、そのタイミングやリズムは正確さを要求してくる。
ワイヤードなアクセル、クラッチがもたらすズルっとした音が出ているかのような感覚。
生き物のような振動が速度とともになくなり、イタリアの工業製品らしいまとまりのある排気音とともに、気持ち良く廻るモーターのように回転しはじめる。
近代でも充分ツーリングに使えるかもしれないが、とにかくナビやスマホなどの便利なツールはないのだから、乗る側も昔に戻らなければならないし、ポイント点火やキャブレターの調整など、昔は当たり前だった整備が日常的にライダーに工具を持たせる時間を増加させる。
工具もミリ規格なのだが、13ミリなどあまり縁のないサイズが多く、オイルフィルターに至っては、オイルパンを全部外さないと、交換すら出来ない。
それでも作業性は極めてよく、旧車によくある電気の心配も笑ってしまうほどに簡単な構造から、トラブルそのものが少ないと言っても良い。
なにしろ、リレーなどというものすらあまり見当たらないのだから。
こうした古い物を維持するには、その当時の新車とまではいかなくとも、それなりにそこまで戻してやる事、そして当時のライダーと同じ日常をバイクと送る事を覚悟して取り組むと良いだろう。
お店任せしかしないのなら、お勧めはとても出来るような物ではないし、そもそも当時のライダーの常識の範疇と近代では大きくその部分が異なる。
車もバイクもまだまだ、持ち主に日常メンテナンスを依存していた時代の乗り物だからだ。
ある意味ではそんなに困難な事でもないのだが、当時に女性ライダーが数少ない理由もこの辺にあるのだろう。
さらにはABSもないし、コンピュータすらないのだし、今まで普通に曲がっていたコーナーを同じように簡単にバイクがアクセル開度や、リアタイヤのトラクションを調整してくれるなんて今では当たり前の物すらないのだからちょっとしたミスでも、簡単に転倒してしまうだろうし、危険な部分もあるのにパワーは近代と遜色ない。
はっきり言ったら怖いのりものだ。
セパハンの幅は限りなく狭く、ブレーキもブレンボが奢られてはいるが、指ひとつで効くような物でもない。
それでも僕にとっては愛する相棒となった。
おそらくは乗れなくなり、誰かに引き継ぐまで乗り続けるだろう。
その魅力とはいったいどこからくるのか?
まだまだ僕には説明できないが、もしかしたら多くの人が言うところの味なのかもしれないし、過去への幻想なのかもしれない。
昔の機械に魅力を感じてしまったのなら、それはそれで病気にかかったとでも思って諦めるしかないのだろう。
悪くはないよ?でも最高な訳もないよ。
ここにあるのは、過去最高だったもののひとつなのだから。