バニラ・スカイを見た

今さら感がすごい。(2001年の映画)
ネトフリで見て、良かったので特典映像が見たいとわざわざDVD探して買った程度には気に入りました。
まだ新品が存在していて良かった。
検索したらVHSが出ていて、VHS!?!?!?!?!?と時代を感じました。いつの話?2001年だよ
軽い気持ちで見始めたら思いの外良くて感想を書き残しておきたくなったので書きます。

私が好きな映画は

・ナイト&デイ
・天使と悪魔
・ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密
・インテンション
・風立ちぬ

なのですが、ホリデイも好きだし、今思えばこの並びを見るとそりゃバニラ・スカイ好きでしょうね。

偶然直前にバックドラフトとマイノリティ・リポートを見ていたのもあり、バニラ・スカイは非常に面白かったです。


この映画のポイントは徹底したルッキズムにあって、主人公のデヴィッド(トム・クルーズ)が最も重視しているのが容姿であることから破滅に向かうのが面白かったです。

デヴィッドは父親が金持ちで遺産相続からの億万長者ですが、美貌の億万長者はトム・クルーズ本人でもあります。彼の努力やメンタリティがもちろん非常に影響していることは重々承知しつつも、彼の容姿がその財産を築くに至った大きな要因であるのは間違いありません。女性陣も特に印象的な役どころはペネロペ・クルス、キャメロン・ディアス、ティルダ・スウィントンとそれぞれタイプは違えど圧倒的ルッキズムを感じさせる面々で、だからこそデヴィッドの転落が“転落”として強調されます。

正直、事故が元で変わってしまったデヴィッドの顔はスタートがトム・クルーズの顔であること、“トム・クルーズの顔が”という衝撃をのぞけば見苦しいだとか見るに耐えないようなものではないです。

つまりはそもそもルッキズムによって保証されていた価値が失われただけで、ルッキズム的評価が全てでなければそう悲観するものではないということです。

また、デヴィッドは億万長者でもあるのでぶっちゃけ美人と付き合いたいだけなら金をちらつかせることも出来たと思います。

役員会がデヴィッドから会社の株を奪おうとするくだりが出てきており、「精神がまともであること」を条件にデヴィッドが51%の株を所有するのを認めます。ここから事故をきっかけにデヴィッドの精神がまともでなくなったと役員会に言われ全てを失う話かと思えばそうでなく、デヴィッドも金に執着する素振りを見せません。

私は拝金主義者なので億万長者な時点で十分魅力的なのでは?と思いますが、デヴィッドはとにかく容姿にこだわり、デヴィッドが徹底的なルッキズム信者であることがうかがえます。

ジュリー(キャメロン・ディアス)に対する仕打ちがまあ全ての始まりなので自業自得ではあるんですが、彼の生い立ちがわりと謎だなと思いました。父親が億万長者であれば金目当てに近づいてくる人間がいそうなものですが、彼は基本的に「自身の魅力」で全てが形成されていると思っているようなので、周囲の人には比較的恵まれていたのかもしれません。

妄想のソフィア(ペネロペ・クルス)が「あなたのルックスに惹かれてた」と言うところや、最新技術で顔が治った!になるまでセックスシーンが出てこないのまで含めてとにかく容姿にこだわる性格が面白かったです。

「顔が変わってしまっても理想の女性であるソフィアなら愛してくれる」といった方向ではなく、あくまでも自分が美しい顔に戻り彼女が愛してくれるという発想なのが強烈なルッキズムを感じます。

映画ハウルの動く城ではハウルが「美しくなければ生きている意味なんてない」といい、ソフィーが「私は美しかったことなんて一度もない!(美しくなければ生きている意味がないなんてことない!)」と言いますが、バニラ・スカイにはソフィー(美しくないがデヴィッドにとって重要な意味を持つ女性)が存在しないので、美しくなければ生きている意味がない世界です。

これはもちろんデヴィッドの強烈なルッキズムが自身だけではなく女性にも発揮されており、美しくない女性には興味がないからでもあります。


このルッキズムの権化のようなデヴィッドをトム・クルーズが演じ、ジュリーと関係を持ちながらソフィアに惹かれるのがルッキズムを煮詰めに煮詰めた仕上がりで良かったです。

ソフィアは垢抜けないが美しく無邪気で明るく金持ちに毒されていないような描写が出てきますが、いかんせんペネロペ・クルスなので圧倒的美であり、そりゃまあルッキズムの権化が運命の女性などと言い始めても仕方ありません。髪型などで垢抜けないのを演出しようにもわりと無理がありました。

ジュリーもなにせキャメロン・ディアスなので色々言ったところで単純に新鮮味がなくなり飽きたから捨てたみたいな感じだろうなと思いますし、デヴィッドがルッキズムの権化である以上ソフィアが運命の女性だとか言われても都合のいい幻想を押し付ける相手として最適だった以外の何者でもないとは思います。

しかし結局彼が出会う最後の美しく手に入れられなかった女性になったので、デヴィッドは彼女に固執します。

そもそも私は彼、彼女らの容姿や演技が好きでバニラ・スカイを見始めたのもあり、想像するに彼らが出演しているからこそこの映画を見た人も多いと思います。

つまり、ある種ルッキズム信者、あるいはルッキズムに加担している人間が見る確率が高いと思うこの映画で徹底したルッキズムによる転落と破滅を見せるのはカウンター的で面白かったです。

また、ルッキズムが理解できない人間にとってこの映画、デヴィッドが全く意味不明だろうなというのも思いました。


デヴィッドのルッキズムについて、女性に対してはまず間違いなく発揮していますが本当に彼の助けになるのは美形にカテゴライズされなさそうな弁護士のトミーだというのも面白いところです。

トミーは財産を守り彼を助けます。それは彼自身の生活や彼の魅力の助けでもあるにもかかわらず、デヴィッドは結局顔が治らないことに絶望します。

彼は自身のルッキズムのせいによって転落し、ルッキズムを改めることが出来ずに死と冷凍保存を選びます。

この映画は入れ子構造になっていて、

「どこからどこまでが現実で、どこからが夢なのか、妄想なのか」もっと言えば「現実と、現実で見た夢と、妄想と、見せられている夢」の区別が付きません。よって解釈の幅が生まれます。

深く潜ったダイバーが方向感覚を失ったとき、吐いた息が上がっていく方が上だと確認すると聞いたことがあります。

映画インセプションにも似たような入れ子構造が出てきており、インセプションでは現実かどうかを確かめるアイテムが出てきます。それがダイバーにとっての泡です。しかしそれが完璧ではないこともわかっています。意識世界では物理法則を捻じ曲げられますが、同時に「捻じ曲げないことも出来る」以上、言い切ることはできません。

バニラ・スカイでは現実とそれ以外を分ける手段がなく、全てが個人の解釈に委ねられるのが楽しくて非常に良かったです。ラストもインセプションと似たもので、オプティミストとペシミストで意見が分かれそうなのも好みでした。

そもそも、リメイク元の映画(未鑑賞)が「open your eyes」なこともありこのフレーズが大きな意味を持っており、映画が始まって最初の台詞がそれです。

そしてデヴィッドは起き、誰もいないタイムズスクエアを爆走するシーンに繋がります。

ここでポイントなのはこのタイムズスクエアでのことが夢オチで、次にデヴィッドはジュリーの「open your eyes」で起き、同じベッドにジュリーがいるということです。この二度目の起床時には「時計に声を吹き込むな」とデヴィッドが言う通り確かにジュリーの声なのですが、最初の声はソフィアです。

つまり、この時点ではまだ出会っていないソフィアの声がします。それを「デヴィッドが理想の運命の女性として思い描いていたままの女性がソフィアだった」という実体のない理想に完全にフィックスする女性がソフィアだったともとれますが、「実は全て夢または妄想で、ソフィアと出会った後に出会っていない頃を創造し直している」ともとれます。

目を開けたカットでこの映画が終わるのも正解を提示せず終わる形になっていて、白黒つけないのがとても良かったです。

まあそんなわけで色々考えられる構造でふわっとさせつつ、映像でちょっとヒントを残してあるバランスが非常に良かったです。

デヴィッドが強烈なルッキズムを持っているのは冒頭の白髪を抜くシーンでも少し予感させてきますが、デヴィッドが33歳であることを考えると白髪が気になり始める頃かな〜と思うので、白髪が出てくる年齢以上の人だともしかしたらあのシーンで実体験を重ね合わせたかもしれません。白髪を気にするのは色んな人が経験しててもおかしくないことだと思うので。そうなると、先にも書いたようにルッキズムの信奉者または加担者が見る確率が高そうなこの映画の観客にこれからルッキズムにより転落していくデヴィッドと自分を多少なりとも重ね合わせられそうなシーンを入れてあるのは、デヴィッドのルッキズム狂信者ぶりを提示すると同時に何かを問いかけているようで面白くもあります。
これはさすがに子供の頃見ててもよくわからなかっただろうな……と思いました。
そもそも年齢制限あるんだったかな?おっぱいそのまま出てきて、けっこうびっくりしました。そこそこあからさまにセックスの話したり、セックスシーンもあるので年齢制限あったかもしれないけどちょっとわからないです。

しばらく寝かせてからまた見たいなと思いました。

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