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ダークソウルと金枝 番外編「ユール祭」
ユールの季節が、今年もやってきました。
元は西洋の冬至の祭りだったそうですが、日本では明治のころに伝わり、西洋文化の浸透とともに次第に受け入れられ、今では定番のイベントとなりました。
麦わらでユールゴートを編んだり、森から木を切り出しユールログを焚いたり。様々なご馳走を並べたユールボードや、妖精さんにプレゼントをもらえるのが楽しみだったという方もいるでしょう。
いやあ、ほんとうに、ユールはたのしみですね。
しかし今では当然のように祝われる、このユールというものはどういうものなのでしょう。日本ではかぼちゃを食べたり、柚子を湯船に浮かべたりして無病息災を祝いますが、西洋のそれに比べ少し地味な風習しかありません。しかし、まったく別の文化圏でもそれぞれ風習がある通り、重要な行事であることは確かです。
今回この「ダークソウルと金枝 番外編」では、太陽の周期から定められたこの冬至の祭りの風習から、なにかしら考察を深めたいと思います。
そもそも冬至とは
この冬の至りとかく節気は、その名の通り最も冬に近くなるとされる時期であり、日中の長さが最も短くなる日です。
こうして届く太陽の熱はだんだんと大気を温めますから、じつは一番寒い時期とはずれるのですが、この最も暗い期間を経て太陽の力はどんどん強まっていく、上昇に転じる時期とも考えられます。
そのような期間に祝われる冬至祭りは、おそらくは太陽の再生を祝う祭りであり、毎夜死して生まれ変わる太陽の力のさらなる復活の力をとりいれる、絶好の祝祭とも考えられるでしょう。
日本の風習で考えれば、なぜ柚子に限定されるのかは分かりませんが、冬に黄色や橙の実をつける常緑性の柑橘類は、とくに縁起のいい植物です。この柑橘類の一種である橙、あるいはミカンは鏡餅にも載せられ、元旦のご来光の象徴でもあります。太陽の光の色をよく表す語、西洋でのオレンジ、日本の橙色とは、どちらもこの柑橘類を指す言葉です。
また、秋ごろに収穫し冬場まで保存できるカボチャは、その実の中の色とも相まって、秘された太陽の力とも連想されたでしょう。南北アメリカ原産で、大航海時代以降にカンボジア経由で伝えられたとされますが、その性質から重宝され西洋のハロウィン、日本でもこの冬至の風習に利用されます。
このような植物を利用することで無病息災が信じられることは、栄養学の面からも説明は出来そうですが、主には太陽の再生力の連想でしょう。栄養の事を言うのなら、柚子は何か料理にして食べたほうがいいわけですから。
ユールの風習
では西洋の冬至祭、このユールの風習はどうでしょう。
山羊、ログ(丸太)、食卓という中の、どれも太陽とは一見関係なさそうです。
もしかすると太陽と植物、植物の霊とされた動物の関係について、本編のほうで説明したかもしれませんが、ここはとりあえず知らないていでお願いします。
とはいえユールログ、この薪に関して言えば、そこそこ太陽との関連は思い当たるでしょう。火を焚くことが陽光呪術の典型的な形ではありますし、そもそも『ダークソウル』において拠点となる篝火、ボーンファイアというのが、主にユールに焚かれる特別な焚火の事だと聞き及んでいるかもしれません。
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この後亡者から復活し、注ぎ火を行う準備も万端。この用意されている人間性=ダークソウルもまた人の持つ”火”と表現され、注ぎ燃料、注ぎ人間性ではなく、注ぎ火と呼ばれる。
このユールログのために用意される丸太。
調べると、これは常緑性である樫が使われたとされています。樫はオークとも呼ばれ、落葉性の他の樹木とも同じ名でくくられますが、今は気にしないでください。
とにかくこの冬至においても葉が繁る、生命力あふれる樹木から太陽へと力を送るため、こうした火が焚かれました。またこの木を伐りだしてくる際にもそれを飾り付け、手伝いをする最年少のものがこの丸太に乗ることが出来るという風習もあったそうです。
日本のお神輿を担ぐときなどを想像してもらえるといいのですが、この何者かが担いでいる何かに乗るという行為は、その人物が何かしらの擬人化された力の象徴とされます。この場合では森から伐りだした樫の生命を、おそらく模しているのでしょう。植物の力を太陽への力や、人々の福へ取り入れようとしていることがわかります。
よみがえる山羊
しかしそうした植物の力を得るにあたって、麦わらを山羊の形に飾るというのは、一つ疑問でしょう。
ある程度の麦束であれば、そのまま丸太の模倣となるでしょう。あるいはそのまま太陽を模して球状にしたり、日本のしめ縄のように縄状に結って先のユールログを飾りつけてもいいわけです。山羊にする事には何か意味があるのでしょうか。
このユールゴートの由来を調べてみると、この山羊が北欧神話の神トールの戦車を引いた二匹のヤギ、タングリスニとタングニョーストを模したものだと出てきます。戦神としても知られるトールですが、戦のおり空腹になるとこの二匹のヤギを屠って食べ、しかもこの山羊たちはミョルニルによって蘇らせることが出来たそうです。
トールの代名詞でもあり、幾人もの巨人を屠ってきたミョルニルですが、このような力もあるとは驚きです。その一撃は雷そのもの、その名は”粉砕するもの”という意味らしく、破壊の力そのもののような武器ですが。
またそれを持つトール自身も、勇猛果敢な神として知られます。
恐ろしい雷神として知られ、その力は北欧神話でも随一の戦神でもあり、その性格は少々、おろk……脳筋で恐れ知らずとされています。面白おかしい話の多い北欧神話でもひときわユニークなエピソードを持ち、人気の高い神でもあるのです。
しかしそのような豪胆な神の意外な一面として、彼は農民に多く信仰される農耕の神でもあったそうです。
雷は夏の始まり、雨期に多くみられる現象で、日本では稲妻とも呼ばれ穀物の豊穣を予期するものとされます。木々に落ちれば火を出しますが、その灰からは多くの新たな芽が芽吹き、キノコの発生とも関係があるともされています。また意匠化されたミョルニルのペンダントは護符として人気で、男根を模しているとも言われます。
先ほど彼の戦車を山羊が引いていると話しましたが、このような戦車や車輪は通常太陽神の象徴で、もちろん北欧神話には他に太陽女神もいるのですが、彼女もまた馬車を引く娘として描かれます。
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3の不死街には明らかに太陽を模したと思われる、車輪に張り付けられた死体がある。だとしたら、なぜこのように暗く冷たい場所ばかりに、車輪をもった骸骨がいるのか。
そのような神の蘇る魔法のヤギとはまさに豊穣の化身でしょうし、このような祭りにはふさわしい飾りといえます。
ワイルドハント
しかし、そうした豊穣の祭りのご馳走を並べた卓。このユールボードが一説には死霊やお化けを連れた西洋の百鬼夜行、ワイルドハントのために捧げられたという話には、疑問もあるでしょう。
通常にはこの食卓は北欧神話の主神オーディンに捧げられたものとされますが、また彼はワイルドハントの首領ともされており、戦士の魂をヴァルハラへと誘う一種の死神でもあります。
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骸骨の鎧をまとい、馬には木の皮で作られた兜を付けて、死神のようなイメージのあるワイルドハント達。主人公ゲラルトの前に立ちはだかり、その娘シリを付け狙う彼らだが、彼らの目的もまた……
*画像は公式サイトのスクリーンショットよりお借りしております。
これでは先ほどまでの植物の生命力や太陽の再生にあやかる祭りとは、まったく逆の事をしているようにも思えます。なぜそのような死霊たちを呼び寄せるのでしょうか。
しかしこうした考えには、先に説明した冬至という節気の性質が関係していると考えられます。
冬至というのは、冬の至り。冬に向かって日中の長さがだんだんと短くなっていく、その最たる日であり、夜が最も長い日であります。当然その日を境に日中の長さは長くなっていきますから、太陽の再生の日ともされました。
この太陽の力が最も弱まる日にその再生が始まるという事が、昔の人々にとって驚くべき奇跡であり、この祝祭に行われる儀式の見本です。つまり、大いなる再生の前に大いなる死が訪れなければならず、このように死霊たちを呼び寄せることは、大切な儀式でもあるのです。
言い伝えではこの死霊が通った畑には豊穣の力が宿るとされ、本編のほうには簡単に書きましたが”死神を追放する祭”において、処刑された死神の像の破片に、同じような力が信じられた事と似ています。
この死神の祭りのほうは主に五月の祭りですが、それは夏の収穫に向けて死神=冬の季節を取り払うことが目的でしょう。しかしこの冬至の祭りであるユールでは、まだまだ冬の寒さが深まっていくこの時期に、あえてその冬を呼び込んで、その豊穣へと転換される死の力を呼び入れる祭りともいえます。
この死霊たちを呼ぶ一見ネガティブな考えの中にも、死して蘇る太陽の永遠性、そうした力の廻る円環性を祈る人の意思があるのです。
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取ったことのある人ならわかると思うが、このアイテムは縄に釣りさげられた死体がもっており、遠距離攻撃で落とした後、地下墓地を通って取りに来る必要がある。
再生の祈り
さて最後に北欧神話のトールにちなんだ、面白い神話を話します。
スリュムの歌というその話は、多くの人が聞いたことはあるものでしょう。
あるとき欲深い巨人スリュムにその鎚を盗まれてしまった雷神トールは、その事を悪戯好きの神ロキに相談します。しかたなくスリュムの元に行ってミョルニルを返してもらえるか直談判するロキでしたが、その条件に課されたのは、美しい女神フレイヤを彼の妻によこすことでした。
今度はフレイヤのほうへ行ってこれを交渉するのですが、当然断られます。これではどうにもならないと、トールは光の神ヘイムダルに提案を求めますが、彼の考えた作戦は、鎚を欲しているトール自身が花嫁になりすまし、巨人の元へ潜入するという案でした。
もちろん初めは渋るトールでしたが、この提案にロキは悪乗りします。自らは花嫁のお付きになりすまし、フレイヤからは彼女の魔法の首飾りブリーシンガメンを借りてきてトールを着飾り、この作戦を強行しました。
さて、女装をして巨人スリュムの元へ向かったトールとロキですが、すっかり騙された巨人はこれを歓迎。家族を呼んで結婚を祝い始めます。
途中、祝いの料理を花嫁に化けたトールが食べつくす、驚いて顔を覗き込んだ巨人をにらみ返してたじろかせる等のハプニングはありますが、何とかばれず式は進みます。そろそろ宴も佳境というところで、巨人は盗んだミョルニルを取り出して、花嫁にこれで自らを清めるように渡します。
しかしその花嫁というのは、女装させられ雷神トールその人。いい加減鬱憤も溜まっていたところでその力を取り戻し、その場の巨人たちを鏖にしたのでした……
非常にユーモアのある一方、雷神の怒りの恐ろしさも語られる、ユニークな物語です。しかし、今回注目してほしいのが、彼の女装についてです。
『ダークソウル』の世界でも魔術の神グウィンドリンは女性の衣装をまとい、多くの文化圏でもまた女性装によって力を得る、魔法の力を取り戻すという神話はあります。
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明らかにこの檻は聖女や火坊女たちを閉じ込めるための場所だが、何を間違えたのか男であるローガンもここにとらわれていた。おそらく彼のビッグハットが、魔女のそれと間違えられたようだが、だとすると彼も魔法の力のための異性装をしていたのかもしれない。
しかし今回のそれは、単に女性のものを身に着けるというような形式的なものでなく、巨人が近づいて顔を覗き込んでも、男だと気づかないほどです。つまり彼は、髭を剃っていたのではないか、という事。
髭程度の事がなんだ、と思われるかもしれませんが、この場合重大です。
なぜなら彼は神であり、戦士であり、山羊を生き返らせるような魔法も使える存在です。以前に紹介した様々な王のタブーを紹介しましたが、その中に頭髪や髭、爪などを安易に切ってはいけないというものも、説明したと思います……説明したと、思います。
そうしたタブーは中世、近代初期まで一般にも守られ、侍は髷を切ってはいけないですし、現代でも髷が結えないという理由で引退する関取はいるくらいです。ジブリのアニメ映画「もののけ姫」の始まりのほうのシーンで、主人公アシタカが髪を切って集落に置いていくシーンがありますが、あのシ-ンはよく”アシタカがその集落で死んだものとみなされた”と説明されます。
こうした北欧の慣習について詳しくないのですが、神話の時代の存在なら、なおのことそうしたタブーは強かったはずです。
もちろん一方には、戦士の魂である武器を失うという不安もあったのでしょう。しかし、彼が髭を剃るという事は、同じように戦士としての重大事であり、そのどちらかという選択は本来つらいものだったはずです。
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なぜかいつもは笑っている彼が、篝火からは距離を取り、座り込んでいる。
ここで彼に話しかけイザリスまで入ってしまうと、いつの間にか太陽虫に寄生され、敵対されてしまう。今は悲痛な姿を見せる彼を一時無視し、混沌の娘に多くの闇の魂を捧げ、閉ざされたルートを開く必要がある。
普段猛々しい戦神トールが、おとなしく女性の恰好をするというのも面白いですし、その後のやり取りも妙にユーモラスで、最後のシーンも物語としてはカタルシスがあります。このスリュムの歌はおそらく過去の時代にも人気のある歌で、吟遊詩人たちはよく人々にせがまれたのではないでしょうか。
しかしこうした神話の中に、女性装による力の回復やそうした儀式に際し、疑似的な死の試練があったことも、読み取ることも出来ます。そうした過去の人々のユーモラスに語る、死と再生の物語。冬至の祭り、一年で最も長い夜には、そうした再生の祈りについて考えてみるのもよいでしょう。
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彼が廃都イザリスで何を見たのか。彼の探した太陽とは何だったのか。これらはダークソウルの物語の中でも、でも特に光の当てられていないエピソードである。
しかし、それでまったく、よいのではないだろうか。
2021/12/21