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KINDORU出版:外伝終 ~ロングテールを掴めるか~

さて目次の作り方までを説明し、これで一通りは電子書籍の作り方について、述べられたと思う。

おそらくこうして紹介した一つ一つの作業について、いざ自分がやるとなると戸惑うことも多いと思うし、なぜかここに書かれたようにやったのに上手くいかなかった、という事もあるかもしれない。

それでもそうした作業を何度か経験してしまえば、どれも機械的に行えるような作業ばかりであり、次の本やまた次の本を出すころには自身を持って行えるようになっているのではないだろうか。

また、そうした作業の中でなにか疑問があった場合は、コメントなどでしっかりと状況を整理したうえで相談してもらえれば、力になれるとも思う。

さて、最後となるこの記事では、自分がなぜKindle出版を行ったのかを書いていこうと思う。

以前にもさらりと書いたかと思うが、自分がKindle出版について意識し始めたのはとあるVtuberの方がKindleで本を出したのを知って、自分でもできるかもしれないと思ったからである。

そしてその計画を具体的に考え、また出版する作品としてカクヨムで書いていた自著「the Thyrone of the Blood.」を選んだのは、こうしたカクヨムで掲載していたいくつかの作品について、もうそこでは読者の評価を得ることは難しい、と考えたからである。

自分はすっかりあちらでの作品発表は御無沙汰になってしまって、今のことは分からない。それでもカクヨムのようなWeb小説投稿サイトは、基本的にユーザーからの票獲得が大きな意味を占めるのではと思う。

小説へは各話ごとにハートマークの応援を贈れるが、重要な意味をもつ星の評価は基本的には小説を最新話まで読んだ後に送ることが出来る。そしてそうした評価を得た作品の中から、次の日のサイトのトップページにピックアップされる作品がきまり、多くの人はそのトップページを参考に作品を見る。

その他その作品が注目される要素には更新か完結のタイミング、またジャンルごとのランキングでの順位があるが、ランキングの順位もまた先ほど説明した最新話からの星での評価が強く反映されている。

小説の話数を進め更新をおこない、新作を探す興味の強いユーザーに評価をもらう。そしてトップページに掲載されると、カクヨムを普段見ている中程度の興味を持つユーザーにもリーチできる。

必ずしも作品を見た人が評価を行う訳ではないが、評価を受けるにはまずみられることが必要となる。そして更新を繰り返し、一度興味を持ったユーザーに何度も話を見せ続けると、評価を貰える確率は上がる。

こうして評価・PVやトップページの露出が増えればランキングでも上位を狙え、さらに多くの人の目に触れる機会が増える。

もちろんそれは一方では非常にいいことで、こうしたシステムの中でいわゆる「なろう」的物語は醸成され、それらが今や多くの出版やメディア化がされている。

しかし、そうしたWeb小説の形式の中でポイントを得られなかった作品は、どうしてもそのサイトの中では日の目を見ることが出来ない。

自分の作品は、正直に言って暗い題材のものであり、一話一話も重いうえ内容も長くなってしまっていた。そうした作品でももちろんちゃんと集中的に投稿して毎日更新を繰り返していればある程度は評価されたし、自分は幸福なことにそうした中で読者の方から感想もいただくことが出来た。

ただなかなか難しいことに、作品がせっかく完結しその後何日かの完結済みブーストがかかって以来、カクヨム上ではそれ以上PRの機会はなくなってしまった。

ツイッター(X)やノート等他SNSで宣伝するという手段はあるものの、そうした外部的な手段を突き詰めるなら、それこそカクヨムから離れて小説家になろうなどの他サイトへ転載していくことになってしまう。結局のところそこでもまた同じことを繰り返してまた別の小説サイトへ行くのなら、それぞれのWeb小説サイトという存在は何なのだろう。

考えてみると、なにも投稿者の側だけがそうしたサイトガチャ・投稿ガチャを繰り返しているわけではなく、ある意味ではサイト側やまたそこから作品を拾う編集や出版社も、また作品ガチャをしているのではないだろうか。

Web発の人気作の書籍化、というといかにも出版社が手腕を発揮して面白い作品を選んできたかに思えるが、その実そうした作品が醸成されるプロセスは、先ほどから説明したような厳しい環境下での投稿者側の競争である。そして投稿者の作品がバズるのにある程度は運が絡むように、出版社側からいい作品を見つけるのには同じ運の要素が絡んでいる。

そして彼らの仲介者となるWeb小説サイトは、そうして選ばれる作品を、もしかするとピックアップし強調する役割を自然と担っているのではないのだろうか。

先ほど言ったように、Web小説サイトの構造はポイントやPVを獲得できる作品がさらに評価を受けるという土壌がある。カクヨムのそれは顕著かもしれないが、他のサイトでも基本的にはそうした傾向があるだろう。

度々Web小説界隈でもそうしたポイント制への批判は上がるが、それはなかなか変わることはない。

それは一つにはそうした評価システムが、結局のところユーザーにとっていいというのはあるだろう。単に見る側には面白い作品が自然と選ばれ、彼らの目の前に運ばれてゆく。ここnoteでも、そのようなユーザー評価を得た記事がピックアップされやすいシステムというものは存在する。Kindle/Amazonでも、もちろんそうである。

そして第二に、そのような単純なシステム以上にユーザーに満足させるサイト設計は、おそらく非常にコストがかかるということもあるだろう。

別段誰しもが連載形式のキャッチ―な題材の作品ばかりを面白い、と感じるわけではないはずである。しかし、そうした単純な評価ではピックアップできないなにかをもつ、あるいはそうした人々の間で人気ではないがある人には強く刺さるという作品を、どのように評価するべきなのだろう。

そうした複雑で微妙なものをくみ上げるシステムは、おそらく現状で創り上げられるはずではあるが、やはりそれなりの時間もコストもかかるだろう。

そして最後に、そうした人々に普遍的に引っかかる何かを持った作品を強く押しだすことは、そのサイトやその作品を書籍化する出版社をも、人々にまた評価させるからではないかと思う。

こうして一見そうしたWebサイトやそれを利用する出版社を批判するかのような記事を書いてはいるが、その実私自身もカクヨムや小説家になろうの人気作は読んでいる。そして結構好きである。

そして、以前からそのように自分自身が読んでいた小説が書籍化されたりアニメ化されると、出版社やアニメ会社はよくやったとばかりに彼らのことを内心では応援していた。よくぞ謎の光や改変に屈せずに、あの御神体をテレビに放映できたと感心した。

そしてこうして考えるまで、自分では到底取り得なかった何百万というPVや何万という評価をそうした作品がとっていることに、悔しさを感じつつも凄いものだと思っていた。

もちろんいまも、そうした作品や作者に対する敬意がなくなったわけではない。しかしいろいろと考えてみるに、そのポイントの数値自体が自分の作品とその作品との絶対的な価値の割合を示しているわけではない、と思うようになった。少なくとも、自分の作品が現在ランキングのトップに輝いている作品たちの、数万倍・数十万倍も面白くないわけではないだろうと。

考えるに、Web小説サイトはああした作りのポイント制によって、そうして選ばれてくる小説たちに対し極端なポイントの格差を作り出すことで、書籍化され行く小説にある種の権威づけを与えているのではないだろうか。

数ある作品が軒並みあまりポイントを取ることのできない中で、一部の作品が大量のPVやポイントを得て書籍化を果たすことは目覚ましく、まさにヒロイックな活躍劇である。そしてそのような作品が書籍でも売れれば、その作品を生み出したWebサイトの注目も上がる。

別段、彼らが意図的にそうした訳ではないだろうが、そうしたシステムを持ったそうしたサイトが、投稿策の発表の場として、書籍化の仲介場所としての最適な役割を担っているのではと考えることはできるだろう。

そうしていかなければ結局彼ら自身も、またユーザーや投稿者の興味をひかず、ひっそりと消えていくしかないのだから。

こうして長々と説明したが、結局のところこのシステムがいいとか悪いというわけではなく、事実として私の作品はそのシステムの中で負けてしまった。

そしてそんなカクヨムから落ちのびた私は、果たしてどこへ行くべきなのか。少なくともこの仕組みの中で巻けてしまったのだから、同じような場所へ行っても、その公算は少ないだろう。

さて話は変わるが、Kindleというのは米国のAmazonが行っている、電子書籍にまつわる商売の様々なものにものに使われる名前である。電子書籍ストアとしてのKindleというものもあるし、電子書籍リーダーとしてのキンドルや、個人の電子書籍出版プラットフォームとしてのKindle.D.P.というものもある。

まあ要するに、KindleとはAmazonの中の電子書籍の部門と大雑把に行ってしまうことも出来るだろう。

そしてでは、そのKindleの母体となるAmazonとは、何だろうか。

自分の憶えている限り、Amazonという社名を聞いたのは十年以上はむかしになる深夜のニュース番組だったかもしれない。アメリカのすごい企業がインターネット通販において業績を伸ばしており、その凄い企業がこの日本にも展開しているというような話だった。

そのニュースのさらに語るところでは、このAmazonという通販会社は、ロングテールという手法によって大きく利益を上げていると紹介されていた。

「オフライン小売店」と呼ばれる従来型の店舗を構えた形態の販売店では、商品棚の容量や物流上の制限などで売上げ成績の良い売れ筋商品を主体に販売するよう努め、売れ筋以外の商品(死に筋商品)は店頭に並べられないことが多かった。しかし、アマゾン社などのオンライン小売店は、無店舗による人件費と店舗コストの削減に加えてITの利用による在庫の一元化やドロップシップの導入などによる物流コストの極小化を進めた結果、従来型の小売店の制約に縛られず、普通に考えれば年に1個、またはそれ以下しか売れないような商品まで顧客へ提供することで、店舗を構えていたのでは実現不可能な大きな販売機会の取り込みを可能にした。このようなITを駆使した新たな物品販売のビジネスモデルを説明する時に使われるのが「ロングテール」である。

Wikipedia 記事「ロングテール」より

このロングテール論においては、市場の中で決して強いとは言えない商品も、世の中には欲している人がいるとされる。そしてそうした小規模取引を、効率化した流通システムで顧客に届けることによって、彼らは大きな利益を上げているというのである。

そのニュースを見ていた時は、アメリカというのは広い国でありそのようなものなのか、という感想であった。

しかし、こうしてあれから何年もたち今の現状を見てみると、かれらのロングテールという戦略は、理に適っているうえに自分にとっても有難いものだった。

近所の書店では一度も見たことの無いような、すこしニッチなジャンルの本。昔は置いてあったのかもしれないが、時代が変わりもう書店にはならばくなってしまった漫画。自分が図書館で読むような本に度々その名前が出ているのに、その書店にも図書館でも見つからなかった一冊。そうした貴重だったりニッチな本が、アメリカの通販会社を通して購入できる時代がこようとは。

そしていま、その彼らがこうしてKindleやその中で個人での電子出版を押しているのを考えると、彼らにはそこに何かの商機のようなものを見ているのかもしれない。

いまやyoutubeなどを見ると様々な人が多くの動画を投稿し、日々何時間も配信をして恐ろしいほどの速度で動画データがアーカイブとして溜まっている。しかしそのyoutubeや親会社のgoogleは、その膨大なはずのアーカイブを維持したまま、決してただではないサーバー維持費を浪費している。

それはおそらく彼らが、すでにその動画プラットフォームに多くのユーザーを抱え、広告料やスーパーチャット等のシステムでそれだけの市場を生み出せるからである。

そしてもしそんなことが可能なのであれば、Amazonもまたこれから膨大に増えていくであろう電子書籍のデータを、何らかの形でマネタイズできると考えているはずである。

そしてその方向は、単に自分たちのプラットフォームに人気コンテンツを作り上げるというものだけではなく、その膨大にたまった電子書籍データの中からニッチな本をニッチなユーザーに届け、貴重だったはずの本をそれを欲している人のところに届ける、という具合に行ってゆくのではないか。

実態としては流通業でありながら、いわゆるGAFAの一員である彼らなら、そうした商品とユーザーとのマッチングを行うシステムは作り得る。そしておそらく、もうかなりのところまで作り上げようとしているのではないだろうか。

先日、実は全く売り上げのないはずの自分の作品の販売ページに、関連する商品の項目が追加された。

関連する商品。なにが同関連するかは不明。

この作品たちはどのように選ばれ、なぜ自分の商品と関連すると考えられたのか、そもそも誰に?

これら並べられている本の多くは小説で、どことなく暗いダークなものが多い。確かに自分は自分の作品をそうしたホラージャンルに設定もしたが、それにしては同じくカテゴライズしたライトノベルはあまり並べられていなかった。そして何故か登録していないミステリージャンルのものもあれば、ノンフィクションのものも並んでいた。

考えるに、これらはある種ランダムで選ばれた作品を並べていて、Amazonはある商品のページを見た人間が、そこからどの商品ページへ飛び小フンを購入するかなどによって、ある商品とある商品との関連を実験的に調べているのではないか。

或いはもしかすると、私のこの電子書籍の文書内容はbotやAIによって解析され、その文面の感じから、関連すると思われる商品を選んでいるか。

いずれにせよ、自分には今のアマゾンが何か新しい試みを試しているように感じられる。

別段これが自分やそして誰しもに、手放しにいいものというわけではないだろう。あるシステムには、必ずどこかに他の問題が潜んでいて、何かが出来る代わりにまた他の何かに苦労する。

それにそうした商品のマッチングシステムが発展しても、現状では誰に買われていない自分の小説はその中でさえ評価外だろう。

それでもいつかのことを考えれば、自分はカクヨムよりもKindleにこの作品をあずけることに決めた。

それは確かに、自分の作品があの場で評価を受けられなかったからではあるし、ただAmazonというより長いものに巻かれたほうが得だろうという、変な打算も存在する。しかし、彼らのプラットフォームの中であれば、いつかこの小説に何か評価をしてくれる人が現れたとき、その人の購入履歴やまた評価した作品に基づいて、同じような好みの読者にまた自分の作品を届けてくれるかもしれないという希望は存在する。

カクヨムやそうしたサイトの評価基準に敗北した自分は、せめて自分の作品をそういう読者に読んでもらいたい。そしてその作品にとっても、その方がいいだろうと思っている。

つまるところこうして長々と記事を書いてきたのは、今こうしてこの記事を最後まで読んでくれている人に、そのための手助けをしてほしいからである。

自分の作品は人を選ぶものではあるうえ、内容も暗い。だから、この商品ページから飛んで、試し読みをして会わなければそのままページを閉じてもいい。実際に買って読んでも、やはり内容が合わなかったと感じたら、☆1の評価を下しレビューにその旨を書いてもいい。

そしてその「いい」というのは、最悪でも少しの評価や購入ページの閲覧になるから”それでもいい”」というような、消極的なものではない。

この本に誰がどのような評価を下すにしろ、それはまたこの本を嫌いだと言う人からの評価を下げ、代わりにAmazonはその人とは読書傾向の違う人へとこの本を進めてくれるかもしれない。そうしたマイナス評価でも、誰かこの本を気に入ってくれるような人へ届く、手助けとなるかもしれない。

そしてそのためには、今は少しでもこの本が注目される、という事が必要だからである。

結局のところAmazon・Kindleにおいても、評価されることから逃れることはできないし、何かと比較されるということなしに自分自身や自分の作品が他の人の目に触れていくという事はあり得ないだろう。そして自分自身でも、この試みに未だ半信半疑な部分があることは否めない。

しかし、そうした比較や評価から逃れ出ることが出来ないのならば、せめて自分の作品がその中である種正当な評価を受け、あるべき評価の中に落ち着いてほしいとも思う。

そしてそれはただ大雑把な面白い、面白くない、人気がある、人気が無いというものではなく、自分の作品に関心を寄せる人にとってこの作品が、また他の作本と並び位置づけられるかというような、もう一つ踏み込んだ評価をである。

思うに、そうした世の価値観の中に位置づけられてゆくためには、むしろより多くの評価にさらされればならず、より大きな流れに曝され身を任せるしかない。単に趣味としての作品の投稿ではなく、一つの商品として本を出し、そしてお金を払ってそれを読むユーザー側に、批判も率直な評価もゆだねるべきなのだろう。

それが結果として私の作品に、どのような評価を下すとしても。

モイヤーズ この話を学生たちにお聞かせになりますか。もし自分の幸福を追求したならば、もし自分の人生を賭けてみたら、もし自分のしたいと思う通りにしたら、その報酬としてこんな冒険が舞っているんだよ、と言って?
キャンベル 冒険こそ冒険の報酬です——が、それには必ず危険が伴う。良い方向と悪い方向という両方の可能性があるけれども、どれもコントロールできないものです。私たちは自分の道を歩んでいるのであって、パパやママの道を歩いているのではない。

ジョーゼフ・キャンベル&ビル・モイヤーズ「神話の力」より


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