ブラッドボーンと西洋文化の血脈 7
前回の記事はコチラ。
無秩序なまでに尖塔が築きあげられ、不気味なゴシックホラーと冒涜的なコズミックホラーの融合した異邦の街ヤーナム。
この異様な街の現在の姿を作り上げ、様々に飾られた石像や建築様式が醸し出す、独特の思想を唱えているのは”医療教会”と呼ばれる組織です。彼らは”血の医療”なる民間医療によって上位者と伍する、あるいは彼らに見えることを目的とし、その前身はビルゲンワースと呼ばれる考古学集団でした。
このブラッドボーンの奇妙な設定について、前回までの記事でキリスト教の聖体礼儀や、そうした秘儀によって天国・神の国へと至る信仰をモデルにしたのではないかと書いてきました。
元は考古学集団ビルゲンワースの地下遺跡のトゥメル文明に”宇宙”をもとめる運動であった医療教会の探究の歴史が、このキリスト教の密儀宗教的側面における、神の宇宙創造の中心としての楽園への回復の信仰と類似しているのではないかという事。
またそのような側面を持つ宗教としてのキリスト教が、ソクラテス・プラトンそしてアリストテレスのような哲学的世界観を補強する意味で受け入れられ、ローマを中心とする西洋世界に受け入れられたのではないかという考えから、学者団体から宗教となった医療教会の元ネタとしてオマージュされているのではないかという考えを述べてきました。
この世界の存在理由である、善そのものとしての”イデア”。物理的な太陽系宇宙の中心としての、”不動の第一動者”。そして自身の似姿として人間を造り、この宇宙の造物主としての”神”と、その位格の一つとしての”イエス・キリスト”。
これらの神学/哲学を統合し、理性によって推し進めていこうとしていた西洋文化ですが、次第に明らかになっていく客観的な事実とその思惟によって、人間が獣から進化したのではないかという進化論や、地球は宇宙の中心ではないという地動説のような”不都合な事実”を明らかにしてしまいました。
このような科学的事実を求める”啓蒙思想”と知への失望の歴史が、ヤーナムの病的な描写のモデルであり、これらを超越しようとした哲学者ニーチェの”超人思想”が、狩人の歩みやゲーム中の様々なモチーフなのではないかという考えもこれまでの記事に紹介しました。
これまでの記事を読んでいただいて、細かい部分についての疑問はさておくとして、このブラッドボーンの世界ヤーナムが西洋の文化とを深く意識して作られたのではないかという点には、かなり納得していただけたかとは思います。
ただしこれらの私が主張するゲームと現実のゲームの類似点の全てにおいて同意できるかはまだまだ疑問の余地は大きいですし、実際にこの中のいずれかは私の考えすぎた結果という部分もあるでしょう。そもそも西洋の文化を表面的になぞっているゲームやファンタジー作品は世の中にいくつもあり、だからと言ってそうした作品が、その作品内部の物語についてもこうした西洋の思想そのものをテーマとしている、という場合は多くありません。
したがって、このブラッドボーンがこれら表面的に見える以上に西洋的思想の血脈を受け継いでいると述べるからには、それなりにこのゲームに特徴的な部分においてこの西洋のキリスト教的思想を匂わせる点を指摘し、その事によってこれまでには分からなかったブラッドボーンの物語における新しい視座を与えなければならないでしょう。
一生”木と石”を語ってる考察者
前回のマリア崇敬での箇所で触れましたが、聖母マリアという存在は永遠の命をもたらすキリストの聖体を地上にもたらした女性です。
そして彼女は死後に被昇天をうけ、最後の審判を経る前に天の国にいるのだとされています。
彼女の処女性は閉ざされた園というモチーフで描かれ、無原罪のマリアとされる彼女の存在は、同時に人々が追放された神の庭とも結びついています。また多くの神話で人々に食物となる果実を与える樹木は女性だと考えられ、豊穣の女神という形で崇められています。
つまりこうした神話的イメージの世界では、閉ざされた園にいる聖処女マリアは天の国そのものやその中心に植えられている”生命の樹”の象徴とも見なされるのです。
この天の国、楽園とはこれまでに説明してきた通り、創世記で神が創造した苦しみや死の無い真実の宇宙であり、彼女から生み出された果実=キリストの聖体を拝領することで至れる特別な次元です。
しかし同様にこうした別の絵画では彼女は受難の運命にあるキリストとともに荒野に描かれ、その顔には深い憂いが刻まれています。
このような岩に象徴される荒野でイエスを抱く聖母像は、まさに地上での苦しみの生や、それに耐え一心にキリストの犠牲を想う信仰の像です。”開くマリア像(Vierge Ouvrante)”に見た通り、幼子イエスを抱くマリアの姿は、しばしば教会そのものに例えられます。
また初代ローマ教皇シモン・ペトロ、つまり岩とあだ名された使徒のエピソードに代表されるように、岩石によって築き上げた教会は巌のような堅い信仰の象徴であり、そのような堅い信仰のあり方に対し”天国への門の鍵”は託されています。
さて、おそらくこうしたいくつかの事実により、工房の狩人と医療教会の狩人がああした得物を狩りに使うのか、ということを説明できるかと思います。
ゲールマン一派の工房は、おそらくトゥメル文明以降に移り住んできたと思われる、現ヤーナム人たちの文化を強く受け継いでいるのでしょう。
彼の名の通り現代の多くの西洋人の祖先であるゲルマン人やケルト人は、その昔に豊穣を司る樹木信仰をもっており、その自然的思想がゴシック様式の教会建築に反映しているのではないかと、以前に酒井健氏の「ゴシックとは何か」を引用し説明しました。
こうした事実から考えられる考察として、ゲールマンら工房の狩人は医療教会によって広められた教えの中に現在でもこうした樹木神への信仰を潜ませ続けており、彼らにとっての聖体拝領とは豊穣女神の体から、その身を切り取って己の血肉とすることなのだと思われます。
この通り彼ら工房の狩人の基本的な狩り道具は、本来獣を狩るために用いる弓矢や罠とは程遠い、樹木を伐採するための道具です。最初の狩人ゲールマンの用いる葬送の刃も、本来畑からの収穫物や草を刈るための鎌であり、獣に対して用いるものではあり得ません。
そしてまた、古代トゥメルの宇宙観とその探究から発した医療教会の思想は、以前聖杯ダンジョンの風景から考察した通り巨石や山岳への信仰を習ったもので、そうした石を積むことにより天への上昇を祈っていたものと思います。
したがって彼ら教会の狩人の基本的な得物は、石材を切り出し彫刻するための、鎚と鑿(のみ)あるいは楔です。
教会の石槌はこのとおり、明らかにこの石材そのものを意識したデザインで、他のゲームなどで見られる戦闘用のウォーハンマーとは違います。
またルドウィークの聖剣のデザインも、変形後のその姿は単に剣というにはあまりにのっぺりとした金属の塊のようで、柄の部分を除くそのシルエットは、尻側がつぶれた無骨な石鑿ににています。
このような無骨な狩り道具を用いることについて、教会の狩人たちがより恐ろしい獣に対するためと説明されますが、そのために盾を構えたり長い柄の槍などで応戦しないのは何故でしょう。狩人たちの明らかに不合理な狩り道具の形態は彼らの思想の反映であり、どちらかと言えば彼ら自身の”内面における対象への認識”を反映したものです。
ただしこれら教会と工房、石と木への信仰は互いに別々のものを目指すわけではなく、ヤーナムという地で混ざり合い習合した一つの信仰を表すものだと思います。
ダークソウルの考察記事の番外編で語ったように、これら石と木は人の長寿の生命と、生きる上での生命の幸を象徴するモチーフでした。人を超える上位者への信仰は、単に長寿であることや、単に力を得て人生の苦難を楽にするという程度のものではないはずだからです。
(ブラッドボーン以外にも、ダークソウルシリーズをやったことのある人はどうぞ。ダークソウルの神話、岩と大樹について考察した記事です。)
事実、教会の大男たちや教会の使いは、医療教会側の存在ですが斧や鎌を持ち、その聖堂の祭壇には樹木と女神、聖櫃と思われる箱とローレンス獣化した頭蓋骨が置いてあります。医療教会の教会内にもゲーマン的樹木信仰、豊穣女神への信仰も取りいれられ、この文化の中で二つの宗教観は両立しているのだと考えられます。
ではつぎに、このヤーナムの民たちの樹木神の信仰、医療教会の堅い巌のような信仰が、同時に一つのヴィジョンにつながっている事。そしてそのような彼らの目指す”宇宙”とは、ユダヤ・キリスト教の楽園を意識して設定されたものではないのか、ということを考えます。
湖の秘匿、深海の神秘。
学長ウィレームはおそらくビルゲンワースにおいて、人の進化の可能性に初めて気づいた人物でしょう。
それは彼らがヤーナムの地下遺跡にみた宇宙への思想であり、そこで見つけた様々な遺物から、自分たちにもそれが出来るのではないかと考えたのでしょう。しかし保守的な彼としては、人々にはまだその資格が無いと考え、長らく他の手段を探した後、彼の得た何らかの秘密を湖に隠しました。
それ以前の研究期には内に瞳を得るという手段を探り、それによって上位者と伍することを考えていたようです。一度は上位者の遺物である「瞳のひも」「三本目のへその緒」と呼ばれるものを求め、しかしその顛末は語られていません。
私たちが出会う彼は、ビルゲンワースの月見台で安楽椅子に揺れ、既に人とも眷属ともつかない呆けた姿になりはて、瞳のカレルを宿しずっと月のほうを見ています。
さてそんな彼の理想に近いとされる詳細不明のこのカレル文字ですが、これは筆記者カレル本人が人ならぬ上位者の音を記録したもののようです。詳細のまるで分からないこのエピソードは、ある種の上位者からの神託をえて、それを書きとったもののようにも考えられます。
このカレル文字を少し整理し並べると、以下のようになります。
以上の通り(多少恣意的にはまとめていますが)、基本的にはこの22種がカレル文字の種類と考えてよいでしょう。
この「22」という数はヘブライ文字のアルファベットの文字数、またそれに対応して成立したと言われているタロットカードの枚数と同じです。以前にも言及しましたが、狩人の用いる「狩り」のルーンがタロットカードの「吊るされた男」と対比されて語られる考察は、度々目にすると思います。
しかし、このようにそのカレル文字の意味をアイテムテキスト中の「」付きのもので並べてみると、いくつかかぶっているものが見受けられます。鏡文字である右回り、左回りの「変態」と、同じ「血」の意を持つと書かれる同訓異字の「拝領」「穢れ」はこちらの主張に沿って数えていますが、あきらかに「湖」と「深海」シリーズはテキスト上の意味も文字自体の形も同じです。
これらを一つでまとめて数えた場合、その実質的なカレル文字の文字数は15種になってしまい、私の主張であるカレル文字とヘブライ文字の関連は無いかのようにも思えます。しかしここで、アップデートやDLCによって追加されたカレル文字を見てみましょう。
「淀み」はアップデートの連盟システムとともに追加された契約のカレル文字で、その他の物はDLCによって追加され狩人の悪夢でのイベントの進行やボスを倒すことで入手できます。
この文字4種の文字を足すとゲーム中に入手できるカレル文字の数は19になるのですが、実はDLCエリアにはアイテムとしては入手できない未知のカレル文字と思われるものが存在します。
それが「Bloodborne設定考察wiki」の「DLC考察・星見時計のカレル文字」に記載されている、以下の文字です(あるいは「Bloodborne Official Artworks」をお持ちの方は、198pの星見時計の文字盤などでこの不明なカレル文字を確認できます)。
さて、もうお分かりでしょう。先の19種に、さらにこの未知のカレル文字の2つを足すことによって、実際のカレル文字の文字数はなんとにじゅうう・・・・・・
なんと、21種になるのですが・・・
言え、待ってください。
先ほどは「変態」の意味を持つ「右曲がりの変態」と「左曲がりの変態」を鏡写しの同一の文字のように扱っていましたが、よくよく考えてみたらこの文字の形は別の物のようです。日本でも卍(いわゆる”右まんじ”)と 卐(左まんじ)というものがありますし、それに、もしかするとこれらの言う変態とは、蝶のような昆虫が一度蛹になって成虫に変わるような「変態」を意味したものと、正常ではない性行動をすること、あるいはその人物を指す語という意味での「変態」の違いがあるのかもしれません。これら「右曲がりの変態」と「左曲がりの変態」のどちらが変態的な意味での変態かはわかりませんが、ここにもフロムソフトウェアの巧妙なパズルが隠されていたようですね。
したがってこれらの文字は本来、効果の差異によって並べられていた「湖」や「深海」のスペースを満たすために使われ、
このように完全にカレル文字の表記が22種であり、本編中では未知だったそれらが、「湖」の下に秘匿され、「深海」の底に眠っていただろうことが解ると思います。
生命の樹と、その守護者
このヘブライ文字の22というのは、カバラ思想では”生命の樹”の象徴図形に描かれる22種の経路を示し、10のセフィラを”樹”の図形に結び付けているものです。
ここで「創世記」に書かれている人が楽園から追放された後の文を見てみましょう。
この命の木をまもるケルビムという存在は、旧約聖書のエゼキエル書などにも書かれる天使で、神の座を守るものとしてその顔を知り得たため、智天使とも呼ばれる存在です。
長いうえに要領を得ないので要約すると、突然エゼキエルの前に4人の天使が現れ、その様子は一見人の形をしているがそれぞれに四つづつ、人、獅子、牛、鷲の顔を持ち、四つの翼の二つを上に広げ二つで体を覆っていた。しかもその天使の中には火が見えて、またそのそばには輪の中に輪の入った二重の輪のようなものが回っていたという次第のようです。(その後この天使達の頭上から輝く人のようなものが現れ、エゼキエル自身も歴史上めずらしい、神を幻視した預言者となった)
この人、獅子、牛、鷲、というものが表すのは黄道12星座の「みずがめ座」「しし座」「おうし座」「さそり座(なぜかこうした場合では鷲がその象徴)」で、天動説世界観における太陽系宇宙の四方を司る存在です。
この複雑な天使の描写も、あるいは年を通しての太陽の運行の様子を寓意化したもので、この天使も神が造った天上の宇宙を称える存在なのかもしれません。またこの天使が守る神の座や、生命の樹、あるいはこの天使の意匠で飾ったアーク(聖櫃)が、宇宙の中心だという事を示す存在であるともよみとれます。
問題はこの神を知る天使がエデンの「生命の樹」を守るために置かれ、「回る炎の剣」を持たされているという事です。
先ほど関係性を考えたカレル文字の秘密と、カバラの生命の樹。そして炎の武器を振り回す存在と、そのそばにある輪の中に輪の入ったような物体。これらの関連性を考えるに、おそらく・・・
おそらくこの狩人の悪夢の最奥へと続くパートは、単にDLCストーリーの手ごわい障害として用意されただけでなく、ストーリー上で特に重要な意味を含ませてあるはずである。
それは、ローレンスたち医療教会のもつ石積のような苦難の信仰の歴史。ゲールマンの抱いた「狂熱」的なある女性への信仰の闇。そしておそらく学長ウィレームの安易にそれを手にするべきではないという思想により秘匿された”生命の樹”の秘密、上位者へと伍する神秘主義の奥儀を暗示するパートではないでしょうか。
三本目の三本目
実際にはここから得られる情報だけでは、医療教会の真の思想がなんであるか、という事自体は分かりません。もちろんこれら不明のカレル文字や、そもそも通常のカレル文字のもつ「意味」についてもまだまだ私たちの考察は足りていないのかもしれません。
結局のところ、フロムソフトウェアの他の作品でもそうであるように、このゲームの表現の奥にあるテーマ自体には、はっきりとした答えは提示されません。それはこうしたテーマというもの自体がある種の哲学的な問いであり、それらを問われ続けることそのものが価値を持つからなのかもしれません。
しかしダークソウルやデモンズソウルの時代から最新作のエルデンリングまで、かなりの謎めいた存在としてあるのがフロムソフトウェアにおけるある種の特別な女性の存在です。
主人公にレベルアップをもたらす「火防女」的キャラクターの存在は、たいていの場合他のNPCとの相関から独立しており、グウィンの妻のような明らかに歴史上重要な役割を持った女性でも、名前さえ明かにされないことがままあります。
このような女性たちはおそらくはそのゲームの自然世界と、男性的な歴史を積み上げていく戦士とを仲介する神秘的な存在で、最新作エルデンリングのいくつかの女性NPCも、そのような神的力を主人公や王にもたらす、特別でもあり脆く儚い存在としても描かれます。
人の歴史というものは多くの場合では、名前を重要物に記載する男性たちが形作っているかのように受け取られます。しかしそうした文書的世界観をもちつづけたユダヤ・キリスト教であっても、その文化の中にやはり女性たちや女性的な文化というものを排除しては成り立ちません。このブラッドボー
んにおいて獣というものは、ある意味では男性側からの女性達への欲望だと
は、皆さんとしても薄々感じる時があるでしょう。「あんたに何がわかる!
俺だってなぁ!」とは恐しい獣となった男の台詞ですが、どこかやるせなさ
の滲む台詞の中には、王を戴こうとしてついに自らの女王を神々への血の花嫁として捧げてしまった、古代から続くヤーナムの悲哀が宿っています。
2022/6/11