わたしの乳がんはステージゼロ#1
しこり発見から初めての検査
2021年当時32歳のお正月くらいに右胸にしこりを見つける。
小さい“それ”は動くような動かないような、、、。
ネットで調べる。
「30代前半 胸 しこり」
“動けば大丈夫。30代前半は乳腺炎のことが多い。
でも早めに病院で検査しましょう。“
このようなことがどのサイトを見ても書いてあった。
仕事が忙しく休みも少ないことを言い訳に病院に行かなかった。
まさか癌だとは思いもしなかった。
気にしつつも忙しく過ごし、1年以上が過ぎた。
この頃しこりが大きくなったような気がした。
当時の仕事が落ち着いたタイミングで、
子宮頸癌検査の無料クーポンが市から届いた。
「あぁ、ついでに胸のしこりも診てもらうか。」
ネットで調べ、子宮頸癌の検診のついでに胸のしこりも診て貰えないかと婦人科に問い合わせた。
「婦人科では乳癌の検査はできません。」
あれ?違うの?
無知なわたしは、婦人科と乳腺外科の違いを知らなかった。
どうやら胸の検査は乳腺外科に行かないと診てもらえないらしい。
そんなことも知らなかった。
それくらい乳癌はわたしと遠いところにあると思っていた。
2022年4月実家の近くで乳腺外科を調べ初受診
マンモ、エコー、しこりがあるのでその場で針を刺され組織を採取。
針生検というらしい。
大きな針を胸に何度も刺されあまりの痛さに涙が出た。
軽い気持ちでいった病院でいきなり針を刺されるなんて。
心の準備なんてする時間もなかった。
検査の待ち時間に抗がん剤治療をしているだろう患者さんを何人も見た。
あぁ、わたし癌かもしれないいんだ。
人ごとだと思っていた癌が自分ごととして考えられた瞬間だった。
その後、もし癌だったらの説明も軽くされた。
能天気に考えていたのでショックが大きかった。
説明を聞く中で妊娠を望みますか?の質問もされた。
そっか、治療次第で妊娠も難しくなるのか。と感じた時から頭が真っ白になって
後半の話は覚えていない。
帰り道泣きながら運転して帰った。
はっきりとした予定はなかったが、望むタイミングで当たり前に妊娠できると思っていたので、わたしの人生で妊娠出産が出来ないかも知れないと思うとショックが大きかった。
泣き虫のわたしはこの日から泣いてばかりの日々が続く。
ネット検索を続けては気持ちが落ち込み眠れない夜が多くなった。
1週間後結果聞きに行った。
結果はグレー。はっきりと癌だとは見えないらしい。
次の週に総合病院で精密検査を受けることになった。
血液、レントゲン、エコー、MRI、マンモ、針生検、丸一日かかった。
今までこんな検査をしたことがなかったので、ほとんんどが初体験だった。
病院はたくさんの人間で溢れていた。
こんなに多くの人が病気と、自分の体と向き合っているんだと気づけたし、今までの私が何年も病院にかからないで生きてきたことが奇跡だったんだと感じた。
検査途中、杖をついたお爺さんに話しかけられた。
『あなた元気に見えるけどなんでここにいるの?』
お爺さんはきっと自分は病気で大変なのに、日焼けし、健康に見えるわたしがそこにいるのが純粋に不思議で羨ましかっただけかもしれないが、
その時のわたしは、不安いっぱいの中、検査していたので、辛さマウントを取られた気分になって嫌な気持ちになった。
“わたしだって自覚症状なんてないし元気だし健康だと思ってるわ。“
「それを調べる検査してます。」と言ったら
「それは失礼。」と言って立ち去った。なんだったんだよあの爺さん。今でも思い出してモヤモヤする出来事だ。
マンモの検査時に乳頭から分泌液が出ていたらしく、
その液を検査しようと、看護師さんに右乳を絞られた。
今までそんなの出てなかったじゃん。地味に痛かった。
結果絞ったくらいじゃ出なかったのだけれど。
最後に担当医の先生の問診と針生検で涙が止まらなくなった。
(今考えるといろんなタイミングで泣きすぎ。
それくらい最初の検査から不安で押しつぶされそうだった。)
今回の検査前はちゃんと予習していたので、
“この検査(針生検)をするってもうグレーじゃないよね“
と予習で得た偏った知識のせいで苦しんだ。
検査結果を1週間後に聞きに行く。
もう心の半分は“がん“だろうと覚悟はついていたように思う。
それでも結果は”グレー”。
グレーだが摘出手術を勧められた。
癌じゃないかもしれないのに、手術?
泣く私の前で淡々と説明をして離席したお爺さん先生は優しくなかった。
(今となってみれば先生なりに考えて話してくれたと思えなくもない)
この先生におっぱいを切られるのは嫌だと悲しくなってまた涙が溢れた。
先生が離席し、泣いてるわたしに看護師さんがティッシュを渡してくれ、セカンドピニオンを勧めてくれた。
まだ若いし手術をするにしても同時再建手術ができる大学病院でもう一度検査することを、一個人としてお勧めすると親身に話してくれた。
この後、看護師さんのお勧め通り、大学病院での精密検査を受け直すことになる。
この看護師さんにはこれっきり会えていないけど、今でもすごく感謝している。
治療の方法も、病院も、先生さえも自分で選んで決めていいんだと初めて知れた。
そりゃそうだ。私の大切な身体だもんね。
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