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なくなっていく姿
今日は「せん妄」を読んでいる。
せん妄ケアにおいては、本人へのケアと同じくらい家族ケアが必要となる。せん妄になった患者を目の当たりにした家族は、「いつもと様子が違う」、「話が通じない」、「人が変わったみたいだ」とショックを受けることが多い。
私の父は旅立つ間際まで意識が鮮明だった。とてつもなく低酸素にもかかわらず正しく苦しんで亡くなった。せん妄を起こすこともなく。鎮静もかからず。
勉強をし直して、呼吸困難に対してベンゾジアゼピン単独では用いないことを推奨されていた。ミダゾラムを開始したとき私はまだ楽観視していて、呼吸困難に対する不安感をとれば少しばかり落ち着きを取り戻してくれるんじゃないか。それでも苦しければ少量のモルヒネを足すぐらいの時間的余裕があるんじゃないかと思っていた。
あっという間に父は亡くなり、亡くなった後に見たレントゲンは真っ白だった。往診医は「○○は進行が遅いから○○で亡くなることはない」と言っていたが、そのことを○○の主治医に伝えると「そんなことはないです。肺いっぱいに広がってなくなります。」と小さな声でぼそぼそと返事をしてくれた。主治医は父の最期をわかっていたのだ。
あの時の、あの先生の言葉は両親にも届いていたのだろうか。わたしだけに聞こえたのだろうか。もう少し、ちゃんと見通し=亡くなり方を教えてほしかったという思いもある。
それでも。最後の入院前に家族ですき焼きを食べ、「入院したく無いなぁ」と言っていた。最後の入院に、父は自分で車を運転して病院にやってきた。いい最後だったんじゃないかといつも思うけれど。
今日は改めて、母親にとって一番良い旅立ちだったんじゃないかと感じた。いくら説明しても、母は「せん妄」を理解できなかっただろうと思う。話の通じなくなった父を見るのは、苦しんでいる父を見るよりもっとつらかっただろう。
患者に安らかに旅立ってもらうか。家族に後悔を残さないか。どちらか二者択一になる場面を体験したのだと思う。
父は母に後悔を残さないこと、なるべくダメージを残さないことを望んだと思うし、私の選択は間違っていなかったと思いたい。私は私を庇いたいのだけれど。父の思う旅立ちであったと思いたいのである。