子どもの葬儀に親がいない
子どもが虐待死する事件が頻繁に起きます。
シングルマザーで頑張っている女性に近づく男たちは、
実は、4か月分まとめて振り込まれる子ども手当を狙っているのだとか。
子どもの年齢によりますが、例えば15000円もらえる子どもがいたら6万円、シングルマザーに子供が2人いたら12万円、3人なら18万円...
まともに働かない男は、その金をめあてに近づき、ギャンブルで使ってしまう。
いつの間にか、家に入り込んできて、自分だけの母親だったはずが、母親の気持ちも見知らぬ男に移っている。
子どもの目にはいい人に映るわけがないし、鋭い直感で入り込んできた男を見つめるまなざしは怖いぐらいだったであろう。
父親ではない男になつかない子供は、日常的に虐待するという結果になる。
もうずいぶん前になりますが、
義姉の葬儀がこじんまりとした葬儀会館でありました。
もう一組の葬儀がありましたが、人影は全くなし。
通夜の晩も翌日の葬儀も、部屋の中から女性の泣き声が聞こえて、それがいつまでもいつまでも泣き続けているのです。
ニュースで報じられていたし、葬儀会館の名札で名前も同じなので、母親の交際相手から虐待されて亡くなった男の子の葬儀でした。
ふつうに病気か何かで亡くなったのなら保育園だったか幼稚園だったか忘れましたが、園の先生やお友達が葬儀に参列するはずです。
泣いていたのは県外に住むおばあちゃんでしょう。
母親は交際相手とともに逮捕されているのでそこにいません。
なんか違うでしょ!
私は、警察に言いたい!
母親と交際相手のふたりに、この男の子の死に顔を見せるべきだと思うのです。
母親も年下の交際相手も大変若い。
いっときの快楽を求めて子どもを邪魔者扱いし続けた罪の結果を、見せつけるべきです。
生身の人間の本能も、若さゆえの抑えきれない業も、理性を狂わせるに充分な年齢だとわかりますが、そばに子供が見ているのです。
子どもの眼、子どもの気持ちを1分でも考えたことはなかったのか?
幼い子どもを死なせたのです。
当然のことながら、その報いは、母親も交際相手も将来は絶望的です。今も刑務所にいるのだろうか?
子どもを死なせてしまった現実と、
自分たちのせいで起こしてしまった事実と向き合わせることこそが、葬儀の場にふたりを居させなければならないと思う。
罪と罰は、
結果の事実と向き合わせることが何よりも効果的です。
政治家が子供を産んだら幾らカネを出すという低次元の話ばかりですが、せっかく産まれて育って5歳ぐらいになると自我も芽生えて、周囲の人間関係もわかるのです。
この子たちが健やかに育つ社会環境、社会風土、
シングルマザー、シングルファザーに対する国民感情も育てる必要があるでしょう。
私の住むご近所にもシングルさんが3人いますけど、頑張って子育てをしているお父さん、お母さん、立派ですよ。
昭和の時代がよかったとは言いませんが、親が子供の犠牲になることはあっても、わが子を虐待死させるなんてことはなかったはずです。
周囲の目も、いい意味でのおせっかいも普通にありました。アパートやマンションで暮らす生活スタイルがあたりまえになり、プライバシーの名のもとに、人間関係を遮断してしまってから何もかもが変化。
さらにまた今、
自分の知らないところで個人情報が漏れている恐怖の中で生活している国民同士の距離感も、政治家は無関心を装っているようです。