墓じまいの跡地を欲しがる外国人
“墓じまい”という言葉が、終活に必須のように考える人が増えました。
私は毎月、両親の命日にお寺さんに読経していただくので実家へ帰ります。
お供えの花を持って同じ町内にあるお墓参りに行きますが、コロナ禍前から行くたびに、空き地が増えているのです。
明らかには“墓じまい”をされたとわかります。
昭和の時代と違って、子供の数が少ない、そしてふるさとを離れている、墓守をする人がいなくなるのはどの家も必至という時代になってきています。
子供がいたとしても、遠方に住んでいたら頻繁に墓参りに帰ることはむずかしい。
私の実家もいずれは絶えて墓守をする人がいなくなります。
墓じまいして空き地になったところは、外国人が墓を建てたいと希望者が多いのだそうです。
以前、夕方のローカルニュースで見たのですが、
特にイスラム教徒の人が欲しがっている。
しかし、どの自治体からも断られるそうで、彼らは自分たちの墓地を作るのが悲願だそうです。
ふるさとの母国には帰りたくないのでしょうか…
墓じまいした後の空き地で、住職さんと平らな墓石を置きたいような会話をしていました。(日本は墓石を立てますが)
毎日お祈りをするモスクもあちこちで見かけるようになりました。
お寺としては、檀家を失う墓じまいを次々にされてはお寺の存続が成り立たなくなります。しかし、私の疑問は、宗派が違うのにいいんだろうか?
檀家さんの反対も当然あるでしょう。
わが家のお墓の隣が墓じまいして、イスラム教のひとのぺたんとしたお墓がそこにあったら??
イスラム教は土葬ですから、人の形のものがそこに埋められていたら….
う~ん、複雑な気分になりますね。
九州のある地区では、土葬墓地を建設するために町有地を売却するという話が出ているそうです。
イスラム教とは何の縁もゆかりもない関係性もない地区の住民感情を説得できるのか?
町は、今だけという軽い気持ちで町有地を売却するのかもしれませんが、こういうことがきっかけとなって、移住するイスラム教の人があっというまに増え、気が付けば日本人より多いということになるかも。
限界集落になるよりいいと思うのか、
住民税を払ってくれれば、どこの国の人でもウェルカムかもしれませんが….
その町の議会や町長選挙は成り立つのでしょうか?
お墓という概念が、着実に日本人の心の内から消えていこうとしています。
織田信長は、神も仏も信用せず、人間の身体はタダの物体、
死んだら生命のないただのモノ、
魂だの霊魂だのあるはずがない、
形のないもの、身に見えないモノをありがたがる、拝むというのが大嫌いという考え方でした。
私もまったく同感です。
昭和の女性作家Aさん、私の好みの作品ではないので全く読んだことはなく、名前と顔がわかる程度。
そのAさんが亡くなる前、
友人知人に必死に懇願したそうです。
「私のこと、忘れないでね…絶対に忘れないでね。いつまでも覚えていてね…」
それほどまでに、
この世に何の未練があったのでしょうね。
その場にいた友人知人はAさんのことは忘れずにいたとしても、その友人知人もいずれ亡くなります。
まっいいか、話が脱線してしまった…