出し惜しみしない
こんばんは。
今日はこれからの1年
自分がどう生きていくか、
どう過ごすか、をふと考えていて。
自分の中に湧いてきたことを書きます。
私は新卒で勤めていた会社を
丸3年で退職してからずっと
専業主婦。
海外赴任から帰国後は子育て。
子育ては確かに忙しい。
でも、やりたい事が全然できないか
というと、最近そうも思わない。
時間とか色々工夫すれば
やりたい事はできると思ってる。
ただ、子の成長が伴うのも事実だから
時期によっては制限はあるけどね。
子どもを3人産んでからは
私はずっと保守的というか
挑戦することがほぼなかった。
そりゃそうだ、とも思うけど。
いつの間にか自分を小さく見積もってる
ことに気が付いた。
本当はやれるけど、出し惜しみしてる。
それは時と場合によるから
体力や時間を優先すべきことも
人それぞれにあるから、出し惜しみが
全て悪いとも思ってない。
でも私はどこか、自分の今の立場に
甘んじているというか・・
○○だからやらない、○○だからできない、
みたいに出来ない、やらない、理由を探すことが
ずいぶんと得意になってたように思う。
やりたくないことをやる、とか
自分が疲弊するまでやる、とか
そういうのはちょっと違うんだけど。
少し他力本願というか。
自分はサブでいい、みたいな。
私はリーダーとか長ができる、
とかそういうことじゃなくて。
自分から誰かに引っ張ってもらおう、
みたいなスタンスでいたな、と。
やってもいないのに。
やってみたら、自分が引っ張る側になるかも
しれないのに、やる前から自分で決めてた。
やってみた結果、どっちに転んだか、が
実際の自分なわけで。
私は○○だから、って自分で
決めつけて小さい枠に押し込めるのは
なんか違うなーって思ったんです。
やってみたら引っ張る側だった。
やってみたらサポート側だった。
これで良くない?って思った。
私はこの”私は○○だから”という
自分の決めつけから他力本願ぽくなって
自分が引っ張る側になるかも、ってゆう
考えが完全に無くなってた。
それが自分の力の出し惜しみに繋がってた。
出来るけどやらない。
出来るけど出来ないふり。
場面によってはそういうの使ってもいいけど
これが常態化すると、どこで本気出せばいいか
自分でもわからなくなる気がした。
私は本当に2024年が始まってから
死生観についてよく考えるようになった。
終わりは自分が思ってるより早いかもしれない。
だったらいま
出し惜しみしてるのアホらしくない?
私はいつになったら本気出すのよ?
自分の人生は長くないかもしれないのに。
そう思ったら、これからの1年は
出し惜しみせず本気でモノゴトに
取り組もうって決めた。
自分の目標、やりたいことに
もっともっと本気でやっていこう。
いざとなったら自分が盾になる。
いざとなったら自分が家族を守る。
そんな風にモノゴトを自分事として
捉えて、本気でやっていこうと思います🥰👌
ではでは~