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ドキュメンタリー映画「1%の風景」出演の助産師――神谷整子さんインタビュー
週刊エコノミスト 2024年2月6日号
助産師 神谷整子
長年、助産師として母子をサポートしてきた「みづき助産院」(東京都北区)の神谷整子さん。助産所や自宅で出産する女性と、神谷さんをはじめとする助産師たちを記録したドキュメンタリー映画「1%の風景」が公開中だ。(聞き手=井上志津・ライター)
「出産する女性の隣に寝るのは当たり前のこと」
── 助産所や自宅で出産する女性と助産師の姿を記録したドキュメンタリー映画「1%の風景」(吉田夕日監督、昨年11月公開)に出演しました。
神谷 助産師仲間で映画に出てくる「つむぎ助産所」(東京都練馬区)の渡辺愛さんから、私が院長を務める「みづき助産院」(同北区)でのお産の取り扱いを2021年でやめると聞いた吉田監督が会いに来たのが最初です。吉田監督はつむぎ助産所で第2子を出産した後、同助産所の撮影を始めていました。特に映画の話はなく、「いさせてもらっていいですか」みたいなノリで、その後も自然に来ては撮っていました。
── 作品を見ていかがでしたか。
神谷 自分のことは見えないので、あんなふうにしているんだって思いました。お化粧も全くしていなくて、もう少し格好つければよかったです(笑)。まあ、いつもと変わらない様子が記録されたということですね。
「1%の風景」は効率性が優先されがちな現在の病院を中心としたシステムの中で助産所や自宅での出産を選んだ4人の女性と助産師を記録した映画。助産所とは医療法で定められた助産師が管理する9床以下の小規模な施設のことで、助産所や自宅での正常分娩(ぶんべん)を助産師が介助するほか、アットホームな環境や妊娠中から育児まで継続したケアが受けられるのが大きな特徴だ。 助産所には医師は常駐せず、麻酔や薬剤利用を伴う医療行為はできないため、分娩を取り扱う場合は緊急時に備え嘱託医や嘱託医療機関と連携している。助産所は21年3月末時点で全国に約2500カ所あり、分娩を扱うのはそのうち325カ所。現在、日本のお産の99%は医療施設で行われており、映画のタイトルには1%の選択をした人々の日々という意味を込めた。
── 分娩を扱う助産所の数は11年からの10年間で3割減っているそうですね。
神谷 そもそも出産が減っていますからね。これに加えて、高齢出産や不妊治療後の出産が増えたこと、医療の進歩によって糖尿病や心臓病など合併症を持つ妊婦さんも出産できる時代になり、病院でなければ出産が扱えないケースが多くなっていることもあります。
取り上げた赤ちゃん800人超
── 医療機関との連携は難しいですか。
神谷 分娩を扱う助産所が減ったもう一つの理由がそれです。少産化に伴って産婦人科医の数が減る中、嘱託医の契約は医師個人の立場で行わなければならないという縛りもあります。妊娠中や分娩中に異常がみられると医療機関へ転院することがありますが、例えば地域ごとに決まった病院に搬送するようなシステムができれば、お産を扱う助産所はもっと増えると思います。
── 神谷さんがお産の取り扱いをやめたのもそうした理由からですか。
神谷 私の場合は70歳になり、体力に自信がなくなったからです。「まだできますよ」と皆さんに言ってもらいましたが、数年前に体調を崩したこともあり、どこかで決断しないといけないと決めました。
── みづき助産院を開業したのは00年。神谷さんが49歳の時ですね。
神谷 当時は10年間頑張ってやって、後輩を育成して次の世代にバトンを渡そうと思っていました。ちょうど10年たった時に相棒の助産師を病気で失ったのですが、「次の子もみづき助産院で産みたい」と言うお母さんたちがいたので、まだやめるわけにはいかないと続けてきました。
神谷さんが助産師になったのは1975年。子どもの時から「女性は手に職を持つべきだ」と思っていたのと母が助産師だったことから助産師の道を選んだという。病院やクリニックを経て、86年から施設を持たずに訪問する「出張開業助産師」に。保健所嘱託の新生児・妊産婦訪問など地域母子保健業務にも携わってきた。00年、入院助産・出張助産を担うみづき助産院を開院。これまで取り上げた赤ちゃんは自宅分娩だけで800人を超える。開業助産師研修の講師としても多くの助産師を育て、後輩たちから「カリスマ助産師」と慕われている。
── 神谷さんが助産師として心がけてきたことは何ですか。
神谷 その人がどういうふうに生きていきたいのか、その人らしさを知ることです。私がどんなに何か伝えても、その人が聞きたくなければ余計なお世話になるわけですから、あなたの望んでいることは何ですかということを聞くことが一番大事だと思っています。
手を触れるとその人が分かる
── 医療機関ではなく助産所や自宅での出産を選ぶ人たちの主な理由は何でしょう。
神谷 一概には言えませんが、助産所や自宅で出産する大きなメリットは「リラックスできること」と「待てること」です。産科医療ではお産の経過によって時間の決まりがあり、陣痛促進剤を打つなど分娩誘導を行ったりしますが、赤ちゃんとお母さんが元気で頑張っているなら、時間で区切るのではなく待てばいい。助産所はそれが可能です。
── 映画の中で、神谷さんが妊婦さんの隣で横になって寝ているのに驚きました。
神谷 いつものことです。医療施設で出産した人は「陣痛の時に誰もいなかったのがつらかった」とよく言います。本当は、そこが一番ケアが必要な部分なんです。出産する女性のそばに信頼できる誰かがいること。それに、寝ている人から見ると、人が立っているのは重圧を感じるんですよ。だから隣に寝るのは当たり前のことで、もちろん、よっぽど切羽詰まっている時に寝ることはありませんが、「まだまだ時間がかかるね」と思ったら、率先して寝ます。私が横になれば、他の家族も横になれて、本人もふっと眠れるんですよ。
―― 妊婦さんの体に頻繁に手で触れているのも印象的でした。
神谷 今の医師はまずほとんど触診しませんね。でも、私は触らないで人のことが分かるのかと思っています。手で触ると、その人のことが分かります。今どんな生活をしているかも大体分かるし、おなかの中の赤ちゃんの体重も分かります。お産の時、どういうふうになるかも予測がつきます。10カ月の妊娠期間を通して、正常に出産が進行できるようにお母さんに促すことが大事です。お母さんも、生まれてからの子どもの様子を見守る観察眼を10カ月かけて身に付けていきます。
―― 長年、関わってきて、女性たちや出産に変化はありますか。
神谷 本来、女性の体は産める力を持っているのに、今は医療介入が多いためにその力が弱まっていると感じます。医療側にしてみたら、来てもらった以上は何かしないといけないという気持ちになりますし、困ることが何も起きないように「転ばぬ先のつえ」をたくさん用意します。その結果、女性はうまく転ぶことを学べません。転んで膝を擦りむいたら、こんな痛みがあるといった経験をしないまま過ぎてしまうので、子育てが始まったら大変だろうと思います。
「女性の体は産める力を持っているのに、今は医療介入が多いために弱まっている。その結果、うまく転ぶことを学べない」
みづき助産院は21年9月でお産の取り扱いを終了した後は産後ケアに特化している。産後ケアは21年4月に改正母子保健法が施行されたことにより、自治体の努力義務として法制化された事業。対象期間は出産後1年で、母親の身体的ケア及び保健指導・栄養指導、心理的ケア、適切な授乳が実施できるためのケア、育児の手技についての具体的な指導及び相談、生活の相談・支援などが行われる。
「スマホを見るのはやめて」
―― お産を扱わなくなって2年過ぎました。生活は変わりましたか。
神谷 自宅出産の介助を全面的に始めてからの25年は、携帯電話を24時間どこに行くにも離さず、呼ばれればいつでも対応できるように待機している生活でしたから、全然違います。今は夜寝られますし、趣味の温泉旅行にもしっかり行けるようになりました。
―― 現在は母乳育児相談、産後デイケアなどを行っています。どんな人が来ますか。
神谷 ゆとりがなくてもういっぱい、いっぱいという感じのお母さんたちが多いですね。育児の右も左も分からず、夫はあてにならないし……みたいな状況の中で、ほっとできる時間を上手に取り、本来の自分に戻ることが大切です。今のお母さんたちは真面目で、ちょっとも道を外れられないような精神状態。赤ちゃんはたとえ3、4日、お風呂に入れなくたって平気だし、ミルクを1、2回飲まなくたって生きていける力を持っているんだから大丈夫だよと伝えています。
ただ、産後ケアは難しいですね。お産に関わらずにお母さんと初めて会うことになるので、どこまで十分にケアできるのか、大変さは感じています。
―― お母さんに一つアドバイスをするとしたら、どんなことを?
神谷 スマートフォンを見るのはやめて、です。何かあるたびスマホを見て調べますが、その子をじっと見ていれば、どうすればいいか分かるようになります。そういう能力を本来はみんな持っているんですよ。
―― いつまで続けたいですか。
神谷 デイケアで出す食事のお盆を持って階段を上がれなくなったら、終わりにしようと考えています。片足が不自由なのでね。あと1、2年はできるかな。これからも病院、助産所など場所を問わず、出産する女性のそばに信頼できる誰かがいるケアが行われることを願っています。女性にとってそれが一番必要で大切なことですから。