死ぬ前の音とは…?
一年ぐらい前、映画「アンタッチャブル」を家で一人で見ていたら、なぜか突然、母が死んだ瞬間がよみがえってきて、涙がポタポタ落ちたことがある。
「アンタッチャブル」はギャングのボスのアル・カポネを捜査官たちが捕まえようとする映画だ。涙が出たのは悲しい場面ではなく、むしろ、ケビン・コスナー扮するネス捜査官や老警官役のショーン・コネリーたちがカナダ国境で密造酒の密輸の現場を押さえる、楽しい場面だった。音楽も胸躍る曲が流れていた。公開された一九八七年に一度見たが、母と一緒だったわけでもなく、感想を話し合った記憶もなかった。
どうして急に記憶がよみがえったのか分からなかったので、巻き戻して、そのシーンをもう一度見た。すると、ネスたちが乗っていた馬の蹄の音が原因だったことが分かった。母が死ぬ前の呼吸の音と似ていたのだ。
母が死んだ日の朝、私はいつものように母が入院していた緩和ケア病棟の病室に行った。すると、母の体から「コン、コン、コン!」という大きな音がした。前の日は静かに眠っていたのに……。その音は母が呼吸をするたびに大きく鳴るのだった。
病室に来た看護師に「この音は何ですか」と尋ねると、その若い看護師は「ご本人は苦しくないので大丈夫ですよ」と言った。その後、彼女はのんびりとした調子で「今日は午後もいらっしゃいますか?」と私に聞いた。「いた方がいいですか?」と私が言うと、看護師は「ご家族もお疲れでしょうから無理にいなくてもいいですよ」と答えた。それで私は「じゃあ、午後は帰ります」と言った。要するに、末期がんで緩和ケア病棟にいたにはいたが、この直後に母が死んでしまうような緊張感や切迫感は全くなかった。
私は母の手を少しなでるとベッド横の椅子に腰をおろし、「コン、コン、コン!」という大きな音を聞きながら、スマホを開き、「ばーばはどう?」とLINEで尋ねてきた夫と娘に「眠ってる。でも息が昨日と違う」などと返事を打った。そしてふと、母のほうを見ると、コン、コン! の音が止んでいることに気づいた。立ち上がり、顔を見下ろすと、母は呼吸を止めていた。
母が緩和ケア病棟に入ってからの七週間で、私は臨終の様子についてネットなどで一応、勉強していた。顎を突き出すような下顎呼吸をするとか、死前喘鳴と呼ばれるゼーゼーという呼吸音がするなどである。でもどこにも「コン、コン」という音がするという記述はなかった。死んだ後も調べたが、そんなケースは出てこなかった。
半年ほどして緩和ケア病棟の看護師から手紙が来た。どの家族にも出すことになっているのだろう、「お体に気をつけて」といった定型的な内容だった。私はお世話になったお礼と共に「あの音は何の音だったのでしょうか?」と書いた返事を出してみた。が、それに対する返事は来なかった。
以来、長く胸にしまっていたその謎が先日、解けた。在宅医療のクリニックに勤務し、看取りに多く接してきたS医師が本を出し、インタビューをする機会があったので、雑談の際に尋ねたのだ。
S医師は言った。
「そういう音が鳴るのはぼくは経験がないですね。大きな音だったんですか? その看護師さんも何の音なのかきっと分からなかったんでしょう。ノドの奥の軟口蓋というところが下顎呼吸で開いたり閉じたりするとき、そういう音に聞こえることはあるかもしれませんけど、あまり一般的な現象じゃないように思います」
S医師が出した本には「上手な最期を迎えるためには『求めない力』が必要」と書かれていた。私は、母は主治医から「もう抗がん剤治療は効果がなく、逆に命を縮めてしまうのでできません」と言われても「治療してほしい」と言い続けたことや、緩和ケア病棟に入りたくなかったのに転院させた私を恨んだまま死んだことや、痛みを取ろうと苦心していた緩和ケア病棟の麻酔科医に「治療しないならもう放っておいて」と言って怯えさせたことや、高カロリー輸液を減らしたほうが通常、穏やかに死ねるといわれるが、母は「輸液を減らしたら死んでしまう」と言って医師に抵抗したので、苦しんで死んだことなどを話した。
「母はとても我の強い人だったので、最後も特殊な音が出たということですかね?」
S医師から一般的な音ではないと言われ、何だか私はおかしくなった。S医師は「経験したことのない音ですみません」とわざわざ謝った後、「まあ、しかし、お母様は苦しかった体験を身をもってされたので、もう一回死ぬチャンスがあったら今度は方針をちょっと変えるんじゃないですか」と優しく言った。そんな場面を少し想像してから、私は即答した。「とても頑固だったので変えないと思います!」。そんな殊勝な面のある人ではなかった。
「『アンタッチャブル』を見ていたらさ、私、ショーン・コネリーたちが馬に乗っているところで、ママが死んだときのことを急に思い出して泣いたんだよ。最後、死ぬときにコン、コンっていう音が鳴る人なんて珍しいらしいよ」と母に報告したいが、母はもういない。生きていたら、「いやあね、そんなこと人に話さないでよ」と怒るだろうが、今は怒られることもない。本当につまらない。
(黒の会手帖第17号 2022・6)
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