『アイカツアカデミー!』の魅力について改めて考える(2)
前回は『アイカツアカデミー!』(以下、略称の「デミカツ」とも表記)のプロジェクト概要とその世界観についてお話しさせていただきましたが、今回は我々の世界との関係性に焦点を当て、その魅力を考えて行こうと思います。
(※いわゆる「メタ的な話」を多く含みます。そういうのが苦手な方は閲覧にご注意ください)
我々の世界との関係性
すぐそこにアイカツのアイドルがいる
YouTubeに限らずリアルタイム配信の最大の特徴のひとつが、チャット機能による配信者⇔リスナー間のコミュニケーションでしょう。『アイカツアカデミー!』においても当然それは行われています。
「行われています」と簡単に書いてしまいましたが、考えてみればすごいことです。アイカツのアイドルとリアルタイムでコミュニケーションが取れるのですから。
もちろん理屈で考えれば、目の前で動いたり喋ったりしているのはアバターなわけで、当然その主は別にいるわけですが、基本的にリアルタイムでその事実を意識することは無いでしょう。(実写の映画やドラマですら、作品に引き込まれている最中に「役者さん本人」を感じることは無いわけで)
我々がその「意識しない状態」をどれだけ保つことができるか、それが体験の純度を左右しているのは間違いなく、デミカツは「意識しない状態」の持続性に非常に富んでいるように感じられます。
これは前にも取り上げた「『中の人』の概念を徹底的に避ける」という方針も生きているのだと、自分は考えています。
人間の頭は連想ゲームを反射的に行ってしまいがちです。シリーズの先輩アイドルたちの演者さんの名が出ることで、登場人物と演者を分離して考える意識は必ず頭の中に生まれるでしょう。
その頭の状態で、目の前の「アイカツのアイドル」を再び認識したら……体験は「アイカツのアイドルを演じる人」とのコミュニケーションへと性質を変える可能性があります。
もちろん、それはそれで素晴らしい体験であることに変わりはありませんが、「アイカツのアイドル」であるという認識の保持は、さらなる恩恵をもたらしてくれているのです。
感じられる「近しさ」
配信部の面々が各々の日常を語る際には、実在の店舗名や施設名が普通に用いられます。たとえばコンビニだったり、遊園地だったり、映画館だったりと。
また、芸能人やアーティスト、他の配信者さんなど、著名人の名前が話題に上がることもあります。これもやはり実在のものが用いられます。(他にも曲名や作品名なども同様に)
さらに、YouTubeの配信者らしくゲーム配信を行うこともあります。この際、プレーされるのは世にある実在のゲームです。人気を博するインディーゲームが選ばれることも多く、他の配信者さんを追っている人であれば、馴染みの深いタイトルなどもよく登場します。
従来作であればこのあたりは「よく似た名前の架空の名称(架空の作品)」が使われていたのですが、リアルタイム配信をするにあたっては、変に虚構を混ぜればトークのリアリティも失われてしまい、それこそ「どこからどこまでが本当なのかわからない」という戸惑いも生まれかねないでしょう。よって、然るべき方針ではあるはずです。
これまで説明してきた通り、配信部の面々を「アイカツのアイドル」として見る認識はしっかり確保されています。そのおかげで、これら日常の話題からリスナーは「我々の日常にある諸々の事物がアイカツのアイドルに愛顧されている」という意識を持つことができます。
それだけでも彼女らを身近に感じられるわけですが、加えてその対象が自らの愛顧するものと重なっていたなら、その喜びの大きさたるや……という話になってきます。
では、この「実在する物事に言及できる」という事項において、最も大きい意味を持つのはいったい何なのか。
それは我らアイカツファンにとって、この世界において最上級に尊い存在の筆頭……そう、これまでのアイカツシリーズです。
アイカツシリーズを愛する同志
既に書いている通り、配信部のメンバーは今までのアイカツシリーズの物語に触れてきています。そして皆それぞれが、熱狂的なアイカツシリーズファンでもあります。
「新たなアイカツのアイドルそのものになる」という志を持って門を叩いた人たちですから、熱狂的なファンであっても別におかしくはないわけですが、その熱狂ぶりは並大抵のものではありません。
大空あかりのガチファンすぎてその足跡を語り出したら止まらなくなってしまうとか
桜庭ローラへの敬意が強すぎて「語ると絶対に泣いてしまうからあまり語らないようにしてる」と公言し、実際に彼女と縁の深い楽曲を歌うに至ると歌う前から感極まって号泣してしまうとか
蝶乃舞花に心酔しすぎてその格好良さを語るうちに声が上ずり続け、ついには聞き取り不能の超音波を発するに至ったりとか
明日香ミライのオタクすぎて早口語りが止まらなくなったりキャプチャ画像(使用許諾済み)を無言で超拡大したり同時視聴で登場するたびに奇声や断末魔を上げるとか
挙げれば枚挙に暇がないのですが、配信部メンバーの配信を見守っていれば、彼女たちがアイカツシリーズをいかに深く愛しているのかが一目瞭然です。
そしてリスナーたちの多くもまた、アイカツシリーズを深く愛しています。アイドルたちが語る「アイカツ愛」にリスナーは納得し、同調し、感銘を受けるわけです。
このアイカツファンとしての信頼がアイカツアカデミー配信部の人気を大きく高めているのは、間違いないと言って良いと思います。
また、アイカツシリーズは作品の立ち位置から、己が身の周囲に「同好の士」を見付けることがなかなか難しいという話も聞きます。(かく言う私もシリーズ3年目突入直後の時制でアイカツにハマってからおよそ3年半近く、そういう状況が続きました)
ここに来れば必ず、アイカツシリーズを深く愛する同志に会える――そもそもにこれが非常に魅力的な事柄だと言えるでしょう。(他の視聴者諸氏も同様にアイカツファンであるということも含めて)
つまり「新たに登場したアイカツアイドルの面々は、アイカツファンにとっては同好の士でもある」という状況が成立しているわけです。
大好きなアイカツのアイドルたちが、作品としてのアイカツシリーズを愛している……これほど嬉しい話も無いでしょう。(全ての人に当てはまる話とまでは言いませんが)
繰り返しになりますが、アイカツシリーズのオタク(度合いがわかりやすいよう敢えてこう書きます)である出演者さんは今までにもいましたし、その存在の頼もしさや同好の士としての共感・歓喜などは、決して初めての体験ではありません。
特筆すべきは、「アイカツのアイドル」としてその特徴を成立させていることにあります。「我々の世界と従来のアイカツシリーズ世界のほぼ中間にあたる新たな世界」を生み出してまで、です。
ここまでは「彼女らの存在が『演者』ではなく『アイカツのアイドル』であることの何が喜ばしいのか」という話でした。
次からはいよいよ「そうであることの意味」について、そして「それがどんな魅力や恩恵を生み出すのか」を考えてみます。
(続きます)