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小説紹介: 江戸を舞台に、猫を助ける大家さんの物語シリーズ第2巻。 猫と人が紡ぐ江戸の日々 ―二階長屋の猫語り2―

私が書いた小冊の紹介です。
猫好きで読書好きの方に、是非、よんでいただきたい。


猫と人が紡ぐ江戸の日々 ―二階長屋の猫語り2―
Kindle unlimitedなら無料で読めます。

 ここは江戸の下町。小さな二階建て長屋を営む大家には、不思議な秘密があります。なんと、彼は猫と言葉を交わすことができるのです。

 流れ込んできた迷い猫たちの「困った」が、彼を軸に人知れず解きほぐされていく。飢えや寒さに苦しむ猫たち、過去の因縁を抱えた猫たち、遠くへ旅立ちたい若猫……彼らが長屋を舞台に紡ぐささやかな物語は、人と猫、種を超えた穏やかな絆を浮かび上がらせます。

 決して大仰な事件は起きません。けれど日々の暮らしの中で、小さな命たちが手助けし合う様子は、読む人の胸にほのかな温もりを灯します。

 もしあなたが冬の夜、軒下で丸くなる猫や、屋根伝いに歩く猫の姿を愛おしく感じたことがあるなら、この本はきっと心に優しく響くことでしょう。
 猫たちが人知れず営む奇跡と、その橋渡しをする大家の物語へ、ぜひ足を踏み入れてみてください。


(お試し読書)第一話前半を無料掲載
 【第一話】 流れ者の群れ、祠に根づく
 
 朝の光が、江戸の町の裏通りをほんのりと染め上げる頃合いである。まだ日は高くなく、空気はかすかに湿り気を帯びつつも、清々しい気配を放っている。このあたりは表通りの喧騒から少し奥まった一角にあたる。道幅は狭く、瓦屋根が寄り添い合うように並んで、小さな長屋が軒を連ねている。二階建てとはいえ決して立派ではないが、その長屋には、やわらかな人の気配と、独特の静けさがあった。
 
 藤蔵は、そこの大家である。年の頃は五十に手がかかったくらい。恰幅はさして良くも悪くもなく、ごくありふれた男に見えるが、一つだけ他人に言えぬ秘密があった。猫の言葉がわかるのだ。幼い頃、ある出来事をきっかけに、その能力を得て以来、彼は猫たちと人には言えぬ会話を重ねながら、この町の片隅で静かに暮らしている。
 
 世間に語れば怪しまれるだけなので、藤蔵は特に得意げになるわけでもなく、その力を時折役立てているに過ぎない。以前には、迷い子猫を助けたり、老猫の心残りを飼い主に伝えたり、他所へ旅立つ猫に代わって挨拶を届けたり、強がりな野良猫の心を解きほぐしたりしてきた。その甲斐あってか、近ごろこの長屋の周辺には、以前より多くの猫が顔を出すようになっていた。皆、何かあれば「あそこの大家なら話が通じる」と噂し合うらしい。
 
 この朝も、藤蔵は二階から身を乗り出すようにして、軒下を見ていた。朝露が路地の片隅に光り、天秤棒をかついだ行商人が通り過ぎる気配がする。すぐ隣の長屋では、豆腐屋が桶を磨く音が聞こえ、表からは鰹節売りの声が遠く流れてくる。日常の音が重なり、こうして時はゆるやかに流れていくのだろう。
 
 ふと、屋根伝いに黒い影が動いた。黒猫のクロである。以前からこの界隈に縄張りを持ち、藤蔵には何度も助けを求めてきた古馴染みの一匹だ。クロは屋根瓦の上で毛繕いをしながら、ちらと藤蔵を見下ろす。目が合うと、小さく「にゃあ」と声を出す。その声は、藤蔵にははっきりと「朝からご苦労なことだな」と聞こえる。
 
「おはよう、クロ。今朝は随分早いな。何かあったのか」
 藤蔵は声を低めて問いかける。人にはただの独り言にしか聞こえないが、猫にはしっかり伝わる。
 
「特に用事はねえが、最近このあたり、見慣れぬ猫が増えた気がするな。遠くから流れて来た奴らかもしれん。餌場を探してうろうろしているんだろうが、あんたの長屋の周りは比較的平和だから、寄ってくるのかもな」
 クロは前足で鼻先をぬぐいながら、のんびりと答える。
 
 実際、藤蔵も感じていた。最近、見かけぬ毛色の猫や、幼い子猫の姿が増えた気配がある。江戸の町は移ろいゆく。人が増えれば猫も増える。だが、そのせいで新たな問題が起きなければよいが――そう考えながら、藤蔵は下へ降りて朝の支度を始めた。
 
 軒先を掃いていると、ミケが姿を見せる。ミケは三毛柄の雌猫で、この長屋に住む指物師の源蔵が飼っている猫だ。穏やかな性格で、以前にも捨てられた子猫の世話を手伝ってくれた心優しい存在である。
 
「おはよう、大家さん。最近、朝になると見慣れない子猫が路地の隅にうずくまっていたりするわね。私も話しかけてみたけれど、どうやら母猫と逸れたか、他所から流れついてきたみたい」
 ミケは柔らかな声で言う。
 
「なるほど、やはり流れの猫か。どこかで餌にありつけず、流れて来たんだろうな。飢えているのかもしれん」
 藤蔵は短く息を吐く。
「近頃、他所で騒動でもあったのか?」
 
「分からないわ。私が聞いた範囲じゃ、どこかで大規模な普請が始まったとか、新たな舗装がなされたとかで、居場所を追われた猫がいるらしいけれど、詳しいことは知らないの」
 ミケは首をかしげる。
 
 普請や新しい店の開業となれば、人間には活気が出るだろうが、猫たちにとっては縄張りの崩壊を意味する場合もある。食べ物のありかが失われ、隠れ家が崩され、安住の地を求めて彷徨う猫たちが増えているのかもしれない。
 
「ともかく、困っている猫がいるなら、見過ごせないな」
 藤蔵は箒を置いて、考え込む。
「だが、全員を長屋に招くわけにもいかんし、下手に手出しすれば周囲の人間に怪しまれかねない。少し様子を見つつ、必要があれば働きかけてみるか」
 
「そうね、私も猫仲間に訊いてみるわ」
 ミケは尾をゆらりと動かして立ち去った。
 
 その昼下がり、町が少しずつ温まってくると、行商人や子供たちが往来を活発にする。藤蔵は店子たちの用事を聞き、修繕すべき箇所があれば道具を持ち出し、淡々と日々の仕事にいそしむ。猫との秘密の会話は人間には理解できないが、彼はそんな自分の立場を受け入れている。人と猫の間で橋渡しをする奇妙な存在――これは大っぴらには言えぬが、彼にとっては、もう日常の一部だった。
 
 そうして夕方が近づきかけた頃、裏手の路地に、見慣れぬ茶トラの若い猫が潜んでいるのを見つけた。毛はやや薄汚れ、痩せている。片耳が垂れ下がり、尻尾は短く切れたような形だ。その猫は、藤蔵が近づくと一瞬身構えたが、警戒しつつも逃げない。何やら必死に伝えたい気配がある。
 
「おい、どうした?」
 藤蔵は猫語で問いかけると、その茶トラは驚いたように目を丸くした。
「あんた、人間のくせに俺たちの言葉が分かるっていう、あの噂の大家か?」
 
「噂になっているのか」
 藤蔵は苦笑する。
「まあ、そうだ。俺に何か用があるのか?」
 
「実は……」
 茶トラは視線を落とす。
「俺たちは、近くの町から流れてきた。元々暮らしていた裏蔵の一角が壊されて、食べ物もなくなっちまったんだ。俺はまだいいが、小さい子猫や、年老いた猫もいる。そいつらを匿ってくれないか、いや、匿わなくてもいい、せめて、人間が危害を加えぬ場所を知らないかと思って……」
 
 なるほど、やはり餌場を失った猫たちが流れてきているのだ。藤蔵は腕を組んだ。人間が町を整備すれば、それは猫には災難となる。茶トラのような猫は、弱った仲間をかばおうとしているのだろう。
 
「残念だが、俺は小さな長屋の大家に過ぎない。この長屋で猫を大勢養えるわけじゃないし、他の住人も猫好きばかりじゃない。ただ、人間が猫を追い払うことは少ない。この辺りは穏やかだし、猫を嫌う者が少ない場所をいくつか知っている。そこなら、静かに暮らせるかもしれない」
 
「本当か!」
 茶トラは希望の光を見たような顔をする。
「たしかに、ここの空気は悪くない。俺たちが住み着いても、大きな揉め事にはならなそうだな。どうすればいい、俺はどう行動すればいい?」
 
「慌てるな」
 藤蔵は低く落ち着いた声で応じる。
「お前の仲間はどこにいる? まずは、彼らの状態を教えてくれ。それから、どんな場所を求めているのか考えよう。人目に立たぬ物置や廃材置き場など、少しはあてがある」
 
「連れて来れるほど近くにはいない。裏通りをさらに二、三筋抜けた先で、荒れた小屋の下に身を潜めているはずだ」
 茶トラは尻尾を揺らして説明する。
「子猫や老猫は歩くのもやっとで、餌もない。移動するにも体力がないから、一度に大移動は難しい。もし、安全な場所があるなら、少しずつ連れて行きたいが……」
 
 藤蔵は目を細めた。これは単なる猫たちの騒ぎではなく、小さな避難民のようなものだ。人間が町を変えれば、猫たちが移動を強いられるのは避けられない。彼は、この町で密かに猫たちの問題を解決してきたが、今回のように大勢の猫が流れてくるとなると、一筋縄ではいかない。
 
「分かった、少し考えさせてくれ。俺は人間だが、猫と話ができる。お前たちが安全に落ち着ける場所を探すには、猫仲間の情報も必要だし、人間側の事情も知っておく必要がある」
 藤蔵は静かに言う。
「明日まで待てるか?」
 
「待つしかないだろう」
 茶トラは苦い顔で言い残し、路地の陰に消えた。
 
 その夜、藤蔵は二階の部屋で行灯を灯し、独り考え込んでいた。以前は、小さな問題を一つずつ解決していた。迷い子猫の捜索、老猫の最後の願い、旅立つ猫への伝言、荒くれ者の野良猫の心解き――いずれも個別の小さな手助けだった。だが今回は、流れ込む猫たちが多数いるらしい。彼らにとって、あてのない移動は命取りだ。飢え、病気、喧嘩、怪我……様々な危険が待ち受ける。
 
 もしも、この長屋の周辺で、安全な隠れ家や餌にありつける筋をつけられれば、猫たちの不安は和らぐかもしれない。だが、人間社会では、やたらに猫が増えれば嫌がる者も出てくる可能性がある。藤蔵は人間社会で生きている以上、あまりにも猫寄りの行動を取ると不審に思われるかもしれない。
 
 翌朝、まだ薄明かりの頃、藤蔵は縁側に座って桶に溜めた水で顔を洗った。すると、そばにミケがやってきた。ミケは昨夜、猫仲間に話を聞いてきたらしく、心配そうな表情を浮かべている。
 
「大家さん、やはり流れ者の猫が増えているようよ。私が聞いた話だと、向こうの町で大きな蔵が取り壊され、再建の普請が始まっているらしいの。あそこにはたくさんの猫が住み着いていたんだけど、いきなり住処を失ったとか」
 ミケはしっぽを垂れる。
「子猫や老猫まで流れ込んでいるって聞くわ」
 
「なるほど、やはり普請か。となると一時的なものかもしれんが、今が一番辛い時期だな」
 藤蔵は頷く。
「このあたりで、比較的人間に干渉されず、ある程度餌にありつける場所は……」
 
「思い当たるのは、裏手の寂れた稲荷祠(いなりほこら)の周辺かしら。昔は人の出入りもあったけれど、最近は荒れ放題で、誰も手入れをしていないわ。でも、そこは草むらが茂っていて、鼠や虫がいて、餓え死にはしにくいかもしれない。人目も少ないし」
 ミケは少し考えて言う。
 
「稲荷祠か……確かに人がめったに近づかない場所だ。荒れ果てた境内なら、猫が身を隠せるだろう。もう一つ、廃材置き場に人が来る曜日を避ければ、安全に過ごせるかもしれない」
 藤蔵は小さく息をつく。
「まずは、その茶トラの猫にこの情報を伝えて、仲間を徐々に移動させる段取りを考える必要があるな」
 
 だが、それで全て解決とは限らない。猫が増えれば縄張り争いが起きるかもしれないし、何か不測の事態が生じるかもしれない。町人たちが不審に思って猫を追い払うかもしれない。ここは慎重に動くべきだろう。
 
「ミケ、クロにも声をかけて、他の縄張りを持つ猫たちと話してくれないか。新参の猫たちが混ざり込むことについて、あまり揉め事が起きぬよう、何か仕組めないか相談してほしい。俺は人間として、さりげなく食べ物の残りや安全な隅を確保できるよう、長屋周辺を見回ってみる」
 
「分かったわ」
 ミケは頼もしく答えた。
「こういう時こそ、私たち猫同士が話し合わないとね」
 
 こうして、藤蔵は再び猫たちのために働くことになった。これは一日二日で終わる話ではなさそうだ。弱った猫たちがこの町で落ち着き先を見つけ、人間との軋轢なく暮らせるようになるには、細かな配慮が必要だ。
 
 その日の昼頃、藤蔵は裏道を歩き、ひっそりと荒れた稲荷祠へ足を運んだ。石段は苔むし、祠の扉は半ば壊れており、雑草が膝ほどまで伸びている。人には見放されたような一角だが、猫にとっては格好の隠れ場になるかもしれない。鼠が走る気配もする。
 
 (ここなら、しばらくは雨風もしのげるし、人間に追われることも少なかろう。)藤蔵は心中で納得する。
 
 あとは、茶トラが仲間を徐々に移動させ、ここで拠点を築くことができれば、当座の危機は和らぐだろう。もっとも、まだ問題は山積みだ。互いに見知らぬ猫たちが、ひとところに集まれば、軋轢が生まれかねない。そうなれば、また藤蔵が調停役を担うはめになる。
 
 町は日が高くなるにつれ活気づく。男衆は荷を運び、女衆は洗濯物を干し、子供が走り回る。その喧騒のなかで、藤蔵は静かに歩き回り、下見を終えて長屋へ戻る途中、先日関わったトラ吉(片目の野良猫)の姿を見かけた。トラ吉は屋根の上で日向ぼっこをしながら、遠巻きに藤蔵を見ている。
 
「へえ、また新たな猫騒動か?」
 トラ吉は鼻先をひくつかせる。
「あんたも忙しいな」
 
「見てたのか、トラ吉」
 藤蔵は小声で応じる。
「今回は流れ者が多くてな。お前にも迷惑をかけるかもしれん。ひとつ、あまり乱暴なことはしないでくれよ」
 
「分かってるよ」
 トラ吉は不機嫌そうな面をしつつも、以前よりとげとげしさは薄れている。
「俺も、弱った連中を追い出して腹を満たす気はねえ。まあ、様子を見てやるさ」
 
 以前の出来事で少し心を開いたトラ吉は、これ以上藤蔵を困らせるつもりはないようだ。こうして少しずつ、猫たちが互いに理解し合える下地ができてきたのかもしれない。
 
 藤蔵は空を仰いだ。もうすぐ秋が深まれば、猫たちにとって寒さが厳しくなる。落ち着く場所がなければ、さらに苦しむ者が出るだろう。その前に手を打たねばならない。藤蔵は覚悟を決めつつ、再び静かに動き出す。


(後半につづく)

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書籍では、第四話までございます。
もし、気に入りましたら、是非Kindle Unlimited で無料で読むか、Kindleで購入ください。


本シリーズ1作目もあります


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