大切な記憶
卒部ブログのトップバッターを担当させていただきます、竹内大貴です。私の17年間のサッカー人生を少しだけ振り返り、今の思いを言葉にしてみました。
トップバッターとして何かインパクトのあることを書きたかったのですが、思いつきませんでした。自分なりに精一杯書いたので、最後まで読んでいただけたら幸いです。
私は5歳のとき、兄の影響でサッカーを始めました。その頃は中村俊輔が好きで、とにかくボールを強く蹴る練習をしていました。小学校では近くのクラブに入り、FWで直接フリーキックから点を取っていました。
中学校では身長が高く、キックが飛ぶからとCBにコンバートされました。足が遅くて技術が無いのが目立つようになったのは中学校からでした。当時の顧問の先生が鬼のように怖く、声を出さずプレーしていると大きな声で叱られました。先生のおかげで声を出してプレーする習慣がついたのだと思います。
高校ではホッピーというあだ名で呼ばれていました。レベルが高く、練習についていくのに必死でした。3年生でBチームのキャプテンになりましたが、前日の練習でポカをして開幕戦でベンチスタートになりました。
そんな私が大学に入りサッカーを続けた理由は、それまでのサッカーが楽しく、充実していたからでした。
特に高校でのサッカーは練習もきついし、走りが多いし、ソックスの上からラップを巻き、スパイクをはいて雪の上でサッカーをしたりと苦しい時間の方が長かったけれど、本気でサッカーに向き合い、部室で仲間と騒いだり、部活後にラーメンを食べに行く時間が濃く充実していたことを思い出し、入部しました。
「サッカーを楽しみ、Aチームでプレーしたい」そんな思いで4年間頑張ろうと決め、引退までやってきました。
しかし実際は火曜日、水曜日の練習でがむしゃらに頑張って、木曜の紅白戦でなるべくポカしないようにして、なんとか東海リーグのメンバーに入ろうとするのが習慣でした。火曜水曜の練習は楽しかったですが、木曜日の練習、日曜日の練習試合は良いプレーをしてミスをしない、という消極的な考えでプレーしていて楽しむことからはかけ離れていました。祥真のように上手く、そして芝のように強くあれたらと何度も考えました。
毎週金曜日、Aのセットプレーを一緒にやって自分だけ東海リーグのメンバーに入れなかった時、「頭か~」と言って誤魔化していたつもりだったけれど、正直本当に悔しかったです。ポカをして自分のせいで負けてしまった試合も、どうすることも出来ない悔しい思いでした。
そんな私も、悔しいという気持ちを糧にここまで頑張ることが出来ました。大学4年間のうち多くの時間をBチームで過ごしたし、Bチームのみんなに何か1つ伝えるとすれば、自分のように技術や強みがあまりなくても、「悔しい」という思いが一番のモチベーションになると思います。何度ミスをしたとしても、もがいてもがき続けた先にチャンスは必ず転がってきます。
東海リーグ最終節、松尾監督の配慮のおかげで出場することが出来ました。本当にありがとうございました。出場した時間は5分間でしたが、芝や暖はここに4年間も立ち続け、このプレッシャーの中プレーしてたのかと思うと、自分はまだまだ生半可な気持ちでサッカーしていたんだなと改めて気づかされました。
そして5分間の感想ですが、今までの思いが報われて清々しい気持ちだったのと同時に、後悔もありました。やっぱりもっと出場したかったし、もっともっと頑張っていたらという後悔の気持ちでした。
引退した今思い返してみると、メンバーに入るためにもがいた時、入れなくて悔しかった時、試合でポカをした時、悔しくて苦い経験が今では全ていい思い出です。ピッチ外での経験も含め、静岡大学サッカー部に入部してよかったです。
4年生のみんな、練習後だらだらとボールを蹴ったり、部室で騒いだり、ご飯や飲みに行ったときも全部が最高の思い出です。4年間本当にありがとう。もし社会人になって集まれたら、ビールで乾杯できるようになっておきます。
後輩のみんな、頼りがいのない先輩でしたがお世話になりました。直接応援に行ったりは出来ませんが、遠くから応援しています。個人的にはBチームのみんなが東海リーグにどんどん絡んで欲しいし、プレーしている姿が見たいです。
そしてこれまで支え続けてくれた両親には、感謝しかありません。17年もサッカーをして、結果何か成し遂げることは出来なかったかもしれませんが、おかげで貴重なサッカー人生を過ごせました。サッカーだけでなく、わがままな自分の選択を信じ、ここまで温かくサポートしてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。
最後になりますが、私はサッカーを通して多くの方と出会い、サポートに恵まれ、17年間サッカーを続けることが出来ました。本当にありがとうございました。
2023年度卒業生 竹内大貴