第三章「等価性の次元と『自己触発』」 ⏐ 矢野静明
以前、ある人に「あなたは自分に起きた体験をあまりに信じすぎているのではないか」と問われたことがあります。珍しい質問でもないでしょうが、なるほど、色彩であれ、線描であれ、絵画に関してはほとんど自分の体験、それも子ども時代を含め、きわめて小さな体験から絵画に対する考えを作ってきましたし、それを文章にもしています。研究者が膨大な客観的資料をもとに持論を述べるのとは違って、小さな、時にはただ一度の小さな体験をもとにして絵画を語ってきたのですが、こういうやり方は、幼い子供が典型ですが、無知な人間が世界を理解するための唯一の手立てだとも思えるのです。世界への正確な理解や認識を持たない人間は、そういう手さぐり状態から始めるのではないでしょうか。とはいえ、幼い子供に比べればですが、私はいくらか世界というより世間を知っています。あるいは、絵画についてなら普通の人より知識はあるでしょうから、無理すれば客観的な資料や専門家の言説だけをもとにして絵画論を展開できるかもしれません。しかし、それでも自分の体験から離れようとは思いませんし、離れる必要があるとも思っていません。
アンスコムが彼女の愛読書だったカフカの小説をウィトゲンシュタインに貸した時、本を返しながらウィトゲンシュタインは「この男は、自分の苦労を書かずにたいへん苦労している」と言ったそうです。そしてワイニンガーの本について「たとえどんな欠点があったとしても、ワイニンガーは自分の苦労について実際書いた人間だ」と付け加えたそうです。カフカへのウィトゲンシュタインの評価が正しいかどうかは別にして、私も、他人の苦労についてではなく、「自分の苦労」、つまり自分に取り憑いた問題について書きたいと願っている人間の一人です。なぜなら私は絵画研究家ではなく、自分が絵を描く人間、つまり画家だからです。そして、画家には、自らに起きた出来事、自らが受けた直接的な体験から絵画に参入していく以外の方途など存在しないと思っているからです。すべての画家が自らの体験を口に出して語るわけではありませんが、私はそうするということです。
今日もそういう体験について話すでしょうが、しかし誤解されると困りますが、体験そのものを語るのが目的ではありませんし、自分の体験の特異性や例外性を伝えようとしているわけでもありません。体験はどれほど個別的であり特異なものであろうと、それは体験以上のものではなく、また無数の体験の一つでしかありません。そして、直接的体験だけを「信じている」わけでもありません。そうは言っても、他人と共有しない体験をそのまま話せば,体験を「信じている」ように見えたとしても仕方ありません。それも分かった上で、あえて個人的な体験を持ち出すのは、その体験からもたらされるものを考えるためです。体験が起きた後、体験が静まった後、その先に何かが指し示されていると思えるなら、体験から語り始めます。つまり、体験そのものではなく、体験が指し示す、その先へとたどりつくことが唯一の目的なのです。
先ず、等価性の問題を取り上げ、それから自己触発について少し話してみたいと思います。等価性とか自己触発とか、絵画に関しては、あまり耳にしない言葉でしょうが、話の流れの中で、それぞれに説明していきます。付け加えておけば、絵画は物質として存在していますから当然に物理現象なのですが、今日の話は物質存在としての絵画から少し離れていくかもしれません。物理現象である絵画が物理から離れて、いかなる現象を現わすのか、そこをうまく話せればいいのですが、取りあえず始めてみます。
お配りした資料について説明しておきます。最初にあるのは、昨年のギャラリートークを文章化したものの終り二ページです。その次が、宮沢賢治の詩二篇です。
他に作品図版をいくつか用意しました。レンブラント(1606~1669)の銅版画「テーブルの前にすわるレンブラントの母親」①と「ユダヤの花嫁」②の二点、その次は、ロドルフ・ブレダン(1822~1885)の石版画「善きサマリア人」③と「流れにのぞむ聖家族」④の二点です。ブレダンはオディロン・ルドンの版画の先生だったと思います。作品一点を完成させるのに大変な時間がかかっているのではないでしょうか。残された作品を見ているとそう思います。尋常な密度ではありません。
他に三人の画家、先の二人とはおよそ性格の異なる線描の画家たちです。一人目はフランスで制作したドイツ人画家ヴォルス(1913~1951)⑤⑥。カフカやアルトーの本の挿画も手掛けています。ヴォルスの線は引っ掻き傷のように見えますが、銅板にニードルで直接線を引くというドライポイント技法が、こういう線を誘発したのかもしれません。
それから、詩人でもあったアンリ・ミショー(1899~1984)の詩画集『砕け散るものの中の平和』そして『みじめな奇蹟』などに収められた、いわゆるメスカリンデッサン⑦⑧といわれるものです。メスカリンはサボテン成分から抽出された幻覚剤です。オルダス・ハクスリーも使用して『知覚の扉』という体験記を残しています。当時は、メスカリンを使用した作家が他にもいました。そのメスカリンを服用した状態で描いたデッサンです。
最後は、戦前から戦後にかけて活躍した日本の画家瑛九(1911~1960)が、同郷の詩人富松良夫の遺稿集『黙示』のために描いた装画です⑨⑩。記載はないのですが、おそらくペンデッサンでしょう。瑛九のこの装画は遺稿集を企画した富松良夫の弟さんが瑛九に直接依頼したものですから、あらかじめ掲載を意図して描かれているのですが、スケッチブックに書き残した落書きのようにも見えます。
ヴォルス、ミショー、瑛九の線描を知ったのは20歳前後の頃でした。もともと銅版画の細い線や紙に描かれたデッサンなどに興味があったのですが、その後で、近代以前のヨーロッパ中世の作品、ショーンガウアーの銅版画、デューラーの木版画、それに続いてブレダンを知り、そこで画面の生み出す密度に出会いました。中世絵画やブレダンに見られる、理不尽なまでの画面への描きこみは近代以降だんだんと姿を消していきます。特にブレダンの密度は際立っていて、描かれた森林の密度と描写行為の密度がほぼパラレルな関係にあり、画面がそのまま密林状態になっています。レンブラントの銅版画も、ブレダンに通じるような無限に繁茂し増殖していく線の世界ですが、コントラストとトーンを自在に操った画面は視覚的な安定を保っています。それに比べると、ブレダンの作品には、描き出された空間をさえ押しつぶしていくような重い重力が感じられます。
ある時訪れたレンブラントの版画展会場で、母親の肖像を眺めているうちに、顔に刻まれた細い線が、まるで短くちぎれた糸くずのように見えてきました。レンブラントの引く糸くずのような線に出会った後で、ヴォルス、ミショー、瑛九の線描を思い浮かべると、三人の線描も、やはり糸くずのような線の系譜につながる気がしてきます。というより、三人の引く線こそ、糸くずそのものです。
レンブラントやブレダンの密度ある線と、その対極にあるようなヴォルス、ミショー、瑛九の散乱した線を同時に並べると、明らかな違いがあるにも関わらず、どちらも線自体が自らの出自を担って発生している様子が感じられます。線の性格の異なりは、描いた画家の性格の異なりではなく、線そのものの出自の異なりによって生み出されているということです。線が線自らを触発し、自らの存在を担って出現するということなのですが、ただし、線が線自体の出自を担うという理解の仕方は、近代美学的な、線の自律性という認識とはほとんど関係ありません。そういう認識とはまったく違うことです。
ここで一度、絵画から離れ、レンブラントやブレダンの引く線と、ヴォルス、ミショー、瑛九の引く線との関係を、詩語の領域で考えてみます。そこで宮沢賢治の詩を取り上げてみることにしました。賢治の場合は、レンブラントの線とヴォルスの線を賢治一人が同時に引いていると言っていいでしょう。長編詩がレンブラントの線、短詩がヴォルスの線という感じです。ここでは短い詩二篇だけを取り上げてみます。ひとつは第一詩集『春と修羅』中の「グランド電柱」という章にある「報告」という二行詩です。
さっき火事だと騒ぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります
一九二二・六・十五
これは賢治作品中、短歌を別にすれば、行数としては最も短い詩でしょう。小説であれば、ただの一行で書かれてしまうようなものです。興味深いのは、たった二行を詩作品として独立させ、あの長大な詩篇と同等にタイトルをつけて詩集に入れているということです。それからもうひとつは「詩ノート」に残された「鬼語四」という三行詩です。こちらはもっと奇妙な詩です。
そんなに無事が苦しいなら
あの死刑の残りの一族を
おまへのうちへ乗り込ませよう
一九二七・五・一三
賢治の詩集や詩稿には、こういった短い詩がいくつか散見され、特に「詩ノート」には、三~四行の短い詩がかなり残されています。『春と修羅 第三集』の先駆形にあたるものも含まれていますが、「鬼語四」に対応する詩は「春と修羅 第三集」には見当たりません。また、「鬼語四」となっていますが、一、二、三となる詩も残っていないようです。
ところで、この「おまへ」とは一体誰で、そして、誰が誰に向かって話しかけているのか。賢治が賢治自身に向かって語っているようにも見えますが、ただ、自分が自分に言い聞かせているのではなく、中空から突然に見知らぬ声が響いてきたようにも読めます。それにしても、一体これは詩なのか、これで詩なのかという疑問が以前からありました。短いけれども、ほとんど決定的な断言で声が鳴り響いていて、それをそのまま書き写したような切り取り方です。詩的修辞もへったくれもない、こんな呪詛のような響きがなぜ賢治に届いたのか、なぜそれが詩として書き残されているのか、本当には分からないのですが、ただ強烈な印象は残ります。賢治はこういう短い詩をいくつか書いていて、昔から気になっていました。これらの短詩は、賢治自身の短歌とか、あるいは三好達治の「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ・・・」のような完成された短詩ではなく、ぽっと中空に浮き出たような浮遊感と切り取りが感じられます。それが気になるのです。
賢治の短い詩は、さっきのヴォルスの線とか瑛九の線、あの糸くずのような線を連想させます。言ってみれば、こういった詩語は、糸くずのような言葉ではないかということです。長編詩の「無声慟哭」や「オホーツク挽歌」がレンブラントやブレダンの高度に結晶化された作品に近いとすれば、この二篇の短い詩は、ヴォルスや瑛九の引いた、あの糸くずのような線描に近いのではないでしょうか。たとえば、ヴォルスの銅版画ただ一点だけが存在するとしたら、すぐにそれを絵画であると認めることは難しい気がします。それと同じで、賢治のこの詩ひとつだけを読んで詩だと認めるのも極めて難しい気がするのです。引かれた数本の線、書かれた数行の言葉として、ふいに目にしたなら、それをすぐに絵画作品、詩作品として認めることは相当に難しいはずです。確かにそうではあるのですが、人の生み出すものの中には、こうやって不意に浮かび上がり切り取られたような形で存在するものがあります。人間を介して出現してはいるのですが、人間に完全に従属するものではない線や言葉です。そのような存在を、近代以降の私たちの絵画や詩の世界は段々と見失いつつあるように思えます。絵画という形式、詩という形式に従わずに、人の前にふいに出現する線そして言葉です。形式への意識が強くなるほど、逆にこのような線や言葉は消え去っていきます。そういった、意識を通過する以前に浮かび上がる線や言葉をつかみ取るというのは、今では大変困難になっているのではないでしょうか。
ここで取り上げた画家の線描や詩人の言葉をたどると、それぞれの現われ方の不均衡さにも関わらず、ある一点で結びついている気がしてきます。それは自らが自らの出自を担うという一点です。現象として現われる線や言葉は、画家や詩人を介して姿を現わすのですが、画家や詩人の意識によって生み出されるのではなく、線や言葉自身が、自らの出自をそれぞれに担っていて、そこから出現してくる、その一点において、これらの線や言葉は結びつき、出自の場所を共有している。その出自の場所を等価性の領域と考えています。
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ロンドンのナショナルギャラリーには膨大な傑作が揃っているので、それを観るためにイギリスを訪れ、数日後にパリのホテルに戻り寝転がっていたら、どういうわけか『ゴッホの椅子』⑪が突然中空に浮かんできました。美術館で目にはしていましたが、格別印象に残っていたわけではありません。ですから、一番見たかったレンブラントやファン・アイクではなくゴッホの絵が浮かんできたのは、なんだか意外な気はしました。それが不思議なことに、ベッドに寝転んだ時に、三日間続けて現われたのです。三日目はさすがに少し不気味な気もしましたが、中空に浮かんでいるゴッホの椅子を見ているうちに、それまで考えてもみなかったことがふっと浮かんできました。
椅子を描いたキャンバスがあり、向こう側に実在の椅子があります。アルルにはそのようなゴッホの部屋があったはずです。そこにある描かれた椅子と実在する椅子、この二つの椅子はまったく等価だと、その時ふいに思ったのです。もっと正確に言えば、描く行為から生まれた椅子と、事物として作られた椅子が存在として等価だということです。
時系列で考えれば、最初に事物としての椅子があり、画家はそれを見ながら絵筆を動かし、画面に椅子が現われたことは誰にでも分かります。しかし、その時自分に訪れたのは、描かれた椅子と実在の椅子、この二つの椅子の存在の次元はまったく同じだという感覚でした。事物としての椅子、次に椅子を描く、そして絵画の椅子が現われるという時系列が消失して、事物自体と描く行為自体が横並びになることで、結果として二つの椅子が等価になるのです。少し分かりにくいですが、椅子として二つが等価だということではなく、事物の存在と描く行為が等価だということです。ただの思いつきのようでもありながら、しかし、それは言いようもなく強い力で自分に迫ってきました。人に話したところで別に興味を持たれるわけでもないし、また人に説明する必要もないのだから、そのままでかまわないとも思ったのですが、同時に、かまわないけれど、それがなんであるのかはっきり知りたいという欲求もありました。その等価性の由来、等価性の感覚がおとずれる由来があるなら知りたいと考え続けていました。
それにしても、描かれた椅子と事物である椅子の次元が等価であるというのは、やはり奇妙です。自分でもそう思います。この奇妙さは別の言葉に置き換えるとはっきりしてきます。たとえば、その関係を「馬が走る」という言葉に置き換えると、「馬」というのは動物であり同時に行為の主体です。そして「走る」は馬に従属する述語動詞です。主語に従属するはずの述語動詞が独立して、主語と横並びに存在するとは考えられません。普通に考えるなら、主語である馬が先にあって、それから「走る」があるわけです。しかしこれが仮に等価な存在であるとしたら、主語と述語は入れ替え可能となります。つまり「馬が走る」は「走るが馬」になり得るということです。行為主体と行為自体が等価であるとは、馬が存在するように、走る行為自体が自らで存在するということになります。奇妙であるとはそういうことです。それと同じように、描かれた椅子が、実在する椅子の述語的存在ではなく、それ自体で等価に存在するというのも、やはり奇妙なのです。「椅子を描く」が「描くを椅子」となって奇妙に思わない人はいないでしょう。けれど、まさにそういう事態がそのまま自分に訪れたのです。
ゴッホの椅子とは別に、もうひとつ、これも極めて個人的な体験があります。昨年のトークで話した、「接神体験というものがありますね・・・」からの部分です。この中で、木の枝と、それを描いている紙上の線の区別がつかなくなったことについて話していますが、これは視覚的に混乱したわけではなく、木の枝と絵の線の分離境界が無くなり、二つが等しく並んで繋がってしまった状態、先のゴッホの椅子で話した、次元の異なるものが等価に並ぶ体験です。なぜそういうことが自分に起きているのか、ゴッホの椅子の時と同じで説明のしようもないのですから、誰かに話そうとも思いませんでした。なにしろ、そこで自分に起きている出来事を、自分が持っている言葉で伝えられるとはまったく思えなかったのです。
「木の魂とか、木の霊が見えたと言ってもやっぱり違う。自分に見えているのは本当に木だけなんですね。木そのものだけど、その木の枝を紙の上になぞっていくときに、紙の上の線がさるすべりの木の枝そのものになり、さるすべりの木の枝は絵の線そのものになってつながっていく。しかし、どうしてそれが自分に起きているのか分からない。」
続けてその後、自分の体験した「木を見た」と、一般的に理解される「木を見た」の違いをどういう言葉に置き換えれば、その体験を語れるのか、そのことをブーバーの言葉を引用しながら話しました。起きた事実だけに従うなら「私は木を見て、それを描いた」ということにすぎないのですが、「描く」という行為から生まれる線、「木」という客観的な事物の二つが、横並びになったという感覚ですね。描くという行為が木という事物存在と直接に結びついていき、結果として紙の上の線と木の枝が繋がっていったのです。それはゴッホの椅子に先立つ何十年も前の出来事なのですが、身体感覚としては今でも生き続けています。しかし、それを言葉にして説明することは何十年たった今でも困難に思えます。自分に起きた体験をそのまま言葉にして伝えようとすれば、先に述べたように、「走るが馬」と同じで、「木を描く」が「描くを木」となります。「馬が走る」や「木を描く」の世界しか知らない人間にとって、それはまったく奇妙な認めにくい在り方で、自分自身に起きた出来事でありながら、自分自身の言葉では説明できなかったのです。
話の始めに、5人の画家のそれぞれに異なる線描の等価性、そして画家の線描と賢治の短詩の等価性について話しました。その後、ゴッホが描いた椅子と事物である椅子の等価性について話し、それに続けて、子供時代に起きた、目の前のさるすべりの木と、その木を見ながら引いていた線が繋がっていくという体験、その等価性について話しました。これらの等価性の次元を語ることの困難さ、語り難さを抱き続けていた自分に、一つの示唆を与えてくれた言葉、それがつまり今回のサブタイトルになっている「自己触発」です。
自己触発という言葉は哲学者ミシェル・アンリの本に出てくるのですが、この言葉自体は、アンリが最初に使ったのではなく、カントの『純粋理性批判』に出て来る概念で、後に幾人かの哲学者がそれについて考察して、アンリもその一人です。ただ、アンリの「自己触発」という概念は、カントとはほとんど無縁なものになっているとアンリ研究家は書いています。
ミシェル・アンリはフランスの戦後世代に属する哲学者で、現象学において重要であり同時に極めて特異な存在ですが、日本で取り上げられる機会は多くないようです。内在性、超越性、自己性、そして自己触発について、比類のない、そして徹底した思考を残しています。アンリの現象学は、いわばこの世界存在の最基底部としての事象世界、可視化され知覚可能な現象世界を限界地点と見做さず、現象世界を更に掘り下げていきます。掘り下げるというよりも、現象と呼ばれるものの内実を転換させていきます。可視化された領域(見えるもの)のみを現象とは見做さず、一般的に言えば不可視である領域(見えないもの)を現象内部に受容し、その全体を人間の知覚領域と見做します。アンリの言葉としては「内在性」がそれです。ですから、むしろ知覚可能な次元でのみ世界を認識し得ると考えることは視野狭窄的であり錯誤となります。
アンリの哲学は徹底して内在性の哲学であり、超越性(外部)を規定しているのも内在性(内面)であり、内在をもって超越は現われます。アンリの思考の徹底性は内在性だけにとどまりません。たとえば自己性がそうです。現代思想でも自己性や内在性の問題は扱われますが、その場合、自己意識は、内在を自己という狭い領域に限定し留まらせるものだとして批判的な扱いを受けることがあります。つまり、内在は自己よりももっと深く豊かな次元に潜在しているということだと思います。しかし、アンリはまったく逆に、この自己性こそが内在性の基底だと考えます。また、自己性や内在性に関して、外部(他者性や超越性)との関係として内部(自己性や内在性)を捉えるような相関的立場を取りません。外部との関係における内部ではなく、内在は絶対性としてあるのです。むしろ、内在性に「生」のすべての基点があります。相関性、他者性、外部性といった、20世紀以降の現代思想が存在の第一要件と見做すに至ったものを、基本的に第一要件とは見做していないということになります。その点は極めて徹底しています。
アンリを知ったのは、彼のカンディンスキー論『見えないものを見る』を手に取ったのがきっかけでした。読みながら考えていたのは、カンディンスキーの「内的必然性」、そしてアンリの「内在性」は、自分が体験したまま、うまく言葉にできないでいた、さるすべりの木の枝と、それを描いている線が繋がった体験、あるいは「ゴッホの椅子」の体験を、別の言葉で指し示しているのではないかということでした。アンリのカンディンスキー論で示される最終的な等式は、「内部=内在性=目に見えないもの=情念=抽象」となっています。
アンリが捉えた「内的必然性」に従うなら、カンディンスキーの色彩、あるいは様々な図形は、それ自体の存在の起源に従って出現するものと見做されます。画面を構成するために外部から取り入れたものではなく、色彩、図形があらかじめ備えている自らの存在性に従って画面へと現われ出るということです。これはカンディンスキーが考えていた「内的必然性」に対する理解としては極めて正しいものです。カンディンスキーが理解していた「内的」とは、まさしくこういうものでした。付言するなら、こういう理解の仕方は、アンリ自身は全く言及しませんが、神智学におけるA・ベザント、C・W・リードビーダー『思念=形態』との親近性を強く感じさせるものです。『思念=形態』とカンディンスキーとの関係は、リングボムの『カンディンスキー』に詳しく書かれています。
「内的必然性」という言葉を最初に見た時は、内的とは、そのまま画家個人の主観的内部、いわば20世紀芸術を支える近代的自我の内部の話であり、その内部で選択判断されたものを「内的必然性」と呼ぶのだと単純に考えていました。しかしそれだと「内的」は、従来の主観性、主体性、自己性となにも変わらない、極めて一般的な概念にしかなりません。もしカンディンスキーの「内的」がそういうものであるのなら、アンリがわざわざ取り上げることもなかったでしょう。その意味では、カンディンスキーの「内的必然性」の理解のためには、アンリの内在性と同じく、なにより「内」なるものの概念を根底からとらえ直す必要に迫られます。それが絶対に必要となります。そして、アンリの理解する「内的必然性」への理解を手掛かりにしながら、かつて自分が体験した出来事をたどり直すと、その時は言葉にし得なかったものを言葉にする可能性があると思えてきました。
描く行為とは、私の存在(主観、主体)を待って現れるのではなく、それ自体で存在している。さるすべりの木を描くという行為は、私の存在や樹木の存在と同じく、存在として等価であるということ。描く行為、事物存在といった異なる次元の存在容態は、それぞれに異なりながら、順列を伴わずに等価に存在しているということ、木を描くことで「描く」という行為が始まるのではなく、描く行為自体があらかじめ存在していて、描く行為という存在自体の中から描く行為が現われてくる。私は描く行為の主体ではなく、行為自体が行為の主体であり、描く行為自体が行為を触発し生み出し続けているということになります。
自分に起きたことを正確に記述しようとすれば、自分にとってはこれでいいのですが、こういった記述を読む側にとっては、同じ体験が存在しない限りは肯定も否定もできないでしょう。「私は神を見た」と言われても、「お前は見たとしても,私は見ていない」と言い返すか、「お前の言うことは信じない」あるいは「お前の言うことを信じる」と答えるしかない。それは、木を描いた線と木自体が横並びに同じ次元に存在すると言われても同じことです。共有しない体験を伝えられた者にとっては、他者の体験は信じるか信じないかの問題になりますが、体験を持った者には、「信じる」「信じない」の問題ではなく、体験はすでにそこにあり存在しているものです。信不信の次元をすでに踏み超えています。であるとすれば、体験を持つ者がその先になし得ることとは、体験を信じさせることではなく、自らの体験からもたらされたものが、われわれの存在全体にもたらし得るものがあるかどうかを問うことです。もし何もないと判断するなら、その人は「私は見た」と言ったまま、そこで沈黙すればいいのです。
絵を描く行為と、樹木である事物が横並びに等価に存在している。これは非合理です。確かに非合理ですが、行為と事物の等価性は自分の内部において体験されています。その非合理でしかない体験からもたらされるものが、その先にあるかどうかです。
アンリの自己触発という概念自体は、いま語っているような、行為と事物存在との等価性について語っているわけではありません。ただ、アンリの哲学は、かつて自分に起き、そして自分の言葉では説明できなかった体験に対して、一つの示唆を与えてくれると思えるのです。もちろん人間存在を絶対的内在性と捉えたとしても、自己の外に外部世界は存在していますし、そこに他者がいます。人間の身体は必ず自分以外の他者の身体を介して生み出され、自己が自己を生産し生み出すことはあり得ません。物理的次元では、自己という存在、描くという行為、外部に存在する事物はそれぞれに異なる次元を保ち、順列を守っています。そこには存在の階層秩序があります。しかし、カンディンスキーの「内的必然性」、アンリの「内在性」、「自己触発」は、そのような可視的に了解された現象世界の秩序とは異なる別の次元を開きます。言い換えれば、「見えないもの」の次元です。
アンリのカンディンスキー論は「見えないものを見る」というタイトルになっていますが、それだけで判断すると、「見えないものを見る」とは神秘的な透視力のようにも思えます。カンディンスキーと神智学の関係を知っている人なら、むしろそういう内容だと誤解するかもしれません。先に言及したリングボムの著作『カンディンスキー』では、サブタイトルが「抽象絵画と神秘主義」とあるように、カンディンスキーにおける神智学や神秘主義との影響関係を詳細に跡付けています。しかしアンリは、カンディンスキーと神智学や神秘主義との関係には一切触れません。アンリが述べる「見えないもの」とは、可視的な知覚世界だけを「見るもの」とした場合に見えなくなる次元のことなのですから、「見えないもの」など本来は存在していないことになります。人間が一般に了解している知覚の限界が世界の限界ではないということでもあります。隠されているのではなく、すべては存在しています。ただ、可視的な領域だけを「見える」と考えるなら、それは「見えない」というだけの話です。ですから、それは隠されているのでも神秘でもなく、初めから存在しているにすぎないということなのです。
*《等価性の次元と「自己触発」》は、2019年5月19日に開いた個展『ゼカリヤ書』でのギャラリート-クを大幅に加筆修正して文章化したものである。当初のタイトルは「絵画の自己触発」であったが、加筆修正した後の内容に即してタイトルも書き改めた。