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第二章「誰が線を引くのか」|矢野静明

1. トーク

(これは2019年10月4日~14日まで、東京西荻窪、ギャラリー・フェイス・トゥ・フェイスで開かれた個展『リントの森』に際して行ったギャラリー・トークに加筆修正したものです。)

参考作品画像 (a)

ハデラク背景処理

「ハデラク (Hadrak)」 (2018) 450x390(mm) 油彩・インク・キャンバス

今回のタイトルは「誰が線を引くのか」となっています。これはみなさんへの問いかけではなく、本当は自分自身への問いかけから始まったものです。自分が線を引いているのですから、普通なら「私が引いている」でいいはずですが、引いている本人が「誰が引いているのか」と問うのですから、答えが簡単に「私」にはならないということを意味しています。では誰であるのか。今日ここで語るのは基本的には線描行為のことです。線描と並んで絵画の重要な要素である色彩の問題を今日は扱いません。線を引くという、絵画にとって最も基本的な要素の一つについて話します。

自分の描く絵について話すことは時々ありますけど、繰り返し話してきたのは、幼少期に起きた三つの体験でした。最初の頃はちょっとしたエピソードみたいな感じで友だちに話していました。誰にでも子供の頃の体験があり記憶もあり、近くにいる人にしゃべったりします。ですから、なにも特別なことではないのですが、ただ、人に話しながら、遠い昔の場面なのに、その場の空気も含めて、いやに鮮明におぼえているものだなと奇妙な感じはしていました。

人に話しているうちに気づいたのは、三つの出来事はたまたま記憶に残っていたのではなく、自分が絵に出会うはじまりがそのまま示されているということです。別々の出来事ですが、同じ一つの次元に向かって重なっていくように感じる。大げさに言えば、ただ一つの次元が繰り返し別の姿になって現われてきたように感じられ、その印象は決定的でもありました。だからこそ昨日起きたかのように鮮明な記憶として残ったのだと思います。

絵を描いている人間が絵画について語ろうとする場合、個人的な体験を単なるエピソードとして取り上げるだけなら別に問題は起きません。ところが、絵画一般の問題に拡張してそれを語ろうとすると、様々な批判や疑いを招きます。表現を形式として分析するとか、あるいは歴史的経緯を美術史的に論じるとか、つまり客観性に基づいて語れば、取りあえずそういう批判や疑問は受けませんが、個人的な体験をそこに挟み込めば、いっぺんにいかがわしいものとして扱われます。その理由は、その人だけに起きた体験や主観的な記憶を絵画一般の問題として語るなら、どんな妄想や思い込みであっても、他の誰にも批判できなくなる。批判できないというよりも、批判しても無意味なものにしかならない。なぜなら、全員から否定されようと、「自分にとってはそうでしかない」と開き直られると、話はそこで終わってしまうからです。ですから、自閉的とも独我論的とも言われ煙たがられます。それを踏まえつつも、あえてここでは個人的な体験から話を進めます。

昔読んだ本に「必要なのは体験であり、貴重なのは記憶である」という言葉がありました。レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉だそうです。実に素朴な言葉ですが、基本的には、画家が絵画について語る場合、それでいいと思います。研究者と実作者ははじめからポジションが異なりますから、言葉の使い方も異なります。そうだとしても、では「実作者の言葉」とは一体なんなのかという問題は残ります。単に個人的体験を語る言葉でしかないのか。たとえば、比較的多くの言葉が残っているセザンヌやゴッホの言葉は、すべて自分の体験から出ていますが、しかしただの主観的な「体験話」とは違っています。同時に、研究者的な客観的分析とも違う。「わたし」から始まりつつ「わたし」を超え出ていく、そういう言葉の領域があるように思えるのです。

ここで語ろうとしている三つの線描体験、それぞれがすべて十歳までの話です。細かな説明は省略しますが、一つは五歳ぐらい、小学校入学以前ですね、家の庭に木の棒で線を引いて遊んでいたこと。その次は同じ頃ですが、保育園時代に、他の子供が書いていたひらがな文字が文字の形を離れて別の図形に変化していったのを見たこと、最後は小学校三年あるいは四年生の図工の時間に、校庭に植えてある木を写生していて、紙の上に引いていた線と、描き写していたさるすべりの木の枝の線が直接つながっていったこと。この最後の体験だけは、今でも理解しがたい謎としてあります。「直接つながる」という現象、そのことが言葉では説明できないのです。

線描に関しては、この三つが幼少期の記憶としてありますが、いずれも十歳までの体験ですから、まだしっかりした自己意識が確立する以前の体験です。つまり、〈自分〉が描いているという自覚はないけれど、線を引いている〈自分の姿〉ははっきりとおぼえているという状態の記憶になります。

小学校の図画教育を体験すると、絵の上手な子供が現われる一方で、それまで平気だった描くことが苦手になる子供が出てきます。その時生じた苦手意識が、生涯にわたる苦手意識として自分の内で決定されていくのが十歳前後、小学校三、四年生あたりではないかと思います。一般的にはそうですが、自分に限れば、学校教育の痕跡と体験はほとんど残っていません。描くことが苦手になったこともなく、逆に先生に褒められて意識したということもありません。学校で絵を描いていたことは当然おぼえていますけど、それは一人で描いていたのと同じことです。要するに、学校教育以前に出会っていた線描行為が始まりにあり、その後で出会った学校での図画教育は自分にほとんど痕跡を残していない。学校の図画教育がどうこうというより、学校で教えられることと自分が絵を描く行為とが接点を持たないままだった。あるいは、持つ気が最初からなかったのかもしれません。その後も、現在に至るまで一人で描いてきたので、別の言葉を使えば「独学」とも言えますが、独学という言葉に含まれるニュアンスは自分とはほとんど無縁です。むしろ、絵画を学ぶ意識そのものがなかった。学ぶ姿勢そのものがなかったといったほうが正解でしょう。それは、五歳の時に線を引き始めたと同時に、絵はすでに自分の内に存在しているという感覚があったからだと思います。

絵を描く(線を引く)ということはすでに知っている、だからそれ以上「学ぶ」という必要を感じていなかった。上手下手とか知識や技術の話ではありません。たとえば、フランス語や英語を学校で学ぶということはあっても、生まれた時から日本語を使っている日本人が、わざわざ日本語学校に入って学ぶということはしません。自分にとって線を引くというのは、それと同じですから、絵を学ぶという意識はまったく生まれませんでした。小学校でも国語の時間はありますから、そこで文字や読み書きは「学ぶ」のですが、別に小学校に通わなくても、ほとんどの子供は入学以前に言葉を使っています。自分の絵画はそれです。知識や教養、技法はそれなりに後で付け加わりますが、基本的には、絵画(線)は自分の場所に(すでに)存在していました。つまり、学校で学習する以前に、学習しない「線」に出会っていたわけです。

それでは、絵画(線)は自分の場所に(すでに)存在している、とはどういうことなのか。簡単に言えば、絵画(線)は自分の外側から自分に到来するものであって、自分が作り出すものではないということ、と同時に、その外側というのは、文字通りの自分の外側ではなく、自分の内側にありながら「外側」であるような、そういう領域から現われてくるものだということです。ややこしいですが、自分の内側にある〈外側〉から現われてくるということです。

線を引く行為というのは、自分が行っている行為ではあるけれど、線は自分が生み出しているものではなくて、自分の内側にある〈外側〉から現われてくる。たとえてみれば、釣り人が魚を釣り上げることに似ています。線を引くとは、釣り人が魚を釣り上げるのと同じです。絵描きは絵を釣り上げている。魚は川や海にいるもので、決して釣り人自身が作り出しているわけではない。同じように、絵描きが絵を描いたとしても、絵描きが絵を作り出しているのではないということです。

一般には、描いている「私」が絵を描いているのだと疑いなく思われています。行為の主体としてならそれで間違いありません。しかし、行為者が絵を生み出していると考えるのは、釣り上げた魚を釣り人が作り出したと考えるのと同じです。ただ一つ異なっているのは、釣り人と魚は完全に別存在ですが、画家と絵画の関係は、人間の身体という、一つの存在の中で「内」と「外」に分離しているということです。自分の内にあるけれど、自分に属してはいない〈外〉です。

自分の内にあるのなら本来的には自分はすでにそれを知っているはずです。しかし、知らないのです。行為を通して現われますが、それがどこから来るのかを本当には知らないのです。内にある外とは一体どのようなものであるか。ここで仮に名づけてみるなら、そういう関係の在り方を「既知なる未知」と呼んでみたいと思います。

卒業論文で瑛九という画家〈について〉取り上げ、その後、ゴッホ〈について〉本を一冊書き、それからドゥルーズの著した画家フランシス・ベーコン論〈について〉いくつか文章を書いたのですが、いずれも自分以外の画家を扱っているもので、自分のことではありません。それはそれで問題はないのですが、実際に絵を描いている人間として絵のことを語り考えているのであれば、〈…について〉という言葉の領域とは異なる画家の言葉があるはずです。前にも言ったように、画家が自分の絵画や体験について語ると、自然に主観的な言葉となり自閉的になります。けれど、自分の体験を語るのが一番の目的ではなくて、体験からもたらされるものを汲み上げたいのです。ダ・ヴィンチ流に言えば、必要なのは体験であり、もっと貴重なものは、体験を通して記憶されるものであり、そして残された記憶に言葉を与えることです。もし自分の体験を掘り下げる力があるなら、それは可能になるはずです。そんな力が自分にあるかどうか、それはまったくわかりませんが。

今回の個展に出品した作品について少し述べておけば、線描に加わって点描が現われてきました。線描に関しては、五歳頃からの線描とそのままつながっているのですが、点描が画面に現れてくることは、自分では予測していませんでした。純粋に線だけで画面を作ろうと思っていたのに、途中から点描が入ってきて、現在も線と点の仕事が続いています。

今日も、ここに来る前にアトリエで点描をしてきましたが、その作品は五年前の個展に一度並べたものです。そこから持って帰って見ているうちに、画面が画面になっていないように思えてきて、手を加え続けています。画面の終わりがいつ訪れるのか予測はつきません。たとえば、今回の展示では、同時に描き始めた二枚の作品が並べてあります。右側の作品(『時と空間・2』[参考作品画像 (c) 参照])はある段階まで来た時に描くのをやめて、そこから手を入れていません。対して左側の作品(「時と空間」・1」[参考作品画像 (c) 参照])は、画廊に送るために梱包する直前まで手を入れていました。同じサイズで、同じ線描と点描で、同じ三色の色彩インクで、同じ地塗りのキャンバスに、ほぼ同じ時間を使って描いてきたのに、いつ二枚の絵にかかる時間は分離していったのか分かりません。描いている間に微妙な変化が起きているのでしょうか。もちろん、描き続けるのも、止めるのも、描いている人間の判断ですが、この判断は自分の判断でありながら、それ以外の要請が働いているという感覚がいつも起こります。判断の主体が誰であるのかも実は分かりません。

今日お話した、自分の外に線がある、というのは、自分に起きた出来事を言葉にすればそうなるというだけの話です。ですから、わざわざ他人が理解しがたいことを話さなくてもいいのですが、ただ、敢えて言葉にしようとする理由は、一つは、表現というものの領域を拡張したいということがあります。表現のスタイルやメディアを拡張したいのではありません。現在、表現領域の拡張を目指すとは、ほとんどは伝達のためのメディア拡張を意味します。けれど、そういうことをしたいのではありません。表現の概念を拡張したいのです。たとえば、個性や独自性という「私」に関わる評価はいまでも価値基準の中心として流通しています。また、作家名と作品を必ず結びつけるのは、経済活動としての美術市場が個々の商品名を必要としているからでもあります。現在の経済や政治機構を含む社会構造を前提とすれば当然そうなりますが、ということは、現代アートといいながらも、近代に成立した価値概念を保守している点では古い表現メディアだということです。

そういう意味も含めて、表現というものが自分自身にだけ属していると考えるのは息苦しいという思いがあります。表現は「自己表現」というレベルには存在していません。と同時に、自分自身には属していないけれど、人間には属しているのです。つまり、自分自身の内部にありながら、自分自身の外部にあるということです。表現の概念を拡張するということは、同時に、自己や主体の概念が拡張し変容することを意味しますし、最終的には「人間」という概念そのものの問題になっていくだろうと思います。

参考作品画像 (b)

天の湖に浮かぶ舟

「天の湖に浮かぶ船」 (2019) 230x160(mm) 油彩・インク・キャンバス

2. 質疑応答

質問A ゴッホが、真昼の光に照らされると、自分は気を失って、自分が絵を描いているのか誰が描いているのか分からなくなると言っていますが、それは先ほど話された、表現は人間、あるいは自分に属していないということと同じでしょうか?

矢野 ゴッホの語っていることは今日話した文脈とは異なっているはずですが、ただゴッホも自分で絵画をコントロールできない状態を体験しているとは言えます。それは彼の精神や身体の状態にも関わって惹き起こされているものですが、それとは別に、自分を超えた何かが作品制作に作用しているということは感じていたと思います。

ゴッホは作品の意図や完成した作品に対して大変に自覚的であり注意深い観察者でした。それでも自分の作品で実現されたものをすべて了解できていたわけではない。彼が手紙に書き残している作品の意図と、実際の作品が与える印象が異なっていることについては、以前から、精神医学のカール・ヤスパース、詩人のアントナン・アルトー、美術史家クルト・バット、そして評論家小林秀雄もそれぞれ異口同音に述べています。ゴッホが実現しようとしたものを上回って別のなにかが画面に現われてくるということです。

ゴッホの名前は自己表現の代名詞、主観的表現の象徴みたいになっていますが、それはゴッホに対する最も大きな誤解、あるいは大きな錯覚だと思います。以前、ゴッホがパリ時代に描いた「ひばりのいる麦畑」を上野の美術館で初めて観た時、最初に受けた印象は画面に音がないということでした。静寂というよりも、無音状態に近いということです。無音とは真空状態ということで、つまり人が生息していないということでもあります。刈り入れ途中の麦畑と飛び立つ鳥が描かれていて、非常に明快な、とても明るい画面なのですが、人間と関わるものがほとんど存在していない気がしました。ゴッホは人間臭い画家だと思っていましたから、画面から受ける印象があまりに違うので驚いた記憶があります。つまり、ゴッホの一般的なイメージとは真逆のような印象を受けたのです。普段われわれは世界を自分の欲望や目的に合わせてみようとしています。そういう場合、世界は自分の欲望や目的に従って姿を現わします。しかし、ゴッホの画面は、そういう欲望や目的が消えた視線が捉えた世界のように思えました。どういう言葉が適切であるのか分からないのですが、一度世界から降りた人の視線のようにその時は感じました。自己表現の対極にあるような視線です。それが無音の状態を伝えている気がしました。

質問B 絵画は外から降りて来ると言われました。それと同時に、それは神秘主義ではないとも言われましたが、一般には神秘体験に近い気がします。その違いはどうでしょうか?

矢野 外から降りて来るという言い方だと、たしかに神秘体験を連想させます。ただ、言葉や図形のようなものが突然現われて、自分に舞い降りて来るということではないのです。モーツァルトは作品が完成された形で頭に浮かんできたそうですが、そういったヴィジョンのようなものを受け取るという意味ではないのです。そういうものであれば、インスピレーションとか霊感とか直感といった言葉で、芸術家が昔からよく口にしています。ここで話した「自分の外から」というのは、自分の行為より以前に、すでに存在していて、そこに自分の手が触れて画面にもたらされるということです。自分の行為が生み出す以前に、線描というものが、すでに世界に存在しているのではないかと考えているのです。あらかじめ世界に存在している。つまりそうであるなら、たとえ人間には見えていなくても、神秘とは呼べないだろうという意味です。

質問C 私が線で描いても、それは矢野さんのいう線描自体が存在する次元とつながっているものですか?

矢野 基本的にはそう考えています。人間の眼(知覚行為)や手(身体行為)の存在自体が何かを生みだしているとは考えていません。その理由は、先に述べた自分の体験を基にすると、そう考えるほうが理にかなっていると結論したからです。

哲学者の永井均さんが「読まずに書く」という短い文章で〈私は読む前に書いていた。私は中学生のころ詩を書いていたが、それ以前に読んだ詩といえば、教科書に出てくる近代詩だけだったにもかかわらず、それらとはまったく違う(後から見れば)現代詩(に分類されるであろうものを)を書いていたと思う〉と述べています。永井さんがそのことをどう考えているのか、それは分かりませんが、体験としてながめれば、僕の体験とほとんど同じだろうと思います。ただ、僕の場合は、さるすべりの枝自体と、それを描いていた線描がそのままつながっていくという、言葉で説明すれば「神秘体験」のようなことが起きたので、それは少し違うのかもしれませんが、自分の意識を超えて、自分からなにかが流れ出るという感じはほとんど同じです。

自分の考えに近いと思えるのは、カンディンスキーの「内的必然性」なのですが、カンディンスキーが当時の神智学やオカルティズムの影響を受けているということで、こういう考え方を胡散臭いとみなす人は当然います。たとえば、戦後ドイツの哲学者T・W・アドルノは「芸術と諸芸術」の中で、〈壮大であろうとしたカンディンスキーのマニフェストは、ルードルフ・シュタイナーから女詐欺師のブラヴァツキーにいたるまでのさまざまな胡散臭いテクストを典拠とすることを怖れない。カンディンスキーにとって、「芸術における精神的なもの」というみずからの理念を正当化するためには、その当時、実証主義に対抗して精神(Geist)を——さらには幽霊(Geister)さえも——引き合いに出したものは、すべて歓迎なのである。〉と述べています。自ら作曲もしたアドルノは音楽を含めた芸術美学に関しても専門家でした。アドルノからすると、カンディンスキーのような錯誤が生じるのは、半可通な省察のまま、オカルト的精神主義に取りすがろうとした結果であるとして全否定されます。しかし、カンディンスキーとアドルノの認識の違いは、芸術家の蒙昧な省察と哲学者の厳密な省察の違いではありません。また、観念論的美学と唯物論的美学の対立でもありません。違いがあるとすれば、アドルノの言う「対象や方法の自明性」を失った二〇世紀芸術が、その後たどるであろう歴史的未来に対する認識の違いです。

アドルノの言う「対象や方法の自明性の喪失」はカンディンスキーにとっても現代芸術が成立するための前提条件でした。なにしろ、現代絵画における対象の除去に最も積極的にたずさわったのはカンディンスキーその人です。それがなければ純粋な抽象化という方向は生まれていません。ですから両者が方向を違えるのは、二〇世紀芸術がその後にたどるであろう、未来の歴史的時間についてであり、言ってみれば、私たちのこの現在にまでおよぶ芸術への理解の仕方なのです。

カンディンスキー自身はアドルノの存在を知らなかったと思いますが、アドルノが師事した作曲家アルバン・ベルクはシェーンベルクの弟子であり、そのシェーンベルクとカンディンスキーは一時深い交流のあった友人同士でした。その関係からすれば、カンディンスキーとアドルノは二〇世紀芸術への認識をある意味で共有しています。つまり、当時の前衛芸術家たちは、「対象の喪失」を否定的に捉えるのではなく、対象からの「解放」として肯定的に捉え、その先のゴールを目指したのです。しかし、歴史のプロセスには、常に未知の「その後」が続きます。最初に目指した目的到達点が最終ゴール点にはならないのです。カンディンスキーが考えていたのは、対象が消え去った、「その後」でした。

アドルノが、カンディンスキーの芸術論をどれほど本気で読んでいたかは分かりません。「内的必然性」についても、オカルティズムと主観主義を都合よく混合したものくらいに考えていたのかもしれませんが、抽象化をたどる二〇世紀芸術へのカンディンスキーの危機感は、今の芸術が孕んでいる危機そのものを予感させます。つまり「対象や方法の自明性の喪失」の「その後」をどう生きるかです。われわれは、喪失状態をかつてのように解放や可能性とは見做さず、段々と「虚無的なさら地」として認識するようになってきたのですが、そこで問題となるのも、「その後」の時間です。

最後にもう一度、線描が外の次元に存在するという話に戻りますが、自分の眼や手を媒介として、そこを通過して現われるのが線描です。線が自分の外にある次元につながっているとしても、自意識が過剰となり、「私」の意識に支配されると、過剰な自意識が線描に介入してきて、自分だけの線の領域に入ってしまいます。先に話したカンディンスキーの「内的必然性」の「内的」は、しばしばこの自意識のことだと誤解され、自己の内部というように理解されてきましたが、全く異なるものです。「内的」=「私」ではないのです。

いずれにしろ、線は必ず身体を介して現われますが、その身体を自意識が支配していると、線は自意識の姿をまとって現われるということです。シュルレアリスムの絵画や文学にオートマティスム(自動記述法)という手法がありました。意識の介在なしに生み出される絵画や文学の探求なのですが、中心にいたアンドレ・ブルトンが精神医学出身の人でしたから、当然フロイトの「無意識」にヒントを得ています。しかし、晩年のブルトンは、「無意識」の次元から、さらに下降して、「無意識」の底を、もう一つ踏み破ります。これは、後期フロイトにおける「エス」、そしてフロイトに「エス」の存在を示唆したグロデッグの「エス」概念、さらには、精神分析学のラカンが晩年提出した「ララング」や「サントーム」という独自の概念などと併せて考えることができるかもしれません。

晩年のブルトンは「カンディンスキーとともに描き出されるのは未来の問題である」と『魔術的芸術』に書き記しています。たしかに、最晩年のパリ時代に制作された一連のカンディンスキーの作品は、アドルノ的モダニズムや、戦後のアメリカ現代美術的な「抽象絵画」とは全く異なる視点から再検証されるべき内容を含んでいるように見えます。

カンディンスキーの「内的必然性」、そしてブルトンが示唆する「未来の問題」を、たとえば今日話した表現概念の拡張として語るなら、「私」の閉域によって閉ざされない人間の「内的」な次元、内に存在する外、それが開かれることではないかと考えるのです。

参考作品画像 (c)

時と空間1(2)

「時と空間 (1)」 (2019) 530x455(mm) 油彩・インク・キャンバス

時と空間2(2)

「時と空間 (2)」(2019) 530x455(mm) 油彩・インク・キャンバス

3. 著者・個展・作品情報

矢野静明 (やの・しずあき) 略歴
1955 宮崎県生まれ
1983 和光大学人間関係学科卒業
2001 フリーマン・フェローシップでアメリカ、バーモント・スタジオ・センター滞在
2004『絵画以前の問いから―ファン・ゴッホ―』書肆山田刊
2014 『矢野静明作品集成』ICANOF出版
2016 『日本モダニズムの未帰還状態』書肆山田刊

展示
2014 ICANOF第12回企画展『矢野静明 ——— 種差 ENCLAVE』 八戸美術館/青森
2017 特別展「川崎毅と矢野静明」 宮崎県立美術館/宮崎
他、個展・グループ展多数

個展『歴層 (REKI-SOU)』
2020年12月4日(金)〜12月13日(日)
月〜金 17:00-19:30
土・日 11:00-18:00
* 12月8日(火) 休廊
* 最終日 (12月13日) 17:00まで
会場: Gallery Folio ギャラリーフォリオ (四ツ谷、東京)

矢野静明 絵画作品サイト (随時更新中)

上記トーク会場: ギャラリー フェイストゥフェイス (西荻窪、東京)

ヘッダー画像: 矢野静明「ハナニエル (Hananiel)」(部分) (2019) 230x160(mm) 油彩・インク・キャンバス

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