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I kin ye.

1


そういえば最近言葉と出会っていないなと思って

枯れかけた草木が水を求めて伸びをするように

ある日の夕暮れ、一冊の本を手に取った。

チェロキー・インディアンの血を引くフォレスト・カーターの心の原郷であるインディアンの世界を綴った本。少年「リトル・トリ―」の日々の生活や自然観をみずみずしい感性と共に歌い上げた。「リトル・トリ―」というのはフォレスト・カーターのインディアン・ネームでもある。

2

「この手紙、イドは知っておくべきだと思う。イドならきっとこの意味を理解できるよ。」

高校1年生のときに「Chief Seattle's Speech(シアトル酋長の手紙)」を英語の恩師から手渡されてからもう4年が経とうとする。"The president in Washington sends word that he wishes to buy our land." から始まる手紙。インディアンの酋長が彼らの土地を奪おうとする政府に対して書いた手紙だ。

Every part of the earth is sacred to my people.
Every shining pine needle, every sandy shore, every mist in the dark woods, every meadow, every humming insect. All are holy in the memory and experience of my people.

なんて美しい文章なんだろうって、視界を曇らせていた何かがすうっと引いていくように感じた。

私は朝早く登校して
まだ誰いない教室で、この手紙を暗記して何度も何度もスピーチした。当時の私はアメリカに渡ったこともなければ、インディアンと接点があったわけでもなかった。けれどこの手紙で歌い上げられた風景がどこか懐かしくて心の拠り所になっているのはきっと、私の心の原郷がブータンの自然の中にあるからだと思う。

たとえ都会の真ん中で暮らしていても
どんなに目まぐるしい日々に終われようとも
そっと耳を澄ませれば
心の世界を見つめると
静かな生命のせせらぎが
霧のかかった深い深い森が
いつも私の目の前に広がっている。

だからどんなに寂しくても、
一人にはならなかった。

私は長い長い帰路を辿るバスに揺られながら、「リトル・トリ―」のあるページに心を奪われていた。

 祖母は名前を「きれいな蜂(ボニー・ビー)」と言った。ある夜おそく、祖父がI kin ye, Bonnie Bee. と言うのを聞いたとき、ぼくにはそれがI love you. と言っているのだと分かった。言葉の響きの中に、そのような感情がこもっていたからだ。
 また、祖母が話の途中で Do ye kin me, Wales? とたずねることがあった。すると祖父は I kin ye. と返す。それは I understand you. という意味である。祖父と祖母にとっては、愛と理解はひとつのものだった。祖母が言うには、人は理解できないものを愛することはできないし、ましてや理解できない人や神に愛をいだくことはできない。

フォレスト・カーター著 和田穹男訳『リトル・トリ―』

"I kin ye."

単語も文法もごちゃごちゃなこの言葉。けれどこの言葉は理屈で感じてはいけない。音と心で意味を感じるのだ。

"I love you." は "I understand you."

これがすとんと自分の中に落ちてきて、とても大切な言葉になった。

だって、もしかしたら

目の前の相手を受け入れること
誰かの悲しみや辛さに寄り添うこと
社会で起こっている事実に目を向けること
遠い世界で起こっていることにも耳を澄ませること

つまり、
人々やこの世界を理解すること、
そしてそこで生きること全てが
"I love you." というメッセージに成り得るかもしれないのだから。


そんな風に生きていたい。

そんな世界になればいい。












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