アルバイト短編集

創意工夫することを忘れていた

いつの頃からだろう?中学生?高校生?
自分で考えて工夫するという行為をしなくなってしまった。
言われたことを脳死で行う人に成り果てていた。すっかり「マニュアル人間」になっていたのだ。

例の如く、接客業のアルバイトでの話である。
お客様がご注文される際、様々なご質問をいただくが、その度に自分の機転や気遣いの至らなさを痛感してばかり。
マニュアルに載っていない(そもそもマニュアル自体ないが、、)事項ばかり。即ち「先輩に教えてもらったこと」や「暗記したこと」の範疇にはない質問が多く、困ることが多かった。

結局のところ、与えられた情報や暗記した事項を基に自分で筋道立てて解決策を講じたり、その場で機転を聞かせて臨機応変に対応する他なく、想定外が起こる度に思考停止する自分が情けない。

そもそも、自分が工夫をしなければ、自分の価値はどこにも発揮されない。別に俺がそこにいる必要はなく、他の誰でも良いということになる。そんなのは嫌だ。せっかく自分がやるならば、自分の個性や価値を発揮したい。
小学校の図工で一生懸命に工夫しながら、自分のイメージする作品を創作していた頃は「自由」だった。自分の価値を発揮できていた。

今の自分はマニュアルに頼ってばかり。自分で考えられないようでは、自分はまだまだ半人前のアルバイトなのだ。

アルバイトの仲間

アルバイトではフリーターや主婦、専門学校卒業の人等、自分とは異なる社会的バックグラウンドを持つ人と深く関わることができる。
先日、営業終了後に賞味期限切れ寸前の食材と酒でこぢんまりとした飲み会をした。そこで、どの人も彼らなりの理由で働いているのだと感心した。嬉しかった。
みんな、各々の理由で頑張って生活費を稼いでいる。夢を叶えるための資金集めのため、子供の教育費のため、自分の実力を高めるため…etc
彼らを見ていると、働く上で、改めて「自分は自分なりの理由で、自分の夢を追求して良い」と感じる。
当たり前のようで、当たり前じゃなかった。俺の身の回りは同じような育ちの友人や知り合いで固まっているため、「著名な企業で働く」「出世して昇り詰める」「医者になる」「弁護士になる」などどいった価値観に、良い意味でも悪い意味でも影響されている。だからこそ、短い時間ではあったが、肩の力を抜いて外から自分を見つめ直すことができ、思い出に残る素敵な時間になった。

やればできる

今のアルバイトで4つ目である。
3回目、4回目はそれぞれ、1回目、2回目と同業種である。
1回目も2回目も全く身が入らず、仕事への不満を他責思考で捉えたり、いい加減に仕事するなど、まだまだ未熟だった。
けれども、3回目、4回目はそれなりに卒なくこなせている。
違いはメンタル。以前より自分を信じられるようになったり、少しだけ地に足がついたりしたのだと思う。

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