見出し画像

大叔母の思い出

今日は、私の大叔母さんのことを少しだけ。

私の大叔母さんは、私の母方の祖母の妹に当たる人です。
一昨年、1人暮らしの部屋で亡くなっているのを私の母が発見しました。
傍目から見たら、孤独死、と言われるものだと思います。

私が子どもの頃、夏休みによく母の実家へ行ってましたね。
そこにはだいたい大叔母がおりました。彼女は一度結婚して子どもが一人いますが、離婚して(たぶん🤭事情は詳しく知らないんです)、一人でずっと暮らしていました。私の祖母は仕事をしていましたから、料理を作ってくれるのは、大叔母でした。

おばちゃん、と読んでいたので、ここからは、おばちゃんと書きます😊🙏

おばちゃんは、気の強い感じの人で、自分の意見をはっきり言う人でしたから、わりと周りの人からは嫌われていたかもしれません。
私は、おばちゃんのことは、大好きでもなかったけど🤭そんなに嫌いでもなかったんです。

色々教えてくれる人でした。口うるさい感じとか、人の悪口もよく言ってました。
でも優しいこともあったし、可愛がってもらっていると感じてもいました。

おばちゃんとの思い出で、1番覚えていることがあるんです😊

たぶん、小学校に上がる前くらいだったのではと思います。。
その頃ちょうど音楽教室に通い始めていて、オルガンを習っていたんですね〜。
母の実家に、オルガンを発見した私は、「オルガン弾いてもいい?」と、聞いたのです。
すると、大人たちが一斉に笑ったんです。
「それ、ミシンだよ〜」って。
そうなんです。私がオルガンと思ったものは、なんとミシンだったのです。。
このミシンが想像できる方とできない方がいらっしゃると思いますが、昔のミシンは、足踏みミシンと言って、なんかね、ちょっとオルガンに似た感じのものが昔々にあったのですよ〜😆わかるかな。
で、たぶんオルガンじゃなかったのと、笑われちゃったのとで、私が泣いちゃったんですね😂
その時、おばちゃんが、
「オルガン弾きたかったんだよね。」って、言ってくれたんです😊

そのことを40年ほど経った今でも覚えているくらい、私はおばちゃんのその言葉(心)に救われた感があったんでしょうと思います。
私はおばちゃんを嫌いになれなかったと言いますか、性格的に嫌なところを見ても、許せていたと言いますか、そんな感じだったのです。

晩年は、その性格的なこともあって、孤独な生活がずっと続いていたようです。私の母が唯一、最後まで関わっていましたね。買い物をして持っていってあげたりしていたようです。
亡くなった時も一人でしたし、亡くなってからも、彼女が産んだ子どもは、残った財産は手続きをして全て母に渡し、火葬はしましたが葬儀はせず、お骨は母が引き取るということになりました。
本家には、「私の母がいじめられていたのを見ていたから、お墓に入れたくない」と姪御さんに言われ、ではと、祖父のお墓に入れようとしたら、母の兄弟から「入れたくない」と言われ、結局はおばちゃんが自ら残したお金で、骨葬という形でお寺で葬儀を行い、お寺の納骨堂に納骨しました。

そんなおばちゃんは、可哀想な人だったでしょうか。

私は、おばちゃんに子どもの頃、可愛がってもらったり、お世話になったので、手を合わせることができたんだと思います。
でも、亡くなった人に憎い気持ちがあって、手を合わせることができない人もいたんだと思います。

これって、何だろうと思うのです。
何だろうな、と思っちゃうのです。

たぶん、生命としてではなく、人として見ている。からではないだろうかと。

私の考えです。

私もあなたも、生命です。という見方と、

私という人と、あなたという人の、関係性です。という見方。

私たちはきっと、この関係性に束縛されて、人の幸せを願ったり喜んだりすることが難しいのではないかと思ったりするのです。

私とは違う考え方、宗教、文化、国、人種、性別、その他もろもろ、
私とは違うあなた、という見方です。
そして、それが憎いあなた、です。
違ってもいい、違うのは当然で、それぞれがそれぞれの場所で、人権侵害することなく生きればいい、というのであれば、問題はないと思うのですが、、
私と違うあなたが憎い、私が正しくてあなたは間違っている、私のようになりなさい、と言うのは、やはり人権侵害なんでしょうと思いますし、
亡くなってもなお、その骨まで憎い、となってしまうのは、、

私とあなたの関係性に執着しているから、なんだろうなと、思ったのでした。

執着してしまうものなんだろうなと。

私がここから学んだことは、慈しみの大切さです。
私は、私が嫌いな生命や私を嫌っている生命も、全ての生命に対して、幸せでありますようにと願えるように、そうできるように努力しようと、慈悲を心がけていく必要があると、改めて思いました。

ですから、私も、おばちゃんやおばちゃんのお骨を嫌った人々も、すべての生命の幸せを願っていこうと、思います😂🙏

そんなことを学ばせてくださったおばちゃんに、お世話になったおばちゃんに、可愛がってくれたおばちゃんに、生きとし生けるものとしてのおばちゃんに😆感謝して手を合わせて、お幸せでありますように、と。めっちゃ執着っぽいな、、🤣

ありがとうです。
今年は3回忌。

生きとし生けるものが幸せでありますように

いいなと思ったら応援しよう!