永平寺へ行きました
先日、永平寺へ行きました。
参禅🙏
はしてません😂🙇♀️
観光です♪
建物の中の印象は、すごく掃除が行き届いている🧹✨
そして動線長い。階段長い。
そしてカメムシ多い🤭
自然の中のお寺って癒されます😊🙏
こんな言葉が壁に掛けてあって。
これ以外にもたくさんありましたが、今日はこれを紹介しようかな〜と、思いました。
正しい宗教
自分の宗教を信ずるあまり
他の宗教をそしり
果ては憎しみ争うほど愚かなことがあるでしょうか
正しい宗教はいつの時代にも人々を照らし
平和な生き方へと導くものなのです
宗教者同士が刃をぬいて
争うことなどあってはなりません
Righteous Religion
Too much devotion to one's own religion and slandering
other people's religions so the result is hatred and strife.
Is there any greater stupidity?
The righteous religion in every era is one that illuminates people
and leads to a peaceful way of life.
People of religion should never draw swords against each other.
英語も書いてあったので、勉強になる〜と思って😊🙏
めっちゃ知らない単語があります🤭😂
devotion
は、ここでは宗教的な意味ですから、帰依とか信心のような意味で使われていると思います。
slandering
slanderの動詞?なので、中傷や悪口を言う、こと。上記ではそしるの訳だと思います。
hatred and strife.
憎しみ争う
Is there any greater stupidity?
これほど愚かなことがありますか?みたいな?
illuminates
灯火をともす、照らす
イルミネーションの語源かなあ?と思いました。
draw swords against
刀を抜いて争う
宗教が違っても、喧嘩するなよと、
いうことだと思います。
よく考えてみると、わたしは正しい、といつでも人は思うものなので、それを相手に押し付ける感じがなければいいとは思いますね。以前、正しさについて書きました。
わたしはこう思う!という主張はあって然るべき。
ですが、
だから、わたしの言うことを聞きなさい。
と、相手を思い通りにしようとすることは、摩擦を生じますし、争いに発展してしまうんでしょうね。
そしてそれは、
人権侵害なんでしょうね。
と思います。
わたしが正しいという思いが強ければ強いほどに、相手を思い通りにしたいと思って、ついつい争いになってしまうこともありますね。
それが、道徳とか、善悪、宗教的な善悪などに関することだったりすると、余計に自分の正義を振りかざして相手を攻撃してしまいがちになるのかもしれません。
たとえ、相手が怒りにかられて罵声を浴びせてきたとしても、そんな相手を慈しむ心で対応できたら、嬉しく思います。
たとえ、相手が悪いことをしていたとしても、そんな相手を慈しむ心で、そして智慧の心で、やめませんかと落ち着いて言えたら、嬉しく思います。
もし、わたしが怒りにかられていたり、悪いことをしていたとしたら、すぐに気づいてやめることだと思います。そしてそんな自分を責めることなく、懺悔し、自分へも慈しむ心で対応して、次の瞬間から明るい心でいれたら、嬉しく思います。
日常的に、他の生命とは仲良くした方がいいですね😊そしてわたしもわたし自身と仲良くした方がいいですね😊と思います。わたしって誰だ🤭😆
仲良くしなさい、も、相手に対してではなく、わたしからそのようにしていくことなのでしょうと思います。
「正しい宗教はいつの時代にも人々を照らし
平和な生き方へと導くものなのです」
めっちゃ、仏教は正しい宗教ですと主張している気もしますが🤭😆
仏教界にも、内外の争いはありますからですね。
自戒も込めて、でしょうと思います。
平和な生き方、とは。
いつの瞬間も、わたしが平和な心で生きる努力をすること、だと思います。
平和でない心に気がついていく、ということをしていくことだと思います。
なので、慈しみと気づきが大切と思います。
平和な心とは、平等で中立な、そして穏やかで優しい心なのかなあと思います。
わたしは平和な心をすぐ忘れちゃうので、何度も何度もその都度思い出すようにします。
生きとし生けるものが幸せでありますように