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死にゆく人と共にあること

今年も参加させてください🙏😊
ハスつかさんの今年のいっぽん!
今年も新作で参加したいと思います。

昨年は、本の紹介、でしたが、今年も、本の紹介で😂🙏

毎年、出遇うべくして出遇う、今の私にふさわしい本。そんな風にも感じます。

今年の本はこれです。
『死にゆく人と共にあること マインドフルネスによる終末期ケア』
ジョアン・ハリファックス
井上ウィマラ 監訳/中川吉晴+浦崎雅代+白居弘佳+小木曽由佳 訳/大井玄[序文]

先月、10月17日に復刊、されました。当日、井上ウィマラ先生と浦崎雅代先生との復刊記念トークイベントでの対談もオンラインで視聴させていただきました。

そして、私ごとではありますが、今月初旬、つい先日のことですが、父を一人暮らしの自宅でみとりました。
およそ20年ほど前になりますが、父が定年退職後に脳出血で倒れてから、私が結婚する前までの数年間、私は父と2人で暮らしていました。

幸い後遺症などもなく回復しておりましたので、15年ほど前、私の嫁ぎ先の家に近いところへ引っ越してもらって、父は一人暮らしをするようになりました。そこから、毎朝かかさず(いや、もちろん忘れている日も多々ありましたが笑)電話で安否確認をしつつ、父の様子を見ながら過ごす生活が始まりました。

父は私が子どもの時から料理をする人でしたから、自分で料理をして食べることができていたので、私はそこまで父のことを心配することなく生活することができていました。
時々、体調を崩すことはありましたが、その都度病院へ連れて行ったり、時々差し入れをしたり、一人暮らしの様子を見守りつつ、サポートしつつ過ごしておりました。

父が80代になってからは、一人暮らしもなかなか困難なことが出てきて、1ヶ月のお金のやりくりができにくくなり、私が通帳を預かることになりました。
それでもなんとか1人で生活していましたが、今年の5月に癌の手術をしてからは、在宅介護と在宅看護のお世話になりつつ、それでも数ヶ月は自分の足で行きたいところに自由に外出することができる、という生活を送っていました。

9月、体のしんどさを訴えることが多くなり、まずはお風呂に入る体力がなくなっていきました。外出する頻度も徐々に少なくなり、食欲も落ちてきました。
10月に入り、いよいよ歩くことがしんどくなってきて、外出ができなくなりました。
そこからは本当に早いペースで、トイレにも歩けなくなり、一日中ベッドで過ごし、10月下旬には起き上がることができなくなりました。

11月に入ろうとする前後に、父は自分の死期を自覚したようでした。もうすぐ死ぬのだ、と。ただ、死を受け入れているというよりは、「死にたくない」という気持ちに気づいた、そんな感じがしました。
亡くなる数日前に、もうすぐ姉妹が来ることを伝えると、「間に合わんかもしれん。」という言葉があったり、、
ある時、父のいる部屋に入ったら、必死に私に電話をかけようとしているのにかからない、という状況の父が、「苦しい、電話がかからない、ボタンがわからない。」と。
そんな父の姿を見て、父とただ一緒にいる時間を長くしようと、できるだけ一緒にいてあげようと思いました。

今までの父は、
「よく生きたよな、こんなに長生きするとは思わなかった。」
「今まで一人暮らしが長かったから、寂しくはない。」
と言っていて、今までの人生に満足して、自分の死を受け入れているかのように聞こえていましたが、
亡くなる1週間ほど前からは、
「死にたくない、んやろな。」
「1人の時に死にたくない。」
と、心が変化していました。正直に素直になっていきました。そうならざるを得なかったのかもしれません。

このように弱っていくスピードが速い父を前に、私は「死にゆく人と共にあること」という本を読み進めてはいたものの、途中からは本を読む余裕さえなくなり、夜、父のところへ行っては、昼間少し寝る、合間に家族の世話や仕事も少々、といったハードな生活。
もちろん父の死にゆくスピードが早過ぎて、そんなハードな生活も長くは続きませんでしたが、途中から姉が来てくれて、夜ぐっすり眠れるかと思いきや、父のことが気になりやはり眠れず😂それでも少しは眠れましたが、、結局は全て読みきる前に父のみとりをすることになりました。

人はよく私に「良き死」を迎えるとはどういうことなのかと尋ねます。しかし、根本的楽観主義の見地からすれば、良い死も悪い死もないのです。死にゆくプロセスと共にあることは、ただ死にゆくプロセスと共にあるということです。それぞれの人が自分なりの死に方をします。何も考えを抱くことなく、結果に執着することもなく、根本的楽観主義をとるケア提供者は、じっと見守り、恐れのなさを提供します。これについて、禅の古い言い方では、「まっすぐな釣り針で釣る」と言われています――その意味は、結果を期待してはいけないということです。最初も、途中も、終わりも、今に存在するだけです。

「死にゆく人と共にあること」

この本を読んで、父のお世話をしつつ、
ああ、私は父をみとりたい、いいみとりをしたいと思っているんだな、と感じました。
いいみとり。
って、なんだろうか、どういうみとりだろうか。
いろんな本を読んだり、文章を読んだりして思いましたが、
受け入れること、慈しみの心であること、
たぶん、そういうことなんだろうなあと思いました。
ただ、本当に気づかされたことは、みとりをしている私が、父に死を受け入れてほしいと期待をしていて、死を受け入れられない父を、私が受け入れられていないことでした。
そのまんま、ありのままを受け入れるとは、難しいことです。ずっとこれを学び続けることでしょうと思います。

最後の最後には、そのような父を受け入れていたとは思いますが、、
いや、受け入れられなかったかもしれないな、、
やはり幸福であってほしい、苦しまないでほしい、死を受け入れて楽になってほしいと、最後の最後までどこかで願っていた気もします。
「良い死」であってほしいと望んでいたのです。

そして、そんな私自身を受け入れる。許す。ことなんだと感じました。

結局は最後には、自分自身を許すしかない。

これもまた学び続けるんだと思いました。

私たちが苦しむと、他者も苦しみます。私たちの良好な状態は、他者にとっての良好な状態なのです。だから、あなたの心とつながる時間をもってください。というのも、禅の教えにあるように「あなたの心を気づかえば、世界を気づかっている」からです。

「死にゆく人と共にあること」

みとりの日の夜、私の目の前でまさに今目の前で死にゆく父を見て、私は驚きました。びっくりしていたのです。
ああ、本当に父は死んでゆくのだ、と。
頭ではわかっているつもりでした。ああ、もうすぐ父は死んでいくと。
でも実際にその時が来ると、理解できていなかったことに気づかされました。

びっくりして、そこで初めて、私は実際には父が死ぬと思っていなかった、ことに気づきました。
なぜかというと、前日の夜は生きていたからです。だから、今夜もきっと生きるだろうと思っていたのです。
そんな心を発見して、またびっくりしたんです。
死ぬと思っていたはずなのに、本当には死ぬと思っていないのだと。
あ、こういうことかと、思い知らされた瞬間でした。

今日亡くなる人のなかで、これが最後の日になるだろうと知っている人は、どれくらいいるでしょうか。プロジェクトを完成することなく、パートナーや子どもにさよならと言う機会もなく、友人を許すことなく逝ってしまった友人たちのことを、私は考えます。やはり私たちは、自分に死が訪れるということを、まだ信じていないのです。

「死にゆく人と共にあること」

しばしば、死と共にあることは、耐えがたいものや、受け入れがたいものを見守り、それを受け入れるということを意味します。

「死にゆく人と共にあること」

著者は、医療人類学者ですが、複数の禅師から法灯を受け継いでおられます。
この本には、いろいろな人の終末期の様子が書かれてありました。
この本を読ませていただきながら、死にゆく父に寄り添う、ということを実践させていただきました。
実際には、寄り添う、受け入れる、慈しみの心でいることができたかできなかったかと言えば、やっぱりできていないことも多かった、というしかありません。もちろん、できていた瞬間も多かったと思います。
この、寄り添うこと、受け入れること、慈しみを実践することとは、私自身の心と正直に向き合うこと抜きにはできず、現実的には慈しみを100%持つことができない自分自身を受け入れていくこと、このことがとても大切だと学びました。

私が死にゆく人びとにかかわるなかで学んだのは、死への道は、どんなときも比べようのないものであるということです。私たちがそれぞれのやり方で生きていくのとまったく同じように、私たちはそれぞれのやり方で死んでいきます。しかしそれでも、死に取り組むことの難しさのなかには、決まって共通の根、 恐れという根が存在します――それは、変化に対する恐れであり、自分の分離した自己と、自分が所有していると思っているすべてのものを失うことへの恐れであり、未知の領域に入っていくことへの恐れです。つぎに見ていくのは、死と死にゆくことに対する六つの共通した反応です。これらを探っていくなかで、「まちがった」 死に方など存在しないのだということ、また、どんなに難しい状況にあっても解放を見いだすことができるということがわかるでしょう。

「死にゆく人と共にあること」

そして、様々な死があるということ、一人一人違うということ。また誰もが死を恐れている、という言葉に触れて、死にゆく人を前に謙虚にならざるを得ないのだと教えていただきました。
どのような状況も受け入れざるを得ないのだと理解すること、このようにも学びました。

あまり私の思いを書いてしまうと、よくないなあという気もするのですが、今まで私に身近だった人々の死に触れてきて、またこの本も読ませていただいて思ったのは、一人一人生き方が違っているように死に方も違いますし、生死を知っていると思い上がっている自分を思い知らされる、謙虚にさせていただく、身近な死とはそんな経験をさせていただくものだなあと、そんなふうなことを思いました。

色々書いちゃいましたが、、
もちろん、死にゆく人と共にある人、におすすめの本です。
介護職や看護職、の皆様にもおすすめの本だと思います。
ご興味がある方は、是非ご一読を🙏

生きとし生けるものが幸せでありますように

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