【閲覧注意】本当はライブなんか出たくなかった。
先に言っておく、お前ら活動者に夢を見過ぎるなよ。
あいつらカスだぞ。
どうも、お久しぶりです、私です。
1月7日、ライブ前日の深夜3時にこの文章を書いています(寝ろ)。
今日は最終リハです(寝ろ)。
今日上げる動画の制作作業もあります(マジで寝ろ)。
いや寝ないが。
せっかくなので、記念にこの文章を書き終わった時間も最後に書いておきます。
ていうか、こうやって文章を書くのが久しぶりすぎる、最後に書いたのなんだっけ、あ、インタビューの時か。
『A』BYSSの事だけめっっっちゃ語って、その後飽きてクソ適当に書いたやつ。記者さんには申し訳なかったですけど、あれ、自分らしさが出ててめっちゃ好きでした()。
さて本題ですが、
私はライブというものが大嫌いでした。
嫌いというより、関心が無くなったと言った方が的確かもしれません。
私は今でこそ『KnightA』という、キラキラしたカッコいいグループで活動させていただいでいますが、活動のスタートはどこにでもいるような、The・歌い手に憧れる少年でした。
趣味の一環でニコニコ動画やこえ部(今は閉鎖した、ドンマイ)に歌ってみたを投稿して、「投稿した」事でThe・歌い手と同じことをしているという、活動者になったような満足感を得られるというヤツ(辛辣)(だからこそ私は、リスナーにこれを活動経歴にカウントされるのがむずがゆい)(だったら早く活動経歴の定義を決めろ)。
辛辣ではありますが、これはこれでとても幸せです。
数字も何も気にする必要無く、誰にも比較される事無く、ただ自分の好きなことに浸れる。
なんならこれが、「好きな事」に対する正しい向き合い方な気さえします。
まあそんなこんなで、大学に入っても趣味で投稿を続けていたワケですが(ちなみにこれで私の大学生活は崩壊しました)、
ある日TwitterのDMで、「ライブに出演しませんか?」というお誘いが来ました。
スゲェでしょ。どや。
そんなことはない。
これ、全然スゲくないんです。
というのも、当時の「歌い手」のライブ形式って、今と全然違っていたんですね。
今だとソロワンマンやるか、グループを組んで皆で協力してライブを作っていくのが主流だと思うんですけれど、
当時なんて言うんだろう、対バン形式?みたいな感じでした。
主催者が片っ端から「歌い手」に声をかけて、人数集めてそいつらが自分の歌いたい曲を持ち寄ってやる的な。
歌い手全盛期、今と比べて規模は小さかれど勢いがあったこともありますが、ニコニコ動画にはYouTubeと違って、歌い手カテゴリがあって固まりやすかったっていうのも要因の一つかもしれませんね。
そんな感じで、主催者も箱押さえて人数集められれば誰でも出来るし金稼げてサイコー、演者も気軽にライブに出れて活動者感得られるしお金貰えるしサイコー、みたいな感じで、そういったライブがめちゃくちゃ乱立していました。
(え、てか、この文章だけ後から差し込んでるけど、この時代を変えたのって多分、もりさんないしすとぷりじゃね、感謝した方がいいよ。)
ふと思ったけど、今でもこういう形式のライブってあんのかな、
いやどっかにはあるだろうな、あったらごめんなさい。
まあいいか別に嫌われても。そもそも俺がお前ら嫌いだし。
あ、てか現代も残ってる一番近い、似たようなやつあるじゃん。
メン地下だ()
ってことはメン地下好きな方には失礼な話になるかもしれませんが、ほぼ自分が通ってきた道なのでご容赦ください。
って言っても、結構楽しかったですよ、最初は。
当時の自分の規模と同じような、ほぼ趣味と変わらないレベルの自称活動者たちで行う、オフ会レベルのライブ。
全員陰キャがアングラインターネットの流行りに乗っかったような奴等&全員年上なので、その中でも見た目が良かった自分(死ね)は大層良く接していただきました。
嫌な言い方をしてしまいましたが、普通に楽しかったです。
そもそも同じ趣味の人間とコミュニケーションが取れるだけでも、楽しいものでした。
しかし先程書いたように、ライブというものには必ず、お金のやり取りが発生します。
そして、こういうライブの主催者は、
経験上、大抵が守銭奴です。
私は最初に誘っていただいたイベントに定期的に出演していたのですが、
その過程でほぼ全員の出演者、そして主催者とも仲良くなりました。
そしてしばらくそこでライブを続けていると、その箱でズバ抜けて見た目が良かった為か(死ね)、主催者から私を専属アーティストとして迎えたい、育てたいと言われました。
他にツテもなかったし、丁度この界隈でやっていきたいと思いだした頃なので、私はそれを承諾しました。
専属アーティストとして育てていかなければならない、ということで、ボイストレーニングを受けさせたい、と言われました。
私は「めっちゃ手厚くしてくれるじゃんサイコー」と思いました。
そして車で運ばれ、結構いいトコらしい場所でボイトレを受けました。
初回ということで、発声練習を受けました。
まず最初にどの高さまで声がでるか音域チェックをやらされ、
その次に発声練習を20分程やらされました。
その後もう一度音域チェックをやらされ、「ほら、発声練習するだけでこんなに変わるでしょ?」と言われました。
私は「いや当たり前だろ」と思いました。
そして初回は終わりました。
そんな人生初のボイストレーニングは30分20000円でした。
支払いは私持ちでした。
私は「草」と思いました。
それ以降ボイストレーニングに行くことはありませんでした。
またしばらく経ったある日、
主催が「フェスがやりたい」と言いました。
向上心があっていいことです。
「フェスの会場借りるお金はどこにあるんですか」と私は聞きました。
「港の駐車場と船を借りた。そこでライブをする」と返ってきました。
チャレンジ精神があって良いことです。
私は逃げました。
後日そのイベントの対応が悪過ぎて炎上、チームは解体されたと聞きました。
ドンマイ。
とまあこんな風に、私が関わった記念すべき初のイベントの思い出を懐かしみながら振り返ったのですが、
そこから先は似たような声のかかったイベントに、とにかく出演する日々でした。
月3か4、毎週地方から東名阪まで夜行バスで移動し、そこでライブをするのです。
ライブは場数とか、下積み時代とか言いますが、
もしこれを見ている、令和に至っても同じような事をしている活動者がいらっしゃれば、言っておきたい事があります。
これはマジのアドバイスです。
そんなことをしている暇があるならネットの活動をしろ。
色々経験してきた私ですが、
この時代で私が得られたものは無いと思っています。
インターネットの活動に力を注いでいた方が千倍マシです。
とまあ、そんな感じで、1年ほど毒にも薬にもならない活動(笑)を続けていた日々でしたが、
ある日良くしていただいていた先輩から「俺の出ているライブに出ないか」と誘われました。
これは先程紹介したライブ()よりはまだ全然マシで、当時で言う中堅歌い手の少し下くらいかな?が集まって行う、そこそこ名のあるイベントでした。
あの時の自分からしたら、願ってもないお誘いです。
歌い手もどきから一端の歌い手にランクアップするようなものです。
毒にも薬にもならない活動(笑)も実を結ぶものですね。
そんな憧れのまともな初舞台(たしかクリスマス前後だった気がする)、自分以外全員が恰好良く見えました。
当時の自分の感性と耳は大したことなかったと思いますが、そこから見たライブのクオリティは流石合同ライブ世代の第一線、今まで自分が出ていたものとは格が違うように見えました。
伴奏もカラオケ音源ではなく生演奏です。キャパも3倍?5倍?すげぇ~。
みたいな感じで大興奮だったので、先輩方の顔に泥を塗らないようにするのに必死だった記憶があります。
そんな健気な態度と実力と可愛い後輩感(死ね)のおかげか案外そこでも気に入られて(死ね)、そこから関わる人間がその周辺へと変わっていきました。
晴れて認められてステップアップです、よかったね。
そこからはようやく、一端の歌い手を名乗れるくらいにはなったのではないでしょうか。
あ、今更だけど、これは当時の時代背景と、自分の価値観での感じ方ですからね。
今は歌い手なんて、YoutubeかTiktokに歌あげたら十分名乗れると思います(今更すぎるフォロー)。
さて、そんな感じで、新しい界隈で一生懸命に最年少をやっていた私ですが、
ある程度時間が経って、場数も増えて、関わりも増えてしまえば、当然憧れの目線だけでは見れなくなってしまいます。人間は慣れる生き物です。
ありのままの姿も目に付くようになってしまいます。
先輩後輩といえど、ある程度ラフになった関係で目に入ってくるのは、
札束を数えて(ちなみに、この辺のライブやる人間の主な収益はチェキです)、「今日ヤバかったわー」「今日渋すぎ」と話しながら楽屋に戻ってくる姿、「誰々とヤった」「何処何処でヤった」といったセックスの自慢話、リスナーとの繋がり自慢。
(ちなみに一応ですが、これでも相当マイルドに書いてます。)(流石に全員ではないですよ)(9割です)
言って自分も同じ畑の人間、同種だし、そもそもご存じのとおり、マトモな人間でもないので、あまり上から偉そうに言うのもなんなのですが、それでも流石に「俺が目指してたのってこれか」となりました。
今では配信で、普通に後ろめたい部分も普通に話す上で、
「全活動者が全部曝け出したとしたら、絶対俺はマトモな方」
と言っているのは、基本的にこれが原点です。
対バン形式のライブを経験していた人間で、マトモな人間性を持っている奴は、自分を含めてほぼ居ないと思ってます。
違うというのであれば、そいつが潔白を証明しないといけないとまで思っています。
自分のライブへの苦手意識が生まれたのは、多分この時じゃないでしょうか。
それと、この界隈を見限った時のこともよく覚えています。
上の件からしばらく経ってからの事ですが、「すとぷり」の概念も広まって無かった頃にもりさんから声をかけていただき、
しかしまだ出演の決まっているイベントも合った為、掛け持ちのような状態で活動している時期がありました。
その時はまだ「固定のメンツでライブをする」という形式はあれど、「歌い手でグループを組む」という概念も無く、「アイドル路線」の活動者も居なかったので、かなり色モノ目線で見られていた記憶があります。
そして比較対象が生まれた為、自分達が硬派な活動者だと錯覚したのか、界隈を掛け持ちしている期間はよくイジられました。
「え、最近どうなん?(半笑い)あのなんだっけ、すとぷり?(半笑い)いい感じなの?(半笑い)」
この瞬間でしたね、見限ったのは。
これを言われた瞬間から「こいつらはいつか超えよう」と思いました。流石に忘れられません。
とか思ってたら結構秒で超えてました、凄いですね(他人事)。
どの世界も同じです、古いものは淘汰される。
どちらが正しかったか、時代が証明した訳です。
ざまあみろ。
とか思ってたら、しばらく後に自分が炎上しました。アホ。
さて、それからソロの身になって、何ヶ月か経った頃の事です。
次の活動をどうしようかな、と考えていました。
しかし今更、今までと同じように、他のライブイベントに出るモチベなど、どこにも持ち合わせていません。今更興味も湧きません。
そこで個人でネット活動に、あくまで趣味の範囲で勤しんでいたのですが、そんな自分にも良くしてくれる後輩が何人かいました。
昔の関係の活動者、あるいは他の界隈から、ある程度の知名度と箔を持っているように見えたのでしょう、会わないか、一緒に何かイベントやらないか、という連絡が大量に来ていましたが、
なまじその界隈に長くいた分、内心を察せてしまってうんざりしていた私には、何も関係なく、メリット無しで裏で仲良くしてくれるその子達は大変貴重な存在でした。
その分何か返してあげたいな、喜んで欲しいなと思い、その子達と一緒にイベントを打つ事にしました。
もちろんその子達は活動者としては駆け出しも駆け出しなので、集客など、ライブに対して貢献出来ることはありません。
実質、ほぼ一人で回すことになります。
しかしこちらはそもそも、今だから言えるけど、自分のライブに対するモチベは大してなかったので、この子達が頑張れるきっかけになれば別にいいか、の精神で進められました。
なんだこの良い奴は、誰だ、俺だった。
ですが今まで後輩側で生きてきたライブ界隈、よく考えたら先輩側でまとめて動かすのは初めての事です。
思っていたよりかなり苦労しました。
あれやこれやと今と違って足りない頭を回し(今も足りてないが)、当時の自分のリスナーも足を運んでくれて(ありがとうね本当に)、なんとかですがライブの体裁を保つことが出来ました。
気を張っていた私は、ライブがつつがなく終わりを迎える頃のラストMCで、流石に感極まって泣き出してしまいました。
初めての他の人間を抱えたイベント。責任と重圧感からの解放。興味がないだのなんだの言っておきながらも、なんだかんだ久しぶりに見れた、リスナーの喜んでくれた顔。
ライブがつつがなく終われるように、気を使いながらですが、
ポツリポツリと、その時の心情と感謝を語っていました。
当時は全く本心を出せなかったのですが、おそらくその時初めて、拙い言葉で気持ちを届けようとしていました。
当時のリスナーも耳を澄ませて聞いてくれていました。
客席の右側から笑い声がしました。
横を見ると、後輩の一人が変顔を見せていました。
俺のリスナーに対して。
死ねよ、と思いました。
心がグチャグチャに潰れそうでした。
必死に普通の顔を作ってライブを終わらせて、その後裏で一人で号泣しました。
生まれて初めて嗚咽を漏らしました。
その後本人に「あれは一体どういうつもりだったんだ」と問い詰めました。
意識が足りなかったでも、調子に乗ってしまったでもなんでもいい、
何でもいいから理由が聞きたかった。
その答えは返ってきませんでした。
返ってきたのは「いつも集合時間が遅かった」という逆ギレでした。
それは全て、自分一人で他方面との打ち合わせに使われていた時間です。
人間とは、ここまで何も伝わらないものなのか、と思いました。
その後は「意味が分からない」と泣きながら言い続けた記憶しかありません。
返ってきた言葉は全て「でもいつも集合時間が遅かった」だけでした。
活動者としてのライブのモチベーションも無く、
身内に対するモチベーションも無くなり、
そこから先は完全にライブが好きではなくなりました。
インターネットは好きなので、ネットで活動できれば充分、けどライブはもういいかな、
といった感じでした。
「KnightA」に誘われたのはこの後の事です。
これも今だから、そしてここまで書いたからやっと伝えられる事なのですが、「ネットで面白い事をしたい」というモチベーションは辛うじてあれど、「ライブ」に対するモチベーションは正直、特にありませんでした。
別に反対する理由もないから全然やるし、ご存じの通りナイトのメンバーはいい奴ばかりなので、言っても普通に楽しかったのですが、
今思い返せばどこか、「ナイトに居る為にやっている」という要素が強かったように感じます。
「ライブ」でどうこうしたい、と言うより、ただ単純に、この人達と一緒に活動していたい、居場所が欲しい、と思っていたような気がします。
もしかしたらそこには、「リスナーの為」と言う気持ちを挟む余裕は無かったのかもしれません。
これが、今までの自分の、ライブに対する考え方です。
申し訳ありませんでした。
・・・だけで終わったら、
マジでコイツなんなんってなるじゃん?
ここまでは前置きでしかない。
ここからが今、
現時点で、
リアルタイムで、
こんな所まで、
こんなクソ長い文章を、
読んでくれるような物好きに伝えたかった事です。
正直、「ライブ」というものに対して、自分自身が持っている価値観は
さほど変わっていません。
というか、ここまで読んでくれたお前なら理解してくれるとは思いますが、
こうやって作り上げられてきた価値観は、今更そう簡単には変えられません(変えようと思ってはいますが)。
ですが、周りの影響で変化してきた今までと違って、
2022年、初めて自分の生き方を変えました。
ドロドロした部分も、汚い部分も、怒りも嫌な事も過去も、なるべく共有するようにしました。
そうしたら、今までの自分とのギャップで離れた人も多いですが、そんなものは別にいい、
自分にとって一番、何よりも欲しかった、今まで話せなかった、決して万人向けじゃないのに、頭のおかしい自分の心に寄り添ってくれる人たちが集まってくれました。
だからライブをやりたくなった、なら美しいんですけど、
自分は面倒くさい人間だと自負(&他負)しているので、これだけだと自分が納得できる理由として弱いです。ごめんね。
こういったドロドロを表に出す人間は少ないので、物珍しさで見る人間も多かったです。
だから、ナイトの一員としてちゃんと頑張りたいという理由ももちろんありますが、
今日までこういった心情の話はなるべく表に出さず、自分流にいえば「ちゃんとした活動者」として活動してきました。
自分自身がそうしたかった。そうなりたかった。
自分のこういう考え方を発信する事で救われてくれていた子達にとっては、ある意味どこか物足りない、俺を遠く感じてしまう日々だったかもしれません。
だけどそれでも、俺を見続けて、好きでいてくれて、俺が俺なりに頑張ってる事を分かってくれて、追いかけ続けてくれた子達。
そんな奴、普通に生きてて何人出会えるんだよ。
流石にお前らの為だったら、俺は命賭けられる。
今はもう懐かしいお話会、これも初めてでした。
「絶対頂点まで押し上げる」
って言ってくれた子が沢山いました。
ネットでもそう思ってくれている子が沢山居る事、
めちゃくちゃ実感してるよ。
本当に心強い。
お前がもっと輝いて欲しいって思ってくれるから、
俺はやっとこのクソ重い足を上げられるし、
もっと上に行って欲しいって願ってくれるから、
俺ももっと凄い景色をお前と見たいって、
こういうの、みんな当たり前のように言うけれど、
それを心から言うのは俺には凄くハードルの高い事で、
それでもやっとの事だけど、そう思える。
ここまでついてきてくれたお前、
ここまで来たんだ、
もう今更だろ、
絶対俺の手を離さないでくれ。
お前は俺が、命に代えても幸せにしてやる。
そして、最後になりますが、
俺と似たように(なるべく似ない方がいいが)(でもこういう奴はどうしようもないよねb)、
何かしらの不満、生きづらさを感じてる奴
大抵の原因は他人の不条理でしかない。
変わる事が難しいのは俺が誰より分かってるけど、
けど俺だから言える、俺にしか言えない。
一線さえ踏み越えればあとは進むだけだ。
自分が変わりたい事に、好きでもない他人を気にする必要はないよ。
お前の心の幸せを誰より願っている。
以上。
あ、
で、今何時だっけ
確か書き始めたのが3時で
今が7時半。
草。
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