バレンタインの話
バレンタインが来ると思い出すことがある。
中学生の頃、友人の家でチョコレートを作っていた。作っていた、と言っても溶かして固めるだけの手作りとも言い難いアレだ。お菓子作りのスキルを持っていなかったので、バレンタインデーと言えばそれが定番だった。
溶かした熱々チョコレートをジップロックに流し入れ、そのまま冷凍庫にぶち込んだ。今考えるとめちゃくちゃ危ない。よく火傷しなかったと思う。そういう悪運だけは昔から強い。
片付けをし、遊んでいたら数時間経っていた。ハッと気づいた誰かが言う。チョコ固まったんじゃね?
全員、我先にとキッチンへ走った。
まず確認したのは冷凍庫だ。ハートの型に入れ、冷蔵庫で冷やしているチョコレートのことは忘れていた。そもそもそんなものを本当に作っていたのかすら危うい。でももし作っていなかったとしたら、市販のチョコレートをただ溶かしてジップロックに入れるという、なんらかの拷問を受けている人間の集まりになってしまう。中学生とは言えさすがに頭が悪すぎるので、多分ハートのかわいいチョコレートも作っていたのだろう。
冷凍庫から取り出したばかりのチョコレートはもちろんカチカチで、確か包丁でも切れなかったんじゃないかな。まず袋から取り出せなかった気がする。ジップロックという文明のお陰か空気という空気が抜けていたので、ミチミチになったチョコレートだけがそこにあった。
集まっていた友人の中に、チョコレートというか甘いもの全般が好きな人物がいた。仮に川田としよう。川田はオタクで、当時深夜に放送されていた「涼宮ハルヒの憂鬱」にハマっていた。月曜日は髪を結ばない、火曜日は一つ結び、水曜日は二つ結び……と涼宮ハルヒが作中でやっていたヘアアレンジで登校し、「敬語が癖なんですよね」と常に古泉一樹の口調で喋っていた。
ジップロックの中で動けずにいるチョコレートを見て、川田が言った。「このまま齧っていい?」。自分も他の友人も二つ返事で快諾した。袋から出せない時点で諦めていたのだろう。
袋を破るか溶かすかして、チョコレートを取り出した。ソフトボール大のチョコレートの塊。甘いものが好きだった川田にとっては宝石のように見えたのだろう。川田の嬉しそうな顔を見て、自分も嬉しくなった記憶がある。
「いただきます」。ニコニコの川田が大きな口を開け、チョコレートに齧り付いた。瞬間、吐き出して口元を抑えた。
前述した通り、空気という空気が抜けたミッチミチのチョコレート。しかも冷凍庫でキンキンに固めてある。
そう、耐えられなかったのだ。川田の歯が。
「歯、欠けた」。そう言った川田の手のひらには白い破片が残されていた。鳥頭を自負しているが、その映像だけは今でも鮮明に思い出せる。
それまで騒がしかった友人たちが嘘のように静まり返って、次のときには爆笑していた。チョコレートを食べて歯が欠けるなど普通は一生ない経験だろう。
書いてみるとなんてことない、中学生がバカをしただけの話だが、当時の自分にとってはすごく衝撃的だった。あの事件がなければ、溶かして固めたチョコレートが人類を脅かすほど攻撃力の高い武器になるなんてことも知らなかっただろう。
余談だが、余ったジップロックのチョコレートは川田が持って帰った。欠けた歯と共に。懲りろよ。
そんな川田は去年ついにハルヒの聖地を巡礼したらしい。
川田の幸せを願う。