見出し画像

書き残す

今は2020年4月10日の昼間。

世界がコロナウイルスでたいへんなことになっていて、日本では先日「緊急事態宣言」が出され、飲食店やショッピングモールは1ヶ月の休業が決定して、夏までずっと入構禁止なんていう大学もあって、ていうかそんなことより病院のベッドが足りなくなったりしているとかしていないとかで、もうとにかくやばい。


今って、きっと数年後には歴史の教科書に載るんだろうし、何年何十年何百年後も、人類が存在する限り、世界大戦やいろんな歴史と一緒に多分ずっと語り継がれるハンパない時代。

わたしが小学校で習った産業革命のような、歴史上の「これをきっかけに世が変わった!」みたいなやつに「新型コロナウイルスの流行」も間違いなく加わると思う。



東日本大震災が起こったとき、わたしは中学1年生で、教室で英語の授業を受けていた。

やや強くて長い地震がきて、たぶんみんな避難訓練でやったことを実践する時が初めて来たことに少し興奮気味で、隣の子とニヤニヤ顔を見合わせたりしながら机の下にもぐった。

しばらくして地震がおさまって、先生がテレビをつけると津波がリアルタイムで写っていた。

英語の先生はすっかり地震と津波に気を取られて、その日の宿題を集めるのを忘れていた。
当時のわたしはいつも必ず宿題をやる子供だったのだけれど、その日はなぜだかたまたまやっていなくて、先生が宿題の回収を忘れたのでラッキー!と思っていた。


中学1年生は物心がついていて、自分の頭で物事を考えることができる年齢だと思うけれど、あの時はどれだけ大変なことが起こっているのか、よくわかっていなかったと思う。

当時のわたしはわかっていると思っていたかもしれない。

でも中1のわたしは、被災地にいる人たちがどんな思いをしているのだろう、大切な人の安否が分からなくて震えていたり、大切な人や物をなくして絶望していたり、大切な人を守るためにこれからどうしようかと途方に暮れていたりするのだろうか、と考えたり、そういう人たちの状況や気持ちを想像して辛い気持ちになったりする能力をまだ持ち合わせていなかった。

そういう人たちがたくさんいることは頭では理解していて、道徳心や常識から募金をしたりニュースを気にしたりできることはないかと考えたりはしていたけれど、やっぱりわかっていなかったと思う。


今のわたしは、もし今あのような震災がわたしの住む地域で起きたら、あの人やあの子や彼や彼女の身にもし何か起こったら、と考えるだけで不安に襲われ、できる対策はしなければ、と思うし、みんながこれからもずっと無事でいてくれることを願わずにはいられない。

そして実際にそういう状況にある人たちのことを考えて心を痛めたり、十分でない制度に怒りを感じたりもする。
(被災地の方々からしたらわたしの考えなんてまだまだ甘くて軽いものだろうけども)


しかし中1のわたしはそこまでの感受性もまだ持っていなかったと思う。

だから、その日から毎日むずかしい顔をしている母が、なにか使命感に駆られている様子の母が、すごく嫌だったし、このムードはいつ終わるのかしら、とずっと思っていた。


あの震災の数日後、学年主任の先生が、学年の生徒全員に「今みんなが経験していることを忘れてはいけない。今感じたことや考えたことを書き残しておいた方がいい」と言って、原稿用紙を配った。

何を書いたかあんまり覚えていないけれど、「テレビに写っている津波が現実のこととは思えなくて、よくわからなかった」とか書いたと思う。

まあたぶん当たり障りのない、震災で直接は大きな被害を受けなかった地域の、人並みにショックを受けた優等生な感じの作文を書いたと思う。超優等生だったし。


ひとつ確かに覚えてるのは、それを一体なんのために書き残さなければならないのか、よくわからなかったこと。

悪いことが起こったときには教訓とか対策とか、そういうのが必要だということはもちろんわかる。

でも今回の震災で、大した被害もなかった地域の、わたしのようないち中学生の「感じたこと」を一体なぜ残す必要があるのかしら?



それから10年近い月日が経ち、いち中学生がいち大学生になったあるとき、世界はコロナウイルスで、(ボキャ貧で「大変」「ヤバい」という形容しか思い浮かばない)とにかく大変な時代になった。


バイトも飲み会も旅行も就活のイベントも全部なくなって、お家にこもること、今日で14日目。

あのとき先生が中学生たちに書き残させたように、わたしも今感じてることを書き残さねば、と思った。


こういうヤバいことが起こっている時代に、感じたことや経験したことを書き残すことが必要であることの明確な理由は、大学生のわたしも正直はっきりとは説明できないけれど。

でもあの時は先生から言われて、なんで?と思いながら無難な作文を書いたけれど、今は自発的になんとなく、書こう!と思った。
だからたぶん書き残すことの重要性というか、必要性というか、そういうものがあの時よりかはわかるようになったんだと思う。

それはべつに、コロナに関わらず。

わたしの、毎日が楽しくて楽しくて仕方なくて、酒飲んで遊んでSNSして、早く大人になりたくて、未来に希望を持ちまくっている能天気な若者時代の、アホ大学生(大学生が人生で1番アホだと思う)の頭の中を書き残しておいて、あとから読むの、たぶんめっちゃ恥ずかしいけど楽しいんじゃないかなと前から思ってた。

そしたらコロナ自粛でちょー暇な日々がやってきた。


というわけで書く!



追記 
わたしの駄文に「エッセイ」とかいう恐れ多いタグをつけていいものかどうか悩んだのでGoogle先生に聞いてみたら、「エッセイ:自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。」らしい。
一応「散文」も聞いたら「普通の文章」だと教えてくれた。
自由で気軽な普通の文章ってことならオッケーじゃん!と思ったので遠慮なくタグをつけさせていただくことにする。

いいなと思ったら応援しよう!