サンタクロースを信じて
子供最後の日。
大人になること、あんまり嬉しい事じゃない。
大人になんてなりたくない。
経験を積んでいくからこそ、新鮮なこともなくなる。曇った眼で物事を捉え、鈍い心で感じてしまう。
大切な人との時間も減っていく。いつか、近くにいる事が出来なくなってしまう。子供が幼い家族を見た時に、自分にもあの時間があったなと、尊くなって切なくなって泣いてしまう。あの瞬間はもう過ぎ去ってしまったから。
何者かになんてなりたくない、ただ心が素直に感じたことを大切にしたい。大人になればなる程、痛みにも幸せにも鈍感になってしまうのかな。だから、大人になるのは怖いと。そう思った。
…
昨日。サプライズで両親が会いに来た。
このご時世。夏休みの帰省を断念していたから。一層、両親が目の前にいるとわかった時は、涙が溢れて止まらなかった。
母が作った大好きなおむすびを食べて、父の淹れた珈琲を飲んだ。
母の作るおむすびは、大きな大きな鮭が入っている。おむすびが隠れる程の大きな海苔を巻く。
「海苔はね、巻けば巻くほど美味しいんだよ。だから海苔は、美味しいものを買うの。」母がよく言う事だ。おむすびを食べる度に、その言葉が脳裏に浮かぶ。自分でも同じように握ってみるけど、母のおむすびとは何かが違う。おにぎり専門店で食べるおむすびは芸術のように美味しいけど、、。
母の作るおむすびが一番だ。
父の珈琲。父は凝り性だ。
その一つが、珈琲を淹れること。
毎朝、珈琲豆を挽き、ゆっくりドリップする。実家にいた当時は、ブラック珈琲が飲めなかったので、父が特性カフェオレを作ってくれた。ブラック珈琲を飲める大人に憧れて、幾度か挑戦してみたが、やっぱり苦かった。
実家を離れた今、初めてブラックコーヒーが飲めるようになった。何故か突然飲めるようになったのだ。もっぱら喫茶店で頼むのは、珈琲。家で飲むのも珈琲になった。ただ、インスタント珈琲だ。だから、豆を引く音も雫の音もしない。粉とお湯を混ぜれば出来上がる。
母のおむすびと父の珈琲。
"思い出"というまでもない。日々の営みを切り取った"想い出"を語る上で、なくてはならないものだ。
そんなわけで、朝目覚めると、母の作るお味噌汁の香りと父の淹れた珈琲の香りがした。
10代のうちに、食べられることはないだろう。"想い出"を感じることはないだろうと思っていたけれど。
なんて幸せなんだろう。愛している大切な人がいること。あったかくて優しい時間があること。よく映画やドラマで、こんな場面はスローモーションになるけれど。そんな感じだ。大体、幸せだったあの頃・もう戻ってこないあの頃。と、回想シーンで使用されるから。なんだか怖くなってしまうけれど。
だからどうかずっとこの幸せがありますように。と
両親が帰路についた後、彼らからの手紙を読んだ。
「ママとパパは、あなたの一番の応援団」
今までの、想い出。今の不安な気持ち。
反対の感情や想い出がごちゃ混ぜになって。気がつけば、止めどもなく涙が溢れた。
あと何回、父と母に会えるだろう。あと何回、母のおむすびを食べる事ができるだろう。父の珈琲を飲む事ができるだろう。大切な人と、大切な感情を分かち合えるだろう。もしかしたら、いつかこの感情すら忘れる時が来るかもしれない。
でも、この時間があったこと。
愛されていた。
その事実だけで、何があっても私は生きていける。
愛されていること。愛されていたこと。
その事実は、何も揺るがすことができない、大きな大きな原動力。この世にいる理由。になるから。
だからわたしも、
愛することができる。そんな人間になろう。きっとそれさえ出来れば。
透き通った眼で物事を捉え、透明な心で感じることが出来るから。
大人になんてなりたくない。それが、間違えだったと言えるように。
2021年9月6日