20240427

絵を描くこと、ギターを弾くこと、言葉を描くことが好きだった。
でも、その「奥」にはもっと細やかな世界が広がっていて、その「奥」も「奥」もあることを知った。だから。

そのことに嘘をつかず、言葉にして生きたい。こういう時、使っているMacはいつも「〜して生きたい」と変換する。面倒臭いなぁと思っていたが、「生きたい」という生存欲があるのだから、仕方ない。

子供の頃、チックがあった。
気になった体の部位に予備動作なしで急激に大きな力を入れ、持続させ、そして弛緩させる、というもの。
なぜそれをしたいのかは不明だが、それをしなければいられなかった。

そういう「司令」が降りて来ている、と言えなくもないが、それほどスピリチュアルな感覚があったは忘れてしまった。
とは言え、本当に制御が効かない訳ではなく、ある程度はコントロールできた。

実際に体にチックが現れるその前に、何かが起こっていた。それは脳で、あるいはもっと別の場所で。
そのことは子供ながらに感じていて、「動け」と思う前に何が起こっているのか、それを捉えたいと思っていたし、いつもそれを「狙って」いた。

じっと息を済ませ、しんと静まり返った後、急に飛び跳ねて倒れこんだりこたつを蹴り飛ばしたりしていた。怪我をすることもあって、首を痛めて何日も首を動かせなくなることもあった。

そういうことをしていた子供だったから、両親や祖父母は不審がっていたが、あまり何も言わなかった。寛容だったのだろう。

社会的には絵やギターをやれることの方が赤阪正敏らしくて、チックのあるこの存在は意味がわからないし知っている人もほぼいない。

だけど、どちらかというと後者の方がよりこの存在としての本質に近い。

本質に近づくために。

今自身はそのために、知識に触れ、それを生きようとしている。

そして自他のために、真実を生きることから逃げないでいようとしている。

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