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【ナヒレ決議】第十二話 浸食・少女・夢幻

 防御壁を破壊できると学習したローチは、次々とピギが避難させた人々を飲み込んでいった。花の都に、静寂が訪れる。侵攻するローチに対し、様々な結界をはったが、どれもこれもローチに飲み込まれて液状化していく。

「くそっ……!」

 ナヒレが、生命のバトンたるゆえん。それは、ローチの強さにあった。

「トレフブロンは……絶対に負けない」

 アニータが息を切らしながら、再び一つになったローチをにらんだ。

「絶対に、裏切らない!」

「エイ……」

 干川が、続いた。その声に気づき、アニータが振り返る。

「エイエイオー!」

「オー!」

「何を、のんきな……」

 アニータは戦闘機に降り立ち、グリーンとピギにも無理矢理号令を取らせる。

 笑顔。無理に作った笑顔。感情がついてこなくてもアニータは、それを崩さなかった。干川はそんなアニータを見つめた後、ローチを再び観察した。
人を次々と飲み込んでも、ローチは最初に訪れた時の大きさを変えていない。彼らは、どこに消えたのだろうか。

「ダメもとで行くぞ! おい!」

 と、アニータが再びローチに向かって砲撃を開始した。そして、ひっくり返った。

「アニータ!」

 慌ててピギが駆け寄る。明らかにこれまでよりも威力が強い。戸惑うアニータを横目に、グリーンがナヒレを確認する。

「おかしいな……もっとゆるい攻撃だったはずだけど……」

「ローチが苦しんでる! 今のうちに畳みかけろ!」

「う、うん!」

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 アニータが先制し、干川が援護する。

 その陣営で、ローチが少しずつ、後ずさりしていくのが分かった。効いている。このまま、人のない場所まで押し戻せれば。ピギにローチの退路を作らせた。まっすぐまっすぐ、海へと、近づいていく。

「ぶち込め!」

 アニータと干川が同時に射撃をしたことで、ローチの塊が一気に海に押し出された。スケルトンのローチが、みるみるうちに水に飲み込まれ、あがくように手を伸ばす。

「泳げないみたい」

「底は浅い。呼吸が必要でない物体ならすぐ上がってくる。用意しろピギ!」

 ピギが海岸沿いに巨大な壁を作り上げた。見上げても見上げても頂上が分からない壁に、干川達は思わず声を上げる。

「出力値の上昇……戦って、経験値が上がったからか?」

「んなゲームみたいな」

「でも、こんな壁があるなら、しばらくは……」

 壁の向こうからの音は、聞こえなかった。ローチは溶けてなくなったのか? ナメクジのように。

 グリーンがナヒレを確認していた。気泡の数が多くなっている。ローチが近づいたからなのか。試しに海から少し離れてみるが、様子は変わらない。

「別に強くなる分なら問題なくない?」

「馬鹿。出力値が上昇したってことは、下降することもあるってことだ。ナヒレが使えなくなれば」

「使えなくなるのが目標でしょ。あいつを倒してさ」

「それは、そうだけど……」

 グリーンが再びナヒレに目を落とすと、中の気泡が暴れるように増加したのが分かった。グリーンは戦闘機に搭載したレーダーを確認する。

「嘘、だろ?」

「何?」

「壁の向こうで……海が……。海が、消えてる」

「!」

 一同が壁を向く。そこには、いつのまにか大穴が開いていた。その先に見える、陸地。先ほどまであったはずの海が、その中心に立つ影を避けるように、無くなっていた。

「海を……飲み込みやがった」

「なんか、小さくなってない?」

 呆気にとられた、その時だった。ローチの影が、干川達の頭上に落ちる。見上げた瞬間、ローチの手が、それぞれの頬に向かって伸びる。

「い、いやあああ!!!」

 ローチの手は、海のように、冷たかった。

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 海、赤い海。桃色の幹を持った、樹々。これまで見たよりも、ずっと大きく見える星。揺れる草木、星の明かりに照らされた湖。横に座る……少女。青い目の、見覚えのない、少女。

「きっと、みんなが喜んでくれる。もう、争わないで済むわ」

 干川の言葉を待たずに、少女は笑った。

「どうしてそんな、ネガティブなの。あなたは、すごい力を手に入れたのよ」

 手のひらが、冷たくなる。目線の先には、自分の手。その手は、まばゆく光っている。

「こんな力、必要ない。必要であっちゃ、いけない」

 聞いたことのない声が、自分の口からこぼれた。

「ナヒレ、そんなこと、言わないで。あなたは、命がけでその力を」

「封じるためだ。力を。暴れる可能性のある、この、恐ろしい力を……」

 次の瞬間、目の前が暗くなる。手を伸ばしても、何も届かない。

 ナヒレ。確かに彼女は、そう言った。干川が、干川達が三か月間使い続けた、宝玉の名で、こちらに笑いかけていた。

 体全部が、冷たい。周囲を包む気泡がくすぐったいのに、どこまでが頭で、どこまでが四肢の末端なのか、分からない。干川はようやくそこで、自分がローチに飲み込まれたことを思い出した。

 声が出ない。ほかの三人は? 残された百人は、どこに行ったのか。

 誰か。誰かいないのか。干川は声にならない叫びをあげた。だが、声は現れもせず、気泡の音に体は包まれ、浮遊している。

 ローチに襲われ液体になった人間を思い出した。自分は、液体になってしまったのか。意志を持ったままで?自分はこれから、どうなるんだ。さらに冷たい体が、もっと冷たくなったように思える。

 怖い。怖い怖い怖い怖い。ありさ。ありさ、逃げてくれ。ここは危ない。地球は危ない。自分を置いて、逃げてくれ。ナヒレ、ありさを選んでくれ。命のバトンを断ったことを、この身をもって謝るから。だから、どうか、ありさを。

 光を、ください。誰か、希望の光をください。自分は、偽物の光だった。吹けば消し飛ぶ、考えの及ばない、弱火だった。すべてが巻き戻ってくれるなら、あの日に戻りたい。ナヒレを手にして、百人を選べと言われた、あの日に。

 そして、諦めてしまいたい。選択することも、世界を救うことも。ただ、ありさと二人で抱き合って、この世の終わりを、迎えたい。

「その気持ち……分かるよ」

 どこからか、干川に語り掛ける声があった。

「そして人はいつも、こうなって初めて気づくんだ」

 君は?

「いつも君の近くにいた。と言っても、少し前、三か月ほど前の話。僕の名前は、ナヒレ。馬鹿なことをした、遠い昔の愚か者だよ」

 ここは、どこなんだ?

「ここは、僕の体の中。君の仲間も、一緒だ」

 声が、聞こえない。自分の声も。

「魂が、溶け始めてる。もうすぐ、君の意識も消えてしまう」

 怖い。

「僕もだ。僕の中に誰かが入って、溶けてなくなる。そしてまた僕は、一人になる」

 どういうことだ?

「残り時間はない。説明している間に、君の魂が溶けきってしまうよ」

 教えてくれ。何も知らないまま、死ぬのは嫌だ。この外の、みんなを、ありさを、救う方法は、もうなくなったのか?

「分からない」

 どうして。君は、ナヒレなのに。

「僕の意志は、沢山の魂を取り込んでどんどん薄れていったんだ。この、記憶の海に、とけこんで、もう、分からない」

 僕は、君の記憶を見た。

「本当に? どこを通った?」

 分からない。でも、女の子が僕を、ナヒレって呼んだ。

「女の子……、僕の、星の子かな」

 それも、分からないのか。

「覚えてない。ただ……すごく、さみしい。どんなにたくさんの記憶を手に入れても、ずっと……空っぽだ。時間が経ってまた記憶が取り込まれたら、また、古いものから消えていくんだ」

 ……。

「ずっと、探してるものがあったはずなんだ。何かは分からないけど、ずっと、探してきたはずなんだ」

 君も、ローチに飲み込まれたのか?

「ローチ? ああ、あの怪物のことか……。ちがう、あれは僕だ」

 どういうことだ。

「あれは、僕だ。そのままの意味だよ。そして、力と魂が、今の僕だ」

 力。必要あっちゃ、いけない力。

「そんなことを、僕は言っていたのか?」

 君の記憶の中で。

 ナヒレは黙った。そして考えた。
 干川の意識は薄れ始める。もやがかかったように、さっきまで感じていた気泡の感触も、空気と一緒に、飛んでいく。

「君の記憶を、貸してくれないか」

 え?

「君が見た僕の記憶を、貸してくれ」

 そしたら、何か変わるのか?

「分からない。でも、さみしいのはもう、嫌なんだ」

 ――使ってくれ。君の記憶だけじゃなくていい。全部使ってもいい。それで、ありさが、救われるなら。

「約束はできないけど……分かった」

 浮かび上がったはずの気泡が、空から降ってきた。干川の意識を包み、泡立って、沸騰するように。でも、熱くはなかった。干川は遠のく意識の中で、聞いた。愛する人が、自分を呼び掛ける、声を。

 アニータは、コバルトブルーの空間に立っていた。会議室に戻って来たのかと、辺りを見回すが、机も、作ったはずの部屋もない。

「干川?」

 グリーン、ピギ、と、名前を呼び掛けるが、声は空間に吸い込まれるように、すぐに消えた。

 ローチに飲み込まれる寸前、ローチの顔に、自分がうつりこんでいた。

「どこ?」

 ローチはアニータの頬に触れて、そう言った。

「どこ?」

 ローチと同じように、アニータが叫ぶ。またしても、声は空間に飲み込まれていく。腹のあたりがざわついた。おさえようと思ったが、さっきまであったはずの足も、腕も、腹も、なくなっている。

 悲鳴を上げたが、今度は声が出なかった。

 助けて。助けて。誰か、ママ、ママ!

 それでも必死に名前を呼んで、思い出した。母を置いてきたことを。アニータが飲まれた今、彼女を避難させる者が誰もいないことを。

 どうして。どうしてこうなったの?

 アニータの問いかけに答える者はもういない。

 ヒーローになるはずだった。ローチを倒し、ナヒレを封印し、これまで通りの生活を手に入れたら、この戦いをコミックにして。馬鹿みたい、と、いつかできるかもしれない子どもに語ってみせるのだと、思っていた。

 その横には、ズールイがいて、ママがラザニアを焼いてくれて、嘘じゃないのよと、アニータに加勢してくれる。そんな未来を、望んでいた。

「君が、アニータ?」

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 声がした方法を、意識を使って全力で振り返ってみた。でも、姿はない。声だけが空間に、彼の分だけは吸い込まれずに、反響する。

 誰?

「僕は、ナヒレ。干川譲に君たちを探すように言われた」

 干川!皆どこにいるの?

「僕の中だ。君も、同じ場所にいる」

 意味、分かんない……。ナヒレって、あの玉と、おんなじ名前。

「そう、あれは、僕の力と魂の結晶。干川譲の記憶を使って、少し、思い出した。君は、何か見ていないか?」

 何か?何かって?

「僕の、僕の、記憶だよ。干川譲は知っていた」

 そんなの、見てない。見てなかったら、どうなるの。

「手掛かりが少なくなる。ここから君たちを取り出す手段が」

 出られるの?

「誰かが僕を使わなければ」

 どういうこと?

「僕の力は、僕に取り込まれたものの魂を使ってる」

 どういうこと?私が飲み込まれたのは……ローチだよ。

「干川譲もあれをローチだと呼んでた。でも、違う。あれは、僕だ」

 ナヒレがあなたで、ローチも、あなた?意味わかんない。

「だよね。ごめん、僕もまだよくわかってないんだ。僕が、体から力だけを抜き取ろうとしたら、魂も一緒に出てしまった。そのことしか、覚えてない」

 身体……?じゃあローチが、あなたの、体なの?

「そうだ」

 気持ち悪い。

「もとは、あんな見た目じゃなかったんだけど」

 ここから出して。

「その方法は今探してる。申し訳ないけど、今すぐには、出せない」

 ママが待ってるの。このままじゃ、ママがやられちゃう。

「記憶が溶けきっていないうちなら、まだ死んでない。僕に記憶を預けて。そしたら、きっと、救ってみせる」

 どうしてあんたのことが信じられるのよ。

「ごめん。でも、分からない」

 答えになってない。それに、ローチに魂がないなんて嘘。

「どうして?」

 どこ、って、何か探してた。呑まれる前に、言ってた。

「本当?」

 こんな状況で、嘘つく意味がどこにあんのよ!

「ならなおさら、記憶を貸してほしい。絶対、って言えないけど、頑張るから」

 頑張るって……神さまのわりに、てきとうなんだね。

「僕は神じゃないよ。君とおんなじ……生き物だ」

 神様じゃない、頑張る、生き物……。そんなの、信じていいのかな。薄れゆく意識の中で、アニータは誰かに抱きかかえられたような感覚に陥った。まあ、このまま消えるくらいなら。ヒーローだったら、きっと、こっちの道を選ぶんだろうから。

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