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【ナヒレ決議】第二話 慈愛・条件・余剰
彼らは干川にないものを、それぞれ持っている。
きっと自分たちが選ばれたのは、その性質が異なり、地球人をより多様に残すことができるからなのだろう。なら、自分にできることは何なのだろう。
照明がついていなくても明るい奇妙な部屋の中で、干川はじっと、何もない天井を見上げていた。
アニータとピギの声が聞こえる。
何を話しているのかははっきりと聞こえなかったが、もめているわけではなさそうだ。
そう思うとすぐに、干川の部屋のドアがノックされた。
「私」
ピギの声だ。
「入ってもいい?私一人だけ。少し話があるの」
干川は恐る恐る扉を開いた。ピギも恐る恐る、干川の部屋を覗いた。
あなたの部屋はシンプルなのね、と目を見開いて、一度部屋に戻って椅子を一つ、持ってきた。そこにはピギが座り、干川はベッドに腰を掛ける。ピギは、また家族の写真を抱えていた。
「さっきの、あなたの恋人のことなんだけど。フィアンセなの?」
「そうだね」
「なら、やっぱり救うべきだと思うの。迷っているならなおさら、愛し合ってるのなら、先のことは二人で考えて、支えあうことだってできるはず」
「……ピギは、すごいな」
「え?」
「愛してるとか、うちの国ではあんまり言い合わなくてさ。だから、本当に自分の彼女……。ありさが、僕と二人きりになっても生きてくれるかは、分からない。仕事が好きな子だし、子どもを持つかもわからない。いつも会うと、お互いの仕事の愚痴を言いあって終わりなんだ」
「心を開きあっているってことよ」
「そうだと思う。でも、それは僕が彼女と同じ条件だからで」
ピギはケニアで農家をしていると言っていた。都会に行くことはほとんどなくて、彼女の家の周りはサバンナのように開けて、草が生えているだけだそうだ。水を汲みに行くのは大変だけど、ナヒレがあれば、もう子どもたちに水を汲んでもらいに行かなくてもいいのね、と安心していた様子だった。
干川は違う。東京に暮らして、都会暮らしに慣れている。周りにはビルが立ち並んでいて、二十四時間営業の店もたくさんあって、お金を払えば、たいていのことはやってもらえる。そういう生活だった。
それはありさも同じだ。東京暮らしに慣れた自分たちが荒野に降り立って、ピギ夫婦のように暮らしなおそう、とは、簡単にいかない。
でも、その条件を言ったところで仕方ないのだ。彼女を置いて行ったら、彼女は怪物に食われて死んでしまう。
生きていればなんとかなる、と、ピギは言っていた。そうなのかもしれない。
でも…… 自分も不安でいっぱいなのに、さらに状況も分からずほかの星に立たされた彼女を想像すると、支え切れる自信がなかった。
「ならね、提案があるの。リストには、確定じゃないにしても、彼女を仮に置いておくの。最後の一人を選ぶとき、その人のほうが残すべきだって干川さんが思うのなら、やっぱり彼女は連れていく。そういうのは、どうかな…… 」
ピギの目は慈愛に満ちていた。心から、干川をおもんぱかってくれているようだった。
しこりが少し軽くなったような気がする。彼女を救うことで見捨てるかもしれない命や、彼女への負荷を少し減らせたような、いや、干川の罪悪感を減らせる、提案だった。
「ありがとうピギ。考えてみるよ」
ピギは、ただ口角をあげて微笑んだ。彼女の少し荒れた手が、干川の甲を優しくなでる。その手の動きは、思った通り、母親のぬくもりを持っていた。
連れていける人間の数は、残り八十九名、補欠要員一名 。
■
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次の議題は、アニータから提示される予定だったが、彼女はよくわからない、と答えた。
荒野に降り立って自分ができることと言えば、若さの力を使うくらいだ、と達観した意見を繰り出してくるのには、干川も驚いた。彼女もそう自分と歳は変わらないはずなのに、こうも主張がないものなのかと。半面、てきとうな性格とも言える。
「あとは、新しい街をかっこよくすることくらいかな。ここにいる人たちよりは、私のほうがセンスはあると思うし。薬とか食べ物とかはおしゃれじゃなくても、服とか、建物とか、そういうのってイケてるもののほうが、あっちに行った人も気分良くなるでしょ」
一理ある、とは思った。
干川がナヒレで作った部屋は贅沢を知らないピギでさえ驚くほど殺風景で、自分はここに暮らせないわ、と言われたのだ。
確かに、切羽詰まった状況で、さらにただ生きるための最低レベルの物資があっても、人は不安になってしまう。意見は言えなくても、あちらの星でアニータは大活躍するだろう。
「ナヒレにはどのくらいの物資を積めるんだ?」
「ナヒレが選んだ種族しか乗せられませんね。それは物質であっても同じ。ナヒレで再び作れば問題ないですが」
「てことは、真っ裸で乗らなきゃいけないってこと?面白い!」
「面白くはないでしょ……。赤の他人に裸を見せるなんて」
「これから新しい星の最初の人間になるんだから、もう家族みたいなもんでしょ」
「その通りだ。それに、裸が何だ。ヒト、ホモサピエンスは裸で生まれてくる。本来の姿であることに、何も恥じることはない」
「ベイビー珍しく味方してくれるじゃん」
「ファッションだのなんだの言ってたことに賛同はしてない。流行を追ったりして着飾る連中を見ると反吐が出るね」
「はあ~辛辣~。ベイビー絶対星に行ってもモテないね」
「余計なお世話だ!」
そうも楽観的に考えられるのか。ただ、乗れないのなら確かに仕方ない。アニータのようにすんなり受け入れられるほうが、この先、生きやすい。
「ああ、ですが、ナヒレで錬成したものであれば持ち込むことは可能なので、百人が着用する衣服を事前に準備できれば、問題ありません」
「よかった…… 」
「なら、移動までの最低物資も俺たちで準備するほうがいいってことだな。食料とか、衣服とか、それぞれの部屋も」
「一〇〇人分って、どのくらいなんでしょうね…… 」
「必要になったら作るんでいいんじゃない?ロケットと違って、ナヒレがあればいつでもなんでも出せるんだもん」
移動用物資に問題はないとして、離陸した後、何を作るかだ。ピギは聖書に出てくるノアの箱舟には、さまざまな動物のつがいが乗っていたと言っていた。
降り立つ星にとりあえず暮らすとしても、資源が有限であるのなら、いちいちナヒレで作らなくても酸素の供給ができるような仕組みや、食糧問題もある。
「ナヒレって、私たち以外は使えないんだよね?そしたら、私たちが死んだら、どうなるの?」
「そうでなくても、決められた次の生命体にバトンを渡すことになれば、あなたがたはナヒレを手放すことになります。私もそう、まだ寿命は尽きておりませんが、あなた方にナヒレをお渡ししました」
「もし、ここにいる全員が死んだ後もその日が来なかったら?」
「その場合、最後に亡くなった方の魂がナヒレに残り、次の生命体が移住完了するまで、思念体として案内をすることになります」
「かっこいいー!でもちょっと罰ゲームっぽくもあるかも」
「責任重大ね……。今日までにあったことも全部覚えていないと、うまく引き継げるか…… 」
「それだけじゃない。離陸してすぐ、バトンを渡せと言われることもあるってことだよな。その期間は分からないのか?」
「それは、予測不能だと言われています」
「なら、移動中にもそれなりの環境を整える準備をしておかないとダメだな」
グリーンは自分の手元にある紙に何かを書き始めた。
「せめてライフラインと町全体……。そんなの一気に作って、反動みたいなものはあるのかな」
「反動……。というより、あなた方の想像力が新しい街の隅々にまで行き届くかどうか、になります。目の前のものひとつを作り出すのであれば簡単でも、居住空間を一気に作ることは、なかなか難しいものです」
「隅々に……。じゃあ、それなりの知識がないと厳しいってことか」
「そうなりますね」
「それなら話は単純だ」
グリーンが書いていた紙を円卓の中心に放った。そこには、沢山の名前が書かれている。
「生物学、社会学、建築学のほかにも、想像するための基礎知識を教えてくれるだろう人間のリストだ。国はバラバラでも言語問題はないし、それぞれが世界一って言われてる優秀な研究者だよ」
テレビで名前を見たことのある有名人の名前もある。ノーベル賞や科学番組で解説をするようなメンバーだ。確かに彼らがいれば心強い。それにしても、人数が多い。数を数えると、それは五十八人にも及んだ。
「仕方ないだろ。研究者ってのは自分の部門以外にはうといもんなんだ。街をきちんと作るとなると、そのくらい連れて行かないと話にならない」
「最先端である意味ってあるのか? ノーベル賞をとった研究が生活に絶対役に立つとは限らないだろ。それよりは、建築なら大工のスペシャリストとか、農場を作るならいろいろな動物を扱っている人とか……。知識を持っていても、ナヒレがなくちゃそのあと何も作れないんじゃ」
グリーンの表情が強張って、彼はそのまま硬直した。的を射た意見だったのだろう。自分で言って、干川の脳内も少し冴え始めた。
着陸してすぐに文明を築き上げられることも大切だが、自分たちの代で人類が死滅したのでは避難した意味がない。今後、自分たちのもとに再びナヒレがやってくるのがいつなのかもわからない。少なくともその時になるまで、文明を自分たちは残し続けなければいけないのだ。
インフラ整備となると、日本は世界を代表する先進国だ。ここは、日本人の技術者を連れ、ほかに移住する人々に伝承していく形をとるほうがいいだろう。できればベテランで、教えることに長けているような……。
干川もグリーンと同じように、紙とペンを作って思い当たる人物を挙げていった。よかった、自分も役に立てることがある。ペンはするすると進んだ。
「伝承ってなると、スピーチか文章が上手な人がいるほうがいいよね。職人さんって口下手でしょ。そういう人からきちんと聞いて、説明書を作ってくれるみたいな人がいたら、ずっとそれをマニュアルとして使えるよね」
アニータも乗ってきたようだ。
「難しい言葉ばっかり並べられると、私は理解しきれないかもしれない……。勉強、したことがないから」
ピギも続いた。
アニータがインターネットにつなげるPCを作ったことで、技術者、伝承者として優れていると思われる人々がピックアップされた。グリーンがリストアップしてくれた人間たちも含めて、六十三人。
年齢はだいたい三十代から五十代くらいのメンバーだ。
選べるのは残り、二十九人。
■
「こうやって並べてみると、男の人ばっかりになってきちゃったね」
「次の世代の繁栄を考えると、それじゃあ問題だよな…… 」
「女の子は子どもを産むための道具じゃないよ」
「わかってるよ、それは。でも実際問題、女性がいなかったら俺たちはすぐに滅亡するだろ」
「まあ、そりゃそうなんだけどさ」
「どんな女性がいいんだろう」
「美人で安産型に決まってるだろ。そのほうが連れていく男性陣の士気も上がる」
「だからー、それが差別的発言だって言ってんの!」
「お前だって自分の好みじゃない男とくっつけられたら嫌だろ」
「無理矢理カップルにするわけじゃないんだから。結局はソウルメイトになれるかどうかって話でしょ。見た目とかは関係ないの!」
ピギの視線を干川は感じた。
今こそ、恋人を選ぶ時ではないか、とピギは干川に伝えたかった。でも、自分さえよければ、という考えは今のこの議論の中にふさわしくないだろう。
「人気の女優とか連れていくのはどうだ? アニータがお得意の芸術的な文化がそれで守られるだろ」
「ベイビーの好きな女優さんの性格がめちゃめちゃ悪かったらどうするの? 知らないよー、こっぴどく振られても、慰めてあげないからね」
「俺が言い寄るなんて言ってないだろ」
「でもベイビーが選んだら絶対自分の好みの女優にするでしょ」
女性選別議論はこれまでの中で最も長い時間を有した。医療を伝える人々として看護師や、一度にたくさんの子どもを指導した経験のある女性など、技能と人間性などを加味して算出していく。
それで、三十四人。
規定値の百人を軽々と越えてしまった。男女比は現在バランスはとれていると思えた。まったく同率にするなら、男性を削ることになるのが妥当だろう。でも、問題はそんなに単純なのだろうか。長い議論の末、四人に疲れが見え始めていた。
どのくらいの時が経ったのか分からないと干川が言うと、アニータがアメコミヒーローの形をした腕時計を見て、大体七時間ほど議論していたことを伝えた。明らかにオーバーワークだ。脳の糖分はすでに使い切って、精神的にも参っていた。当たり前だ、干川が選んでいるのは、命そのもの。自分たちの選択が、誰の命を奪うかを決めているのと同じなのだ。
「……とりあえず、一回解散しよう。また集まる時に、誰を削るか、代わりに誰を選ぶべきかは、考えておくとして」
疲れ切ったのか、議論が終わったのに円卓を離れる者はいなかった。
それぞれ、疲れた体を休める方法は様々だ。グリーンは頬杖をついて、目もつぶらず卓上をずっと見つめている。アニータは腕を前に伸ばして、顎をテーブルに押し付けている。ピギは家族の写真を見つめている。一人一人、愛情を込めるように撫でながら。特に、彼女が見捨てることとなった、夫の顔を強くなでていた。
子どもを守るため覚悟はできていると言っていたものの、愛したものを置いていくことは、彼女にとって断腸の思いなのだ。
干川はそんなピギを見つめ、ふと、自分の部屋にある通信機を思い出した。彼女の夫に連絡をとって、話したいのではないだろうかと。
「ピギ」
名前を呼ぶと、すぐにピギは干川に顔を向けた。呆然とするような、口を少し開けたままの顔で。恋人との激しい喧嘩のあとのようだ。どんな優しい言葉をかけられても、拒みたくなるような、そんな気疲れの目をしていた。
「……ごめん、なんでもない。部屋に戻るよ」
「何か食べないの?」
「大丈夫。食欲、ないから」
まるで反抗期のころ母親に言ったようなぶっきらぼうな声が、つい口を出た。干川はピギに小声で謝り、部屋に戻った。
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眼前に置かれた通信機は、結局時報を聴く以外何の意味もなしていなかった。ただの飾り物。いつのまに自分は、この奇妙な会議が本物なのだと思っていたのだろう。自虐するようにため息を吐いた。
自分がいなくなって、今みんなはどうしているだろうか。警察に通報をしただろうか、それとも、仕事が立ち行かなくなって嫌味を言われているだろうか。ありさは、自分を置いて行った恋人に、失望しているだろうか。母には、連絡が行ったのか。
受話器を取ったものの、番号を押す指が動かない。どこにかければいいのだろう。こんな奇妙な境遇を、信じてくれる人はいるのだろうか。頭がおかしくなってしまったと、見放されるかもしれない。
ナヒレを見なければ当然だ。こんな話、誰が信じるのか。人差し指は、こぶしの中にしまい込まれた。
現在の乗員候補者、一〇五名。
干川の取引先の建築家たちを除けば、こうしたとき連絡を取るべき時に挙げられる人々は、その中には組み込まれていなかった。ピギが提案してくれた仮要員のありさも、定員割れの今、すでに意味を成していない。
会議室で、なにか当たれるものを作っておけばよかったと干川は思った。
殺風景な部屋の中、腹にたまったまがまがしい何かをぶつけるものが、この部屋にはなかった。
八つ当たりしたところで状況は変わらないにせよ、きっとこんな、無気力なまま立ち尽くすだけではなかっただろう。
干川はうなり声をあげながら、ベットに顔をうずめ、もっともっと大きな声でうなった。