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【ナヒレ決議】第十三話 忘却・実験・対峙
誰かが、泣いてる。出してくれって、誰かって。ピギは、あちこちから聞こえる声に向かって顔を向けた。真っ暗な空間で、ここがどこだか分からない。聞こえる声と同じように、一緒に泣きだしたくなる気持ちが、腹の底から付きあがってくる。
「私もいる! 返事をして」
スーツで砲撃をしようとしたが、彼女の体に、すでにスーツはなかった。身にまとっているのは、ケニアで暮らしていたころの、いつもの衣服。
夢を見ているの? とピギは思った。
夢なら醒めて。まだ自分は、戦っている最中なのだ。子どもたちを守るために。家族を守るために。一緒に暮らす、未来を守るために。
誰か! と声を上げようとしたのに、すでに音は出なかった。さっきまであった身体が、今はもう消えている。神に拝む腕もない。体が今、どちらを向いているのかわからない。下に向かって、引き込まれるような感覚が延々とピギの意識を襲う。
死後の世界なの? 死んだら、天国に行くと、祖母にも、母にも、言われていたのに。死後の世界は、こんなにも恐ろしいものなの?ピギは叫んだ。でも、声は出なかった。
周りの声も、静かになった。誰ももう、泣いていない。暗闇の中で、引き込まれる感覚だけが、そこにはある。子どもたちの名前を呼んで泣きたいのに、どうして、思い出せないのだろう。
オドゥ。あなたの名前は、フルネームは、なんだったか。あなたは私と、どういう関係だったのか。流せない涙が、ピギの心にたまっていく。
「あなたが、ピギさん?」
誰?
「僕は、ナヒレ。あなたを迎えに来ました」
神さま? 天使?
「どれでもありません。アニータ・ローレ・ベルカセムは、僕を玉だと言いました」
玉? 思い出せない。
「意識が薄れ始めていますね。危険な状態です。どうか、僕に記憶を貸してください」
私の? どうして?
「あなたの、家族を守るためです。そう伝えればいいと、干川譲が言っていた」
家族? 干川譲……。彼が、私の家族?
「そこまでは、聞いていません。でも、あなたはそれを、護ろうとしていたと」
思い出せないの。でも、きっとあなたに力を貸さなかったら、前の私は、怒るのかしら。
「わかりません」
怖いわ。何も覚えていないのに、自分が消えるのが、怖い。
「僕もです。でも、一人はもっと怖い。だから、あなたと一緒にいたい」
会ったばかりなのに。
「僕はあなたを知っていた。ずっと前から……あなたが僕を救ってくれる人だと、力を手にした瞬間に、知っていた」
私が? 何も、できないわ。
「記憶を。あなたの記憶を貸してください」
いいわ。あなたが、一緒にいてくれるなら。こんなおばさんで、いいのなら。
■
研究室だ。でも、見覚えはない。置いてある器具も、持っていたものとは違う。
「実験は成功です。魂から、無限の力を取り出す機械。創造主の力が、私たちの手の中に生まれた」
隣の男が、グリーンを見て肩を叩いた。見たこともないような肌の色だ。ここは、どこだ。
冷たい。死人のように。この温度は、自分の体の中から発されている。俺は、誰だ?自分の体が、発光している。気味が悪く払いたいのに、体は動かない。
「元に戻してください」
「何を言っている? 君は、生命の頂点に立ったと言うのに」
「こんな生き方、したくない」
勝手に動く自分の体から、衝撃が発せられた。周囲を取り囲んでいた奇妙な肌の男たちが、息絶えて、自分の体に取り込まれる。体の中に様々なイメージが送り込まれてきた。彼らの家族、笑顔、喧嘩腰の声、苦しみ、そして……嫌だ、という声。
「誰か……助けて……。ウバ」
発光する身体から、勝手に声が発せられる。さっきから、泣き声が、求めてもいないのに、あふれ出てくる。俺の体を、勝手に使うのはやめろ。グリーンは叫んだ。
声にならず、それならばと何度も何度も念じた。これは、俺の体じゃない。俺の意識じゃない。邪魔だ。どけ。俺を返してくれ。
「見つけた」
先ほど自分の体から発せられたのと同じ声が、真横から聞こえてくる。
誰だ。
「ナヒレです。すでにあなたは、僕を知っている」
ナヒレ? 笑わせるな。それはあの、球の名前だ。道具がどうして、俺に話しかけてくる。
「あれは、私の魂と力の塊。あなたはそれを使っていた」
その道具風情が、俺に何の用だ。
「あなたは……あなたがたの言う、ローチに飲み込まれた。このままだと、意識を失って取り込まれ、僕の餌になる」
餌……?
「ローチは僕の体。ピギ・エミリオ・スタンリー・グギの記憶を借りて、あれが自分の体であることを、僕は思い出した」
君が……あいつを取り込んだ?
「干川譲、アニータ・ローレ・ベルカセム、ピギ・エミリオ・スタンリー・グギの三人は、すでに僕の記憶と共にある」
馬鹿な。意識の共有なんて、できるはずがない。あいつらをどこに隠した?
「僕も一緒にローチに飲み込まれた。まだ彼の体に完全に取り込まれてはいない。だから、吸収されていない意識の中から取り出したんだ」
理解不能だ。俺たちを取り込んで、お前はどうする。
「僕は力を求めなかった。こんな、理論もすべて無視した力を。だからそれをどうすべきか、探したい」
一緒に飲み込まれた意識でそれが可能だって言うのか?
「分からない」
わからないのに、命を差し出せと?
「記憶だ」
同じことだ!
「僕は探してた。大切な人を。僕が壊した、すべてのもののありかを」
大切な、人……?
「君は僕の記憶を拾わなかった? 自分の記憶じゃないものを、見なかった? 君なら拾えるはずなんだ。そうだって、力を手に入れた時、僕は知っていたんだ」
ウバ……。
「何か見たんだね?」
ウバと、泣いていた、俺じゃない、誰かが。俺の体を使って。気味が、悪かった。
「君の記憶を貸してほしい。返せるかは約束できない。でも、ここでこうして浮かんでいるより、気味の悪い記憶を見続けるより、いいだろ?」
気に食わない言い方だ。俺の嫌いな奴に似てる。
「干川譲が、こう言えば君は従ってくれるって覚えてたんだ」
……どこまでも、ムカつくやつだ。
グリーンが同意したと認めると、彼の意識の周りを気泡が包んだ。感じたことのない、冷たいのに、恐ろしくない。消えるのに、怖くない。グリーンが薄れていく意識の中で浮かべていたのは、なぜか、戦いの前に最後に見た、ブリジットの笑顔だった。
■
ナヒレは、四つの記憶をつなぎ合わせた。彼らの意識の中に刷り込まれた、自分の記憶。断片的だが、ナヒレにまだ残った記憶と合わせて、彼は思い出した。
「僕は、ずっと、長い間、僕の星を、探していた」
彼の気づきに、答える者はなかった。すでに彼が取り込んだ意識以外、すべての意識は消えかけていた。
「でも、そうか、僕は星を、自分の故郷を、飲み込んだんだ」
グリーンの記憶。自分が、すべてを取り込んで強くなっていった記憶。
干川の記憶。力をなくしたいと望み、泣いた、あの夜。
ピギの記憶。悲しみだけが取り残された中、孤独を恐れた自分の体が、多くの人間を取り込んでいること。
アニータの記憶。自分の体が、怪物となった体が、魂も、母星も、すべて失い、そのありかを探してさまよっている。
そして、ナヒレは理解した。自分を孤独にした力で、自分が探しているものは、溶かしてしまったということを。それは力となり、多くの命に恵みをもたらし、そして、新たな命につながっていったことを。
そして、気づいた。そのことを、怪物に知らせなければいけないことを。そのために、自分には何ができる?
「会議をしよう、ナヒレ」
干川の意識が、語り掛けた。
「そうだよ、一人で考えたって仕方ない」
アニータが笑った。
「もう、あなたは一人じゃありません」
ピギの声が、温かく胸にしみる。
「お前は頭が悪そうだからな、力を貸してやってもいい」
グリーンのぶっきらぼうな声が、ナヒレの背中を押した。
「会議を、しよう。君たちの力を、貸してほしい」
「もうその言葉何回目? 決まってんじゃん。それで、私たちの星が、護られるなら」
「もう分からないとは言わせない。ここには、5つの脳がある」
「それだけじゃない。ローチが取り込んだ意識全部が、俺たちの力になる」
「ローチは、悲しんでた。たくさんの人を取り込んで、それでもさみしくて、宇宙を飛び回っていたのね」
かわいそうね、とピギが言うのを聞いて、皆言葉を失った。そして、笑った。ピギらしいじゃないかと。それでこそ、自分たちは固く結ばれたまま、今日までこれたのだと。
「ローチに君の意識を戻せばいいんじゃないか。そしたら暴れた体は、元に戻る」
「でも、ローチは体を探してた。さみしいってことも分かってる。あの中にも意識があるんなら、ナヒレの気持ちが勝てるとは限らないよ」
「そんなの、やってみなくちゃわからないだろ」
「グリーンにしては行き当たりばったりだな」
「うるさい。お前の悪い癖がうつったんだ。意識が一緒になったからだろ」
「不思議ね、なのに、ちっとも嫌じゃない」
「俺は嫌だよ」
「僕も嫌だな」
「きっとナヒレに力をくれた人たちも、ピギみたいに、みんなが一緒になればいいって、思ったんじゃないかな」
「そんなの、許されない。ヒトの命を使って、何かを得るなんて」
「その通りだ。それも、俺が犠牲になるなんてな」
「おっ、戻ってきた戻ってきた、ベイビー・グリーン節が」
繰り広げられる四人の意識のかしましさで、ナヒレの長年の孤独が埋まるような気がした。
ずっと、彼らはそうだった。語り掛けるのをあきらめていたナヒレだったが、彼らとともに意識を共有し、心が喜んでいるのが分かった。
でもそれも、一つになったら意味がない。
「僕たちは、違うからこそ、こうして、分かり合える喜びを知るんだ。昔の僕は、それを分かっていた。だから、力を体から取り出した」
「それでこの事態か」
「とんだぶきっちょだよね、ナヒレも。すっごい最強の武器なのにさ」
「意識だ」
「あら捜し! 意識が一緒になって、ベイビー節がうつったね」
「だからそれやめろって!」
「でも」
干川が言い合いを遮った。意識だけで、合わせる顔はないはずなのに、それぞれが、干川に注目したのが分かった。
「人が、それぞれの価値観を大切に思うからこそ生きていける。そう分かってるやつが多ければ、きっと、ローチに残った意識には負けない」
「根拠は?」
「俺だって、頑固者のグリーンをだてに説得し続けたわけじゃない」
「そうね、その通りだわ」
「お前ら……元に戻ったら覚えてろ」
「ベイビーも参加ってことね、説得に」
「僕たちには、言葉がある。ナヒレのおかげで、誰とでも話せるようになったんだ。だからできる。絶対に、ローチを、お前はもう、お前の大切な人と一緒にいるんだって、分からせることができる」
ナヒレは、勢いのある議論に取り残されていた。
それでも、孤独ではなかった。別々の意識が、ナヒレのために、自分たちのために、それぞれの思いを尊重して、言葉を交わしていた。
そして、確信した。ローチは、もとは自分自身だ。こんな人が、昔の自分の前に現れてくれたら……きっと自分は、救われたと。
「行こう。溶けあおう。ローチの意識に。連れて行ってくれ、ナヒレ」